2019年10月31日

愚痴なのか意見なのかわからないコンプライアンスの話

近年、何かと言えば『コンプライアンス』と言う単語が聞かれるようになりました。
馴染の無いその言葉は、まるで最近生まれて最近うるさくなったように感じます。

私は『コンプライアンスの正体』を述べたいと思います。
コンプライアンスとは型入れです。

就業なら『マニュアル』に従わせ、
就学なら『校則』に就業に従わせ、
社会なら『道徳』に従わせ、
宗教なら『戒律』に従わせるものです。

特に最近厳しくなったわけでも、最近できたわけでもありません。
ただ、表情が変わっただけです。

インターネットが、大人から子供まで、従業員から社長まで、公務員や官僚、政治家、教師と生徒、信徒と教祖までもが使うようになった事で、規律やルールやマニュアル等では意味の範囲が足りなくなったのです。だから、狭義では無くて、広義の意味での違反に対峙する言葉を生み出しただけの話です。

インターネットが大きな要因のひとつですが、企業と企業が絡み合う事やグローバルも影響しています。

何か問題があった時「マニュアル違反です。当社のマニュアルでは禁止されている行為です。」と企業が言えば魔法がおきます。企業の責任から個人の責任へ移動してしまうのです。
「会社は禁止しているのに守らなかった」と個人の責任へ責任転嫁できてしまうのです。これの『マニュアルの範囲外の事』までも含めて、個人に責任転嫁できるのが『コンプライアンス違反』という単語です。

言うなれば、洪水に備えて壁を高くしたようなものです。
これがコンプライアンスの正体です。




『コンプライアンス』の範囲を狭め、社会を小さくしていくと『レッテル貼り』と密接だという事がわかります。

長くなるので細かい事を省きますが、例えば犯罪者の社会復帰が難しい。この状況は、本人の更生の機会を奪う社会に原因があります。
1度した失敗や過ちという枠から絶対に出さずに閉じ込めておく。これが大きな要因です。
更生の機会を与えるという事は、公平な機会とチャンスを与える事でしか実現しません。
まぁ、しかし、本人が乗り越えなければならない壁でもあるのですが。

犯罪は自分で犯したものとも限らないのですが、通常の場合は本人が自分の考えで犯したものですから、あまり文句も言えませんね。

では、親が外国人だから。親や親類が暴力団の構成員だから。母子家庭で母親が夜働いているから。
こういうものはどうでしょう?
本人の問題ではどうにもならない事がつきまとうレッテルはどうなりますか?
私は、実際に、自分の置かれた境遇や環境で、学校からも教師からも、友人の親からも、他の子と区別されました。
だから、人を勝手に型に嵌める人が大嫌いです。
ここでものすごく誤解されるのですが、だからこそそこを卑下してとかねw
そう生きているとか考えているとかいうおまけがつきまとっています(笑)

正直言って、いつ帰るかわからない親を待って、お腹が空いて動けない時が子供時代には多々ありました。
だからと言って、「ただいまー」と家に帰って宿題をしたり入浴をしていれば晩ご飯が用意される子供に劣っていると思った事はありません。
冬の水が冷たい季節に、あかぎれで真っ赤になった手でお米を洗っている時、TVを楽しんでいた友達に見下される覚えは無いと思っていました。
学校で「昨日のあれ見た?」とTV番組の話をしている中で「えー?見てないの?」とバカにされても、寝るまでに片付けをしておく事の方が大事です。翌日の朝、30〜40分の時間が違いますから。出来るだけギリギリまで寝ていたいのです。特に冬は(笑)
こんな事だって、それをしていない子にバカにされる覚えも無ければ、特に羨ましいと思った事はありません。
羨ましかったのは、遠足や運動会のお弁当です。母親が作ったお弁当の綺麗さを横目に、自分のお弁当を開けるのは恥ずかしかったのです。とはいえ…母親がいたからと言って…
あの人の弁当は… うーん。何と言えば良いか… センス以前に料理があまり上手じゃ無いというか…たらーっ(汗)
「焦がさないように焼くのは難しいですか?」ってな感じなので、大きなダメージでは無かったような気がしないでも無いが(笑)

友達や他の同級生から、その親から、見下される覚えは無いのです。だってやらない子供とやらせない親でしょ?
やるしか無い私の気持ちなんて理解できるわけが無いから、それについて話さないし。ねぇ?

それでもからかう子や意地悪言う子はいましたよ。「お弁当可愛くなぁ〜い!可愛いお弁当の子だけで食べたいからあっち行って!」なんて言われて1人で食べた事もあります。
近くのグループの子が「こっちおいでよ。一緒に食べよー!」と声をかけてくれたけど(笑)
もう誰がと一緒に食べる気分じゃないというか… その子には悪かったけど「いい。1人がいい」なんて言って断ってました(笑)

その日は、近所の鶏肉専門のお惣菜屋さんで買った唐揚げが入ってたお弁当だったの。1人皆に背を向けて隠すようにしながら、お弁当箱をパッカーンと言いながら開けて、空を見ながら食べました。

空は神さまが作った大きなものだけど、大地も空も、神さまが造った物の中にいる。だから私は大丈夫!そうやって心の中を確認しながら食べてた。

この様子をね、「背を向けて1人で食べちゃって…」と、勝手にいじけてると決めつけられるのはむかつくのよ。「可愛いお弁当の子とだけ食べたい」と除外される事には、そりゃ傷つくさぁ。もちろん。
でも、1人で食べるとなれば、まず食事前の祈りができる。みんなと一緒だったらできない。
身の回りの物を見て、神さまの造った世界を堪能しながら食べられる楽しみがあるわけで…

鳥も、空も、木も、花も、風も、全部聖書に出てくる。それを見て書かれている事を思い出しながら外で食べるお弁当に、私は感謝していた。大好きなイエスさまに。
それに、その鶏肉専門のお惣菜屋さんの唐揚げは超美味しいの!大好物だったのよ!だから気分もアゲアゲだったんだよ。買うと高くつくものなんて普段買わないわけで… 買ったものとは言え、私にはご馳走だったのさ。

余計な話が増えたけど、その時の事を見ていた子がそれを記憶していてね…
「いじけて1人で食べてたよー」と勝手な事を言われたら迷惑なのよね。せめて「自分にはそう見えた」ぐらいの言い方してほしい(笑)

でも、その子がそう言ったとしても、そこに悪気があるか無いかは私にはわからない。それでも、その子が家に帰ってそれを親に話し、その親が別のママ友に話しってなるとさ。結局レッテルが残るんだよね。




レッテルってさ、例えば親が反社会的職業についていたとしても「自分はそうはならない」と思っている子だっているわけなんだけど「カエルの子はカエル」に追い込んでしまう悪を持ってるのよ。
それについて厳しい言葉を言う人々が、新しいそれを作ってるって事があるの。

身近にいない人にはわからないだろうけど。

それを少しずつ大きくしていったものが、日本社会に蔓延る日本特有の『自粛型コンプライアンス』なんだよね。

『コンプライアンス』って、責任をどこに向わせるかの指標みたいなものなのです。また『自粛』や『自主規制』を軸に置くので、破った時の叩き方がえげつない。
芸能人の場合だと「2度と表に出てくるな!」なんて事まで強いる。
はっきり言って、コンプライアンスなんてものは、崇高そうに掲げれば掲げるほど社会を小さくするし自由が減る害虫のようなものです。
道徳的や倫理に反するなら、道徳的で倫理の枠内で対処すべきです。その枠から出て誹謗中傷するのは、それもまたコンプライアンス違反で跳ね返ってくるんですよ。

「カエルの子はカエル」を作る人々も、それが嫌だとか許せないと行き過ぎた拒絶をした結果、新しいカエルを作ってるのと同じです。

posted by Mako at 19:14| 日記

長すぎる悩み

『玉子が先か?(にわとり)が先か?』論争というものがあります。

そもそも玉子が無ければ鶏は育たない。
しかし、玉子を生む鶏が居なければ玉子は存在しない。


簡単な事です。クリスチャン的答えですが、玉子の親である鶏が先です。
玉子は勝手に雛になりません。親の鶏が雛になるまで玉子の世話をします。
玉子だけが先に存在したのではなく、玉子を生む生き物として、先に鶏が存在(造られた)のです。

私は、小学生のうちにはクリスチャンでした。ですから、天地創造の物語は、子供の頃から知っています。
そこで、私は非常に悩みました。

寝る時布団の中で。
目覚めて歯を磨く時に。
重い荷物を持って道を歩いている時に。

あらゆる機会に考え続けました。

アダムとエバ(英名:イヴ)にはヘソがあったのか?


今は当然「あった」と答える事ができますよ。でも子供の頃は本気で悩んだのです(笑)




私は、ずっとこの事について考えてきました。

もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。
もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。
ヨハネ15章


この事について、大筋は納得しています。

『キリストの背中』を見た事がありますか?もちろんありませんよね。
「私はそれを見た」と言う人があれば、嘘つきか妄想家か…聖霊によるヴィジョンのようなものかです。
前者2つは世の答えです。残るひとつは御国のものです。

もし、霊力やら超能力やらと言うのであれば、それは敵から来るものです。

キリストは手と足を裂かれましたが、背中もボロボロです。
額や頭部もそうですが。

「私の前を歩かれるキリスト」と、歌でも信仰告白や証でも、よくそれを口にします。信徒はね。
けれども、その背中の実態は、傷だらけで裂かれた皮膚や肉の(あと)でいっぱいです。




全然話は変わるのですが、ちょっと聖書を引用しますね。

なぜ、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。
ルカ6:46


というキリストの言葉ですが…

『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。


愛については、キリストからの命令です。

私には敵がいます。彼等の言葉と行為は憎みますが、彼等を愛してもいます。
しかし、私にも大切なものや守るべきものがありますから、彼等が自身の言葉や行動を正しいとしているので、私はこれを避けるしかありません。

そうですねぇ…

自分の可愛い子犬が、本来それを食べる事ができ、味わう事ができるはずなのに、取り上げて食べてしまう野良犬がいる。
この場合、どうしますか?

野良犬を追い出し、2度と入れないように柵を作りませんか?

野良犬への愛を示す為に、子犬への愛を疎かにして良いものでしょうか?

この狭間で『私の大好きなイエスさまが言われる愛とは?』を模索しているのです。ずっと。

クリスチャンの方なら分かると思いますが、これは道徳の話ではありません。




世の者と御国の為に取られた者は価値観が全く違います。
ですから、彼等が自身を正しいとしている事について、私は一生理解できないでしょう。
まぁ、世の基準に照らしても、彼等の正しさを私は見つける事ができないのですが。

耐えて見せても悟らなかった。沈黙すれば益々傲慢になった。私も、万策尽きたとなってから長いのですが、キリストは私に何を求めているのでしょう?

なんでも欲しがるものを欲しいままに与えた子供はダメになります。
ましてや、その事によって他の良いものが死んで良いでしょうか?

キリストの羊飼いは、羊を一匹をも軽んじません。何故ならそれはキリストの財産だからです。
それを死なせてまで、入り込む狼にもてなしをしなければならないでしょうか?

私にはその理由が見つからないし、それは愚かな行為に思えます。




ハッキリしている事がひとつだけあります。
どんなに嫌だと思っても、キリストが勧める事は、嫌々やるにしてもとりあえずやってみると言う事です。

誰が何と言おうとも聞かない事も、彼がいうのならやってみましょうと。まぁ、結局そうなるのです。

ペテロが網を下ろせと言われた時のように、私はこの問題の当事者であり専門家でもあります(笑 なりたかないけど)
だから、あれをしてみたけどダメでした。これもしてみたけどダメでした。と述べてから言うタイプですよ(笑)
「でも、御言葉ならばやりましょう」と。

人は口では何とでも言えるじゃないですか。
そして性格や性質というものは、そう簡単に変わるものではありません。
互いに接点を持たない事という解決策は、もう誰も傷つかない最善のものだと思うのです。
正直、私は私の人生を生きられなかったし、その後悔も消える事が無さそうなので、この重荷からさっさと解放されたいです。
posted by Mako at 04:27| 一人じゃないよ

2019年10月30日

よみがえった思い出〜隠れた法理〜

芸能事務所に所属する芸能人が、個人経営で事務所を設立。この会社が、納税義務を怠った事について、散々話題になっていましたよね。

その話題から、相当昔の話を少し思い出していたんですよ。




ある人が別の人と、弁当屋を開業すると言い出して、その話を聞いていた時の事です。

とりあえずは個人商店で、ゆくゆくは法人化という流れを聞いていた時の事です。

とーっても個人的な話になるので、詳細は省きますが、ここにこうして書くのだから、一般的に関係がある事を書こうと思うのです。




えっと…
先ず、個人経営にしろ株式の形態にしろ、個人でできる事を法人化する以上は理由があるわけです。
皆が察する通り節税ですね。

1人の個人の収入が2千万円あるよりも、2人の人の収入として1千万円ずつの所得にする方が、税金が安くなる。そういう事に似ていますね。

年間の収入が2千万円あるとしたら、1度会社の収入に入れてから、自分はそこから500万なりを給料として受け取る形にする方が得だ。こういう考えです。
会社の方は、結局自分の会社ですから、会社の収入として計上しても、自分のお金と大差無い感覚です。




注意しなければならないのは、個人経営の会社がですね、あまりにもその社長である設立者個人のものになり過ぎていると、何かの時に『法人格否定の法理』が働いてしまう事です。

例えばですね、ある配信者が「自分の会社を設立したよ」と言っています。
その人物が、外配信中に領収書を切ってもらう事があるじゃないですか。

カラオケ店やレストラン等、配信で使ったのだから経費計上したいって事です。
時には、美容室や、衣装代という名目で服を購入したりという事もあります。
単に昼食を食べただけなのに、それも経費用に領収書を取る。

こういう事をやっていると、設立した会社名義の領収書なのか、個人宛なのか、関係する会社や、当事者となる相手方には区別が難しくなるんですよ。

本当は仲間同士で飲みに行っただけなのに、営業接待という名目で経費にまわしたり… 色々あるじゃないですか。

『法人格否定の法理』が認められてしまうと、本来なら会社に代金請求すべき事が、その会社の社長個人に請求できるみたいな事になって厄介なんですよ。

会社のした借金の問題も、会社が持つ責任の域を超えて、経営者である社長個人に責任追求できるという事になってしまうのです。




私は、最初の話を聞いた時に「この人の考え方やばいなぁ」と思ったんです。
パートナーになろうとしている人が、その人を馬鹿で無知と見下していたのを、私は直接見て、聞いて知っていたという事情もあってね…

転んだら個人の借金が残ってしまう可能性しか見えないし、そのようなパートナーの場合、彼個人になすりつけて逃げる事もあるなと思ったんですよ。

それで軽く説明を始めたら、これまた(笑)
その人が私を馬鹿だと思ってるので(笑笑)
たいして聞く耳を持たないし、「皆こうやって成り上がっていくものなんだ。最初からきっちりやれるか!」と逆にクドクド言われ始めたのよ。

「めんどくさいな。体験しないとわからないタイプなんだから、やりたいようにやらせるべき。」と思ってから何も言わなくなりました(笑)




会社設立には種類があって、責任の範囲や方法も違って来るけれど、裏に隠れた法理のようなものが潜んでる事もあります。

YouTuberであり配信者であるみずにゃんが『合名会社』を設立したような事を配信で言っていたのをたまたま聞いた事があるんです。

どうして『合名』?とふに落ちなかったので覚えていたんですよね。

会社というものは、名目で別れるのはもちろんですが、社員同士のつながり方でも形態が変わるものなんですよね。
社員同士が気薄な関係では、合名会社は少し奇妙なのです。

彼は誰と起業したのでしょうね?

今、チャンネルのサムネイルを眺めてきました。
ん?『目指せ!えらてん !』チャンネルみたい。
どうしたんだ?個性出しましょうよ(笑)
posted by Mako at 06:43| 日記