2019年08月07日

日常の権利行使はコントロールして使うべき

東国原さんと立花さん。
さきにふっかけたのは東国原さん。それを受けて反撃したのが立花さん。

東国原さんは、立花さんについて『良く知りもしないのに、イメージだけでコメントした』ので、間違いがあったのです。
『受信料を払っていない=TVが無い』って勝手に思っちゃったんでしょうね。

立花さんの方は「TVありますよ!」と反論した。

東国原さんは他にも、丸山議員が欲しいのは金の為だとか、国政参加の為に地方政治を利用したとかね。そんな事を言った。

立花さんは「じゃあ言わせてもらいますけど?」って事で不適切な発言をしてしまった。
東国原さんが有罪判決を受けているかどうかハッキリしない記憶のままで「有罪判決を受けている」と言ってしまった。

裁判で罪が確定していない人を犯罪者のように不特定多数に述べる。
これはまずい事だと誰でもわかりますよね。

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posted by Mako at 04:38| 日記

昨日の補足

法律の「〜してはならない」とか「〜する事はできない」と書かれているもの。逆の「〜しても良い」とか「〜する事が出来る」と書かれているものは、よほどの事がない限り『原則出来る』『原則出来ない』と思っておくのが良いです。

『原則出来る』という事は『例外もある』という事です。
100%出来るんだと思われる事にも例外はあるのです。

『100%出来るとか出来ない』と思われる事の例外になるほど極端な例になります。

例えば、『何ら指示の無い一般道は、制限速度を60kmとする。』という法律があります。
パトカーの目の前を速度100kmを大きく超えた自家用車が通り過ぎた。
この状況では、当然パトカーはその車を停止させて違反を取り締まる事になります。

これは100%間違いない事じゃないですか。

けれど、その自家用車が噴火した山の溶岩から逃げていたら?
パトカーだって逃げなくちゃならない状況だし、制限速度を理由に停止させたらその車に乗った人死にますよね(笑)

100%決まっている事だけど、例外はあるよ。というものは極端な話になります。

判例は特にそうです。

職質中に逃亡しようとした人を、手を掴んで制止させる。これは許される判例があります。
だからと言って、それを全てにおいて是認するわけではありません。
YouTubeに、「ここまでは許されるんだよ!」と、職質受ける人の手や自転車を触っていた警官がいました。
「あれ、アウトジャーン!!」と私は思ったのですが(汗)

判例の場合は、特に個別具体的要件や事情が考慮されたりしますからね。条文の追加項目としては曖昧で頼りないものでもあります。

公務中の公務員の肖像権ですが、職質が撮影されている事事態に大きな問題はあるのかなぁ?と考えたのですけどね。

あからさまに嫌がらせっぽく見える人の撮影が混ざってるんですよね。
「何かあったら嫌だから」この気持ちはわかるのです。
けど、嫌がらせ目的のようにやるのは…「まず道義を学びましょうよ」って話じゃないですか。
警察大嫌いな私が視聴しても気分の良いものでは無かったです。

でもねぇ。相手が警官なので「ま、警官だからいいか!」ってどっかで思っちゃうんですよね。
自分が嫌いな存在だからそう考えてしまう事って、クリスチャンにとっては心の弱い部分であり闇です。
これと向き合うのは時間が必要かも?死の瞬間までに心から消えて欲しい闇です。
posted by Mako at 04:31| 日記