2019年10月02日

定義 (2)



神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。
創2:7




神の定義の中編です。



これは、政治運動で有名な桜井誠さんが言った事です。
『聖書の神ほど、人を殺した神はいない。』
私はこれを聞いた時、2系統とその枝をとても大切に思いました。

配信者のみずにゃんは、オウム信者も名乗りますが(笑)クリスチャンを名乗る事もあります。
それで、時間のある時は時々聞いていた時期があります。彼はどの派か知りませんが受洗(洗礼を受ける事)しているそうです。

彼はこう言いました。「神が本当にいるのなら、どうして戦争や色々な悪い事が世にあるの?」

これを聞いた私は、『神』の定義が世のそれなのだなぁと思いました。




主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。


創世記2章にある聖書の言葉です。神と御使い(天使)は、人が造られる前からいます。天地が造られる前からいます。
その神『が』人を造ったのは、人と愛し合い交わる為です。

両者の見方は『人の善い事の為にいる神』つまり『人『が』創造した神』の定義を、創造主である聖書の神にあてはめているのです。
人の為に神がいるのでは無く、神の為に人がいる。つまり逆なのです。

家を建てるのも、料理を作るのも、道具を作るのも理由があります。
どちらが目的をもってそれを造ったのか?が逆になっているのです。
主権がどちらにあるのか?これが逆になった結果、彼等の言葉のような考えが出てくるのです。

生まれた時から世の環境がそうなっているので、仕方ない事です。

これは、クリスチャンの中でも起こる事です。聖書を理解するのに、少し厄介ものな思想なのです。

聖書の神を理解するのに、これらの考えを一度捨てると良いです。




聖書は、人が蛇の嘘に騙されて落ちた時から、ずっと(いにしえ)の蛇と神の、人の目には見えない戦いをしています。

神に成り代わって地を治めようとする彼等は、人と地、世を支配しています。
彼等の終わりは決まっています。滅びです。人を滅びに引き込もうとしている彼等から、滅びではなく生きる者とする為の戦いです。

長い時間がかかっているのは、人が、最期の1人が生まれるまで(命の数が満ちるまで)待っていると言えば分かりやすいでしょうか?

もうひとつ理由があります。あの逆らう者達に、完全な裁きと勝利をする為です。
だから、この(魂の)滅びからの救いは、神が人を大切に思うので、自ら行っている事なのです。

良い事をすれば天国に行ける。
悪い事をすれば地獄に落ちる。
これは嘘です。

わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。
創3:15


どちらの子なのか?これが別けるのです。




まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。
アモス3:7


この聖書箇所のように、そのように起こっています。

神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。
神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。

〜中略〜

神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。 それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。

創2:16〜


人が取って食べてしまったので死が人に入ります。
この箇所は2重の死という説もありますが、このまま進みます。

人は神に息を吹き込まれたので生きる者となった。
人は「食べたら死ぬ」と言われていたのに「食べた」ので死ぬ者となった。
神は人を助けたいので救いの計画を立てキリストを送った。

何故死ぬ実を置いたのか?は、そうですね。人の成長の為というのがわかりやすいでしょうか?
良い事と悪い事、安全な事と危険な事、人はこれらを覚えて成長するのです。ちなみに、創世記のこの木の実は、霊の為の食物と考えればわかりやすいかもしれません。けれど、そこもまた文章が必要ですから、ちょっと違うけれど、心の食べ物としましょう。

あるでしょ?良い実と悪い実が。悪い実を食べると、自分も人も傷つけたり、悪い事ををしたりするでしょ?

『前もって示されている事』は、現在も進行中です。




さて、イスラエルの民に視野をズームしていくと、2系統がどんどんハッキリしていきます。
私達の世には、この系統の分家の分家というように広がって伝わっています。分家はわかりやすくする表現ですよ。

神の契約の系統では無い方。これらの人々の街に、預言者が神に派遣されています。
「今悔い改めて神に帰らないと、この街は滅びる」と。

悪霊憑きと言うと、おぞましい外見の人のようですが、そうではありません。

あれらが入って収まる場所があるのです。そこが空洞になったから(本来あるものが死んだ)から、人は死ぬ者となったのです。
彼等は、そこに入るものを崇め、受け入れていました。

それをそのままにすると、他の人間に害が広がるので滅ぼされた。

ユダヤ人と言うと、聖書の主役のような存在なので、聖書の神にしっかり従っていたイメージがあります。

しかし、考古学者を驚かせるほど、偶像や異教の遺物が発掘されています。聖書に書かれている通り、彼等の神への背信は、多くて深刻でした。
それをもたらすのが、すぐ近くにあるこれらの街々なのです。

そして、そのような街々にも預言者が遣わされ、実際に悔い改めた例も聖書にあります。

聖書はこの事について一貫しています。このような街々には滅びが来ると。

また、主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました。
ユダ1:6


映画で『ノア約束の船』って言うあちら側の作品があります。これに出てくる見張りの者達(エノク書)のように、働いている霊達があります。
これと、これに従った人への裁きは滅びです。

「滅びる」と示されていたのに従わなかったので、滅びた。

そして、命、霊は神から出ているので、神の自由にできます。それの所有者は神なのです。
posted by Mako at 19:08| 聖書関連

定義 (1)



▲自宅にいるとき、よく鼻歌で歌っている曲です。この曲をふんふん歌いながらパン生地を捏ねたりしてます。パン捏ねにはピッタリのリズムなんですよ(笑)




先に例えを上げたいと思います。

まだアルバイトすらした事が無い学生。彼が「労働者の権利を守れ!」と政治運動を始めた。

政治運動に明け暮れた学生生活が終わり、いよいよ就職活動。ところが、政治運動をしていた事を理由に断られ続けた。「ニートになるしかない」とつぶやいていた頃「きみ、就活中?学部は?うちで働く?」と、いかにも人の良さそうな人物が声をかけてきた。
他に就職先も決まらないので「ありがとうございます!」と礼を言い、その会社で働く事を決めた。

出社1日目の朝「新入社員を紹介する」と皆の前に立たされた彼は、大きく息を吸い込んで言った。
「今日からこの会社で働きます。まず気になった点をいくつか。業績右肩下がりですね。大丈夫っすか?まず方針変更をすべきです。」
まだその会社で働いてもいないのに、その会社の問題点を並べ上げ、自分が正しいと思うアレコレも述べ始めた。」

学生時代から就職先でまで「なんだこいつ?」って思いません?

なんの話がしたいのかと言うと、『神』の定義です。今回は前編です。




山や海、空の上にある天体の神ではありません。天地万物を造り、宇宙のさらに外にいる創造主である聖書の神の話をしています。

もうひとつ。

やっと歩く事が出来るようになった幼子が、育児方針や教育について意見をする。「自分は間違った事は言っていない」とも言った。

人が思う『神とは』に、人『を』造った神の定義がいつも無いので困ってしまうのですが、聞いているとこれらの例えのようです。

この世で生きていく為の善悪を『神の善し悪し』の判断材料にします。
『神とはどういう者か』『神とはどうあるべきか』を勝手に定義しているのです。

そして、その基準はとても厳格で、基準を満たさなければ落第します。
この事の考えられる原因はただひとつです。
人『を』造った神では無く、人『が』神として崇めると決めたものを神と呼ぶ風習がある為です。

この習性や習慣は、クリスチャンでもなかなか抜けません。長い時間、時代をかけて染み付いているし、周囲の人もそうなのです。

聖書から引用したいのですが、長いので一部にしますね。


知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。
さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。
わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
あなたは知っているか。だれがその大きさを定め、だれが測りなわをその上に張ったかを。
その台座は何の上にはめ込まれたか。その隅の石はだれが据えたか。
そのとき、明けの星々が共に喜び歌い、神の子たちはみな喜び叫んだ。
海がふき出て、胎内から流れ出たとき、だれが戸でこれを閉じ込めたか。
そのとき、わたしは雲をその着物とし、黒雲をそのむつきとした。
わたしは、これをくぎって境を定め、かんぬきと戸を設けて、
言った。「ここまでは来てもよい。しかし、これ以上はいけない。あなたの高ぶる波はここでとどまれ」と。
ヨブ38:9〜11節


これは、ヨブとその友が、善悪について、罪と義について議論したところで(しゅ)(神)がヨブに語りかけた事の一部です。

「知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。」
これはヨブというよりも人です。人の中でもヨブはマシな方なのです。

『神』を知るには、神と定義づける考えを全て捨てなければなりません。
理由は、 人が定義付けできる神とは人の創造物だからです。

この世界観から抜け出して考える必要があります。
posted by Mako at 09:01| 聖書関連