2020年07月02日

性について3-再び聖書的考え方へ

『聖書的見方・考え方』についてから書き始めたのですが、聖書は『この世界は(地球だけで無く宇宙も)創造主である神によって造られた』という事から始まるのが聖書です。
世界が神によって造られたのであれば、造られた理由が存在します。その目的と理由によって動くように出来ているというのがそもそも論です。

聖書が禁欲主義では無く、正しい相手と正しい愛を持って性行為をし、それによって相手を良く知る事。その結果もたらされる2人が結び合わされてひとつになる事と言うのは、神からの祝福を受けるひとつの正しい生き方でもあります。

聖書の冒頭には、男と女が愛し合いひとつになる事によって、神が世界を祝福する様子が書かれる創世記から始まります。

その秩序が乱れれば、世界が乱れます。
愛の無い家庭で育った子が、愛を知らないままで家庭を築く。
これが繰り返される事で、対人関係も、動植物との関係もおかしくなっていきます。
聖書はいつも人に呼びかけます。「初めの愛に帰っておいで。」と人に語りかける創造主からのメッセージという地位なのです。
この世界を造った者は、その法則も流れも、人がどうすれば祝福されて生きられるのかを知っている。

前記事で精神論で思う事の一部を書きました。同じ障がい者でも、初めの愛に帰った人と、成長期に叩き込まれた『自分で生きる事』に縛られたままで生きる人とは、人との接し方が全く違います。

あの地震の前、病院に入院していたときに、久しぶりに全盲の女性とかかわる機会がありました。
「あなた(盲人と接する事に)慣れてるでしょ!」と言われました。
私は彼女を見て直ぐにわかったんですよ。自分で生きていかなければならない頑なさを持っている事に。

「私といるときはそんな緊張感いらないよ」という時間をつくってあげたかったの。あげたかったと言うと少し上から目線だよね。でも、私は、彼女がそれを望まなくてもそんな空間を作りたいと思ったの。

私と相性の悪い看護士がいて、彼女を見張り役にしてねw 病室でしてはいけないような事をしたり(苦笑)
例えば無駄毛処理とか(笑)
その看護士に見つかると大騒ぎされちゃうからね。
「あいつ(看護士)が来るから寝たふりするわー。」ってベッドに潜り込んだときも、私を起こさないようにあれこれ言ってたなぁ。
その嘘が下手だったので、私はベッドの中で笑いを堪えてた。看護士が居なくなった後で「下手くそ!もっと良い言い方無かったのかー?」と大笑いしながらベッドから出ると「私は嘘になれてないんだぁ!」と一瞬怒って言い返したけど、すぐに一緒に大笑いしてた。

その時私は思ったのよ。医者にも看護士にも「はい」「いいえ」「ありがとう」と、自分に必要な事だけを言葉にするばかりの彼女が笑うようになった。
私が仲良く話す他の患者とも介護士さんとも良く話すようになったけれど…
100%じゃない。彼女の壁は厚い。
キリストの介入無しに人の心を溶かすのは、本当に難しい。
もうひとつ思った。私の壁も頑丈で厚い。

夫婦が愛し合い愛を深めると、子を授かる。夫婦だけでは無く神の介入が必要。
夫婦で無くても、例えレイプであっても、その行為によって子を授かるのは、性暴力や誤った関係でそれをする事を想定していないから。
『神は愛です』というのは聖書の一文です。
神から祝された人生を送るには、神の前に正しい愛を置かなければなりません。

神は愛そのものであるけれど、神は命でもあります。命は神からのものです。
中絶に反対するクリスチャン団体がいるのはその為です。
男がいて女がいて、神がある。そこからひとつの家庭が始まる。
父がいて母がいて子がある。そこからひとつの家庭が始まる。子の無い夫婦だって、誰かの息子で誰かの娘だったでしょ?

御父(みちち)、御子(みこ)、御霊(みたま)が揃ってひとつの神である。



神は仰せられた。
「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
神は人をご自身のかたちとして創造された。
神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
神は彼らを祝福された。
神は彼らに仰せられた。
「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

posted by Mako at 09:55| 日記

2020年07月01日

これはひどいなぁ・・・

第二の【木村花さん】を出さないためにアベノマスクブラポスター改修しますという動画がアップロードされた件について思う事。

まず、共産党の言う多様性は『自分達と、自分達が推す国や人々を認めろ』という意味なので、一般的な受け取り方をしてはだめですw というのが私の見解です。
だって、彼らは自分達以外はとにかく否定していくじゃないですか。自分達のような共産主義者も認めろと言う意味だと私はとらえています。

それから、「違法では無く、他人に迷惑をかけなければ何をしても良い」なんですが、迷惑がかかっているんですよ。子供たちがランドセルを背負って通う通学路にこのような選挙ポスターがあるのは困ると都民から言われているのです。女性自身が不快に思っているという事情もあります。
立候補した公人なのだから、個人の多様性<公の福祉です。公人は私人と扱いが違いますから一緒にしてはダメです。

公人が直接選挙される選挙区で、有権者が嫌がっているのは迷惑をかけているのです。

でもね、批判があるので対策をします。その程度で済んで良かったのです。選挙ポスターは、通常暗闇でも候補者の顔が見えやすい塗料で作成されます。彼女のポスターの塗料がどうかはわかりませんが、夜間でもライトが当たるように設置されている場合もあります。
選挙ポスターを見ていたらムラムラきた。そう言って性犯罪が起きてもおかしくない選挙ポスターですよ。何かが起きてからでは遅いのです。

水着でも下着でもない、マスクで乳房を隠しただけのポスターは、アダルト向けに作るべきでしょう。

木村花さんの名前も、安易に使いすぎです。全く事例が違います。
また、彼女の死からいくらもたたないうちに、自分達の主義主張を正当化する為に彼女の名前を使うのはさすがにひどいと思います。
公人に対する苦情や批判と、芸能関係者の、特にテイク2や3があったと番組側が認めている以上、演出による被害かもしれない彼女の自殺とは異なります。

他人に迷惑がかからなければ何をしても良い。この範囲は個人によって変わりますが、あらかた私も賛成です。けれど、それは個人の話で公人の話ではありません。

立花さん… もうダメかなぁ…。
面白いおじさんで頑張ってほしかったのに、残念だなぁ。
posted by Mako at 23:41| 日記

精神論者のよくわからないところ

時々書き込みで見かける話があります。

  • 電車内で障がい者を見かけたので席を譲ろうとしたら怒って断ってきた。
  • 信号待ちしていえう時、視覚障害者を見かけたので「手を引きましょうか?」と声をかけたら、迷惑そうに断られた。


私、手話は自分の名前も間違える程度。点字は落ち着いて読めばわかるが、いざ打って手紙を書こうとしても誤字脱字記号抜けだらけになる程度しかわかりません。これは教会という場所にいたからちょびっとなら程度の知識はあるのです。
その環境が無ければ、障がい者とかかわる事も無かったでしょうし、彼らとコミュニケーションを取る手段を覚えようとする努力もしなかったと思います。

これは小4だか小5ぐらいの頃の話ですが、教会の中でキリストについて話していたのです。全盲の夫婦の奥さんの方と。
いつも綺麗に身嗜みを整え、薄い上品な化粧をしている方でした。
その方が上品にショールやスカーフを使っていたので、私は今でもショールが好きです。
私は彼女が大好きでした。

私が話に夢中になって、一方的に喋り続けても、いつも優しく聞いてくれる方でした。
聖書にはキリストは世の光と表現される箇所があります。それで私は、光について話すにも「見えない人に私の見えるものが伝わるかなぁ?」とね。ふと思ったんですよ。

教会のあちこちを見渡して「あれだ!」と考えた私は、婦人を連れてそこまで行きました。良く日が当たっている窓の前です。
「どう?温かい?」と聞いたら「あったかいねー。来る時は寒かったけどこんなに日が出てるのねー」と婦人は言ったの。
その後私は「その光ってきっとこんな感じよ。あっちは寒かったけど、日が当たるとこんなに温かいでしょ?」って言ったの。
婦人は目を隠す為に、紫系のサングラスをしていたのよ。それを邪魔そうに何度も手で持ち上げ、涙を拭きながら「わかったよ。言ってる事が。そうだねー。きっとそうだねー。光の中にいるってこうなんだろうねー。」と言ったの。

その日、私はとっても嬉しかったのよ。婦人と同じものを見ている気分になれたの。

その日「絶対点字を覚えてやるぜ!」って強く心に思ったのよ。でも、読むにはたどたどしく、書くには支離滅裂な程度までしか身につかなかったわ。全然読めないよりはマシって感じ。
読む方が強いのは、私は見えるからって言うのと、点訳(点字を文字に直す作業)を、少し事務でやったから。

私、その婦人だけでなく、旦那さんも大好きだったの。だから教会での礼拝の後、駅まで送っていくのも楽しい時間だったのよ。泊まりにおいでって言われた時は本当に嬉しかった。

でね、そんな私の中途半端な知識から言うと…

障がい者という枠組みで生きていくとなるとね。世間の子供達が親に世話をかけて生きている頃から、全寮制の寄宿舎に入れられたりしてさ。自活する術を学んでいた人達なのよ。
「自分でできる事は自分でする」を生活の絶対的基準となって、色々な事を覚えさせられるの。
自活すると火の消し忘れとか、お風呂の空焚きとか、様々な危険が潜んでる。
自炊には包丁も火も使う。
日常の危険を回避しながら生きていくには、つい手を出して甘やかしてしまう親兄弟から自立する事から始めるのよ。
子供の頃からね。

だから「自分で生きる」とか「他人の手を借りない」とか、そういう事にはシビアだったりするわけ。
自分を甘やかさない事に厳しい人もいる。
その折り合いがね、親切に声をかけてくれた見知らぬ人と折り合いがつかない場合が多々あるのよね。

先立って書いた時々見かける書き込み。
私は「ちゃんとやってるんだなぁ。」と思うけど、レスには違う事が次々書かれる。
「だから席を譲りたくならないんだ」とかね。人の親切を足蹴にする奴等みたいな感想が並ぶ。
当然私も「そりゃそうなるよなぁ」と同意する部分もある。
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posted by Mako at 12:06| 日記