2019年09月06日

レヴィナスの『責任論』から〜起業

仏国の エマニュエル・レヴィナス という哲学者の『責任論』から、少しビジネス論っぽい事を書いてみたいという試みの3回目です。ビジネス論っぽいものという事でビジネス論もどきですが(笑)

▼前回のまとめ。
  1. 『責任』の黒魔術
    どう責任を取るか?は人の行動を縛りつける。

  2. 『責任』の白魔術
    責任の帰属先があれば、行動に自由度が増す。


レヴィナスが「『責任』なんてものは誰も取れやしない」とした事で、「それならば」と気楽に書いてます(笑)




『責任論』で起業する



独立・開業・フリーランス。『社畜族』にとっては魅力的な言葉です。

「今以上に稼げるはず」
「本当は〜の才能があるのに」
「同じ時間に起きて同じ場所に行くのが機械的で嫌だ」

色々考えている事があると思うのです。

「うまくいくだろうか?」
「失敗したら?」

不安も起業したい人の数だけあります。レヴィナスの『責任論』を頭に置いて、起業について考えてみようと思います。




『責任』の数を数える



「はたしてうまくいくだろうか?」

この不安は誰にでもあります。しかし、どんなに考えても、1週間後も、1ヶ月後も、1年…10年… いつまでたっても「はたしてうまくいくだろうか?」を考える事になります(笑)

目の前で誰かが失敗するか成功するかしない限り、答えは出ません。
それなら審査期間を作るのです。

副業が禁止されているところでは無償でも良いですし、とにかく請け負ってみる、引き受けてみるという実験場を作るのです。

かかった経費や交通費等は受け取っても収入にはなりません。無償でも『学習期間』だと割り切ってやってみましょう。

実験期間を設けて、需要と供給、自分の出来る範囲、ヘマをした時のリスク等を書き出していきます。
創作活動なら、作品募集にトライする期間を設けます。

今はインターネットがありますから、ネットであたりをつけてみても良いでしょう。自分の時間や技量を売るのでも良いですが、いきなり起業はやめましょう(笑)

自分の技量やコスト、時間、考えられる主な『責任』を試して数え上げていきます。

自分がそれをするのに、どんな『責任』が生じるのか?それを大雑把にでも把握できたら、それから考えます。

「はたしてうまくいくだろうか?」
収入の見込み、客の数、稼働時間、『責任の数だけ答えがある』ので、うまくいくかいかないかで停滞する必要はなくなります。

レヴィナスの言う通り、他者は「責任を取れ!」と言ってくる者達です。それを頭に置いて良く数え、ひとつひとつ答えを考えましょう。




『責任』の審査



『責任』の数を数える事は受験勉強のようなものです。
『起業』するという事は、悩んだ数だけ誰かに『責任』が行きます。
家庭を持つ人なら家庭に、独身の人なら両親や兄弟に。
収入の低い期間や、失敗した時に迷惑がかかる。その中身が重いほど、その人数が多いほど悩むのです。

『数えた責任の数』は「起業をしたい」と言った時に「〜はどうするのか?」と聞かれる数ぐらい集めておいた方が良いです。

起業する旨を話す相手。これが最初の試験官です。

『責任』の数だけ具体的な説明が出来ると良いです。ここでするのは『説得』では無く『説明』です。『説得』しなければならないという事は、受験勉強期間が足りていない可能性があります。もう少し待ちましょう。




起業資金



一通り『解説』が終わったら、『責任』を分散します。
『責任』の白魔術で考えたように『責任』は、帰属先があれば軽くなります。軽くなる、つまり、負う責任が小さいほど人は動きやすくなるのです。

例えば起業資金ですが、公金や補助金等、低いリスクで不足分を借りられるところをリサーチしておきます。
親や兄弟に借りるにしても、まずそこから引き出せれば、低金利、当面の税金や諸々の免除や優遇がついてくる場合もありますので、『借金』のリスクに対する『責任』を軽減できます。

「開業資金にいくら必要。そのうちのいくらが捻出できないから助けて欲しい」

確保できる金額と貯金、あといくら足りない。これだけで貸す側の『責任』が減ります。
そもそも、丸々借りる事を考えている人は起業なんて考えない方が良いです。

『責任』は小さい方が通りやすい事は既に書きました。

次に個人の関係です。子供の頃から可愛がってくれたおじさん。親戚のお兄さん。いつも良くしてくれた先輩。
思いつく人誰でも良いので、資金投資を得ましょう(笑)

ビジネス的投資では無く、よく言う「出世払いで^^」が通る程度の、少し高い小遣いぐらいのものです。
甘えてみて「仕方ねーなー」と言いながらも笑顔で出せる程度のお金です。

投資とは言っても、儲けでは無くて『自分の未来』に投資してくれる人を頼ります。

3万円を10人集めれば30万円です。5万円なら50万円。20人いれば倍の金額です。

「こいつの頼みだからな」と、自分の『責任』で出せる範囲の少額を頼るわけです。
起業する側も投資する側も『責任』の程度が小さいので通りやすいです。

posted by Mako at 19:20| 日記

レヴィナスの『責任論』から〜「責任」の呪縛

仏国の エマニュエル・レヴィナス という哲学者の『責任論』から、少しビジネス論っぽい事を書いてみたいという試みの2回目です。

ビジネス論では無く、ビジネス論っぽいものです。ライトな感じです。

もう一度彼の『他者とは?』の定義をwikiから引用してみましょう。

「無限の責任を課す他者」こそが「他者」だと言う。「私」(自己)とは、「他者に対し無限の責任を負う」者であり、「私」と「他者」は非対称で不公平な関係にある。


前回の内容を、改めてまとめるとこうなります。

  1. 責任を取れる人間はいない。
    どんな内容でも、起こってしまった事、物、事象を完全に復元できる者はいない。
  2. 「責任を取れ!」と言う事は無限の責任を負わせる宣言だ。
    完全回復が出来ない以上、取れない責任を負わせる行動に出るのが他者である。
  3. 責任の取り方は代替え措置でしかない。
    完全復元が出来ない以上、代わりのものを償いにして『黙ってもらう』しかない。





『責任』という言葉の黒魔術



社会に出ると「どう責任を取るつもりだ?」「責任を取れ!」という言葉が飛び交います。小学生でも使う言葉です。マスコミも「責任の所在が…」なんて言いますし、私達も「あなたじゃ話にならない。責任者を出してもらえます?」なんて言う。

責任を請求する側もされる側も、レヴィナスの言う通り圧倒的他者(日本語おかしい?わら)なのです。

これが社会です。

しかし、実際には『責任』を取れる人は存在しません。

もし、あなたの過失で誰かのペットや子供を死なせたとして、有能な科学者に細胞を持ち込んで「コピーを作って下さい」と依頼します。
それがうまく行って「はい、元どおりのものですよ」と言ったとしても、それは複製品であり本物ではありません。

「どう責任取るの?」人から言われるも、自分に問うも、答えは「責任なんて取れない」のです。
ここ重要です。
いくら悩んでも考えても、そもそも『責任なんて誰も取れない』のです。

何かを始める前に、結果を出そうとする時に、いくら考えても『責任は取れない』というのが正解であって、責任が取れるからやる人は居ないのです。

「どう責任を取る?」これは黒魔術的呪文の言葉です。
人に言われても、自分自身に問いかけても、その言葉を浴びる本人を拘束する呪縛の縄でしかありません。

良い効果もありますよ。「殺したいほど憎い」と思っても、『責任を取るのは自分』という呪縛がそれをさせないのは良い事です。
理由は、例え遺族に賠償金を払っても、刑に服しても、完全回復以外に『責任追求』の手から逃れる事は出来ないからです。
刑期を終えて真面目に生きていても、誰かが噂し囁きます。「あいつは人を殺した。」
これを言うのは大抵無駄な正義感を持っている人だと思いますが(苦笑)
だから自分に『その後の責任』という呪縛をかけて制する事は良いのです。



『責任』という言葉の白魔術



次にですね、「どう責任を取るの?」という問題が足枷(あしかせ)となって動けない時。

「やれるだけやってみろ!責任は俺が取ってやる!」

こういう上司が現れたらどうでしょうか?
踏み出せなかった一歩を踏み出す事ができる。色々想像すると、『責任の帰属先』がありさえすればできる事って多くありませんか?

これが黒魔術の呪文「どう責任を取る?」から解放してくれるなら良いのですがそうもいきません。
「あの人に迷惑をかけたくない」という新たな『責任』を生むからです。

しかし、黒魔術と違って先が見えています。中心となる『責任』から解放されたので、より小さな責任という縛りがあるだけです。

「失敗すれば会社に迷惑がかかってしまう」という大きな『責任』から解放されて、責任を負ってくれる誰かに対する責任と言う小さな責任に変わっているので、縛りが少ないのです。

足枷は外れていません。
牢獄の中で、壁や建物につながれている鎖。
これが、歩ける程度の鉄球がついた足枷に変わったというところでしょうか?




次はもう少しビジネスという部分に、レヴィナスの『責任論』を取り入れて考えてみようと思います。
posted by Mako at 04:55| 日記