2019年10月03日

懐かしい写真いぱーいで

クラウド整理全く進まず…たらーっ(汗)


これね、iPhone のアプリで、作文(試験対策)の練習用に日記を書いてた時のスクショ。

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手書きができるし、アプリだからどこでも書けるし、ちょー便利だった。携帯に手書きだと字が汚いでしょ?誤魔化す為に太ペン使ってたの。勉強始めたばかりだから、相当文法おかしい時代のやつ(笑)

聖書ってしおりが結構必要じゃない?みことばカードとか挟んでると、いっつもそこばかり開いちゃってウザイ。それで、レース糸が余ってたのでしおりを編んだのよ。聖書には厚かったよふらふら

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今はペーパーバッグ系に挟まってると思う。多分。最後に見たのがいつかすらわからない。

これはね、勉強に使ってた六法。懐かしいわーい(嬉しい顔)

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六法は紙が薄いから、マーカーペンが使えないのよ。裏に滲むの。だから、色鉛筆を塗って勉強してたんだよ。特に判例。例えば…


例えば『青い鳥判決』を例に取ると…


被告である夫に至らない点があったことは否定できない。しかし、今なお 原告との結婚生活は 継続可能と考えられる から、原告と被告、殊に被告に対して最後の機会を与え、 二人でどこを探しても見つからなかった青い鳥を身近に探すべく ー、じっくり腰を据えて真剣に気長に話し合うよう、一切の事情を考慮して 婚姻の継続を相当と認め本訴離婚の請求を棄却する 次第である


ちょっと雑だけどこんな感じ?で色をつけてた。赤は争点。青は結果。下線は、実際には赤ボールペンで判決の特徴や決めてとなった事柄等。その他審決の決め手等に他の色って感じにして再現してみた。

これ、夫のDVや育児への無関心を理由に、妻が離婚を求めた裁判の判決なの。
裁判所は「もう一回旦那さんに機会をあげてよ、ね?奥さん」って判決を出したんだけど…
判決文に『2人で青い鳥探せ』ってなんやねん!って理由で有名になったの。

判決文って肯定したり否定したり。否定を否定したり。
こんな感じよ。
「AではないがAと言えなくもないのであって、しかし、Aと認めるとB、Cにとってなんちゃらかんちゃらなので、Aと認めるわけにはいかず…」
ちっ(怒った顔)キィー!ってなるでしょ?(笑)
だから、1度目に読む時に色分けしちゃうのよ。
そのクセをつける練習で六法にも色塗ってある(笑)
まだどれに何の色か決まってない時のやつだよ。これ。

クラウドのアルバムは懐かしいのが多くて全然整理できないっすねー。
posted by Mako at 22:41| 日記

ペヤングの辛さ基準高いw







想像するんだ
鏡に映る自分自身を愛せる
そんな自分を
そんな自分を想像してみるんだ

怯えることなく 安全な場所で
やっと僕も幸せになれる
そんな自分を想像しちゃう

僕を傷つけた人達の事は もうほっとこ
だって… あの人達は僕にふさわしくないから

そんな僕を、きみは想像できる?
僕の自由を縛ろうとする全てを拒否して
ただ、あなたが教えてくれたことを思い返す


神さま、そんな僕を想像できますか?
母から言われ続けたことを乗り越え
父から受けた暴力から癒され
僕は生きたい
もう過去を振り返りたくない

想像してみるんだ
神さまを信じて生きる自分を
ようやく僕も、そんな自分が見える

想像してみて
愛されることに 自信が持てなくて
愛を信じるのが難しかった
でも…ようやくわかったよ

強くなって 誰にも負けない自分
もうお前らの好きにはさせないって
そんな僕を想像できる?
誰も怯えること無く生きられる世界
あなたの愛が全ての不安を 拭い去ってくれた

そんな僕を想像できる?

疲れたので以下省略(笑)






ペヤングのカップ麺が好きなのよ。
辛口味噌味が出てたので、買って食べてみたわけ。

さすがペヤング。
辛さに厳しいね(笑)
私には丁度いい辛さだったけど、お子さま向けじゃーないわw

ペヤングが辛いって言ったらガチで辛いよねわーい(嬉しい顔)

posted by Mako at 19:46| 日記

定義 (3)






「聖書の神ほど人を殺した神はいない」と言う事に対して、本当なら「いや、そうじゃないんですよー」と言いたい気持ちはあるんですよ。
でも、神の御思いやはかりごとは、私1人が、いえ、人が束になったって、その本当を言えないのです。
「パパ」「ママ」とやっと言えるようになった子が、親について語るようなものですから。

だから、それについて『情報』として知っている事を語るしかできないし、それ以上の事は嘘や憶測になってしまいます。
「私の言う事を信じる?」と誘惑する新しい宗教のようなものです。




で…

「そのままでは滅びる」と聞いていたのに神を拒否した人々(町)。
彼等の中で何が行われていたか?

色々な古代宗教を調べると色々わかってきます。現在ある多くの宗教は、これらを行なっていた人々の宗教が祖です。

『アステカの祭壇』って聞いた事あります?現代では、人身御供の代表例のような単語です。

娯楽は、神々に捧げるものとして、どちらかが死ぬまで戦わせたりしていました。
モレク(カナン人系の神々)の例赤子を神々への奉納物として火の中に入れ、それで聖なる像を作ったりしていました。

滅びに定められた霊達と交流し、受け入れ、不自然な性(同性同士、乱行行為、レイプ)にふけり、その儀式や生活習慣に従わない者は罪人です。罪人は、猛獣に人を追わせて食わせたりして、それを娯楽として楽しんだりしていました。
「助かれば神の意志、食われれば神の意志」という裁き方ですね。

その町が滅びるまでに、相当の猶予があるのです。
罪がその升目を満たすと、天に届くと、神の介入として滅びが来ます。
その間に、預言者を遣わしたり、神の選ぶ人を起こしたり、色々な方法で悔い改めに導こうとします。

ノアの洪水以前は、人の寿命もとても長ったのです。
だから、神が待つ期間も長かったのですが、地は暴虐で満ちました。
ノアの一家以外は助からないまでになりました。

聖書の神について、出自が近くなるほど『滅び』がやって来るという宣告を受けているのです。

彼等の暴虐を放置して、人々が殺され続け、赤子が生きたまま焼かれるのを黙って見ていたら慈愛の神なのか?
何もせず見ていたら、善い神なのか?
人によって考えも答えも違うでしょう。それをどう捉えるかについて、私は何も言えません。

神は、そのようにして(けが)れた人々や、殺された人々が、死んだ後どうなるのか?この事も神は知っています。私は知りません。

この問題をどうまとめるかと言うなら、そのままでは滅びが来る事は、それが起こる前から人々は知っていたのです。

現在もそうです。
『罪から来る報州は死です』
『イエスキリストを信じる者は救われる』
『666の獣』
長い恩赦の時間が過ぎると『滅び』がやって来ますが、色々な言葉や形で、前もってそれを聞いていたり目にしています。




神に逆らう、その逆に人を向かわせる(いにしえ)の蛇は、訴える者と言う呼び名も持ちます。

人を騙したり、そそのかしたりして、逆の道を行かせますが、それを神に訴える者でもあるのです。

「あいつの事は良く知っている。」
その通り、騙すのも試すのも彼と彼の子達ですから良く知っています。

「あの木の像に自分の息子を捧げた。」
「あの男は毎日隣の妻と寝ている」
「昨日あの女は嘘をついた」

味方のように近づいて、破滅するまで神に罪を訴える裏切り者です。




食べても善い実と、食べてはいけない実は、人に治めさせる社会への自治権を育てる為のものでもあります。

家庭を治める母は、母としてそれを治めます。彼女は家庭内の一切を治めます。家族の健康管理、必要な事の準備、育児、介護、来客の持て成し、色々あります。
善い悪いを知らない母が治めれば、秩序は無くぐちゃぐちゃです。

家を治める父は、家族の問題やトラブル、方向性や外敵からの保護、母よりも大きなテーマを治める分だけ責任も重くなります。
母が手に負えない子供達の揉め事を裁く事もあります。

会社を治める者、グループを治める者、畑を治める者、色々いますが、人を個人として見た時に、生まれつき人が治めている者があります。
それが心です。

心が健全であるかどうかは身体や社会にも影響します。
そして、それが大事である事は皆が知っています。
傷つけられる事は嫌だし許せないし、だから人を疑います。

そしてですね、その心を善い正しい状態で治める為に食べてはならない実を食べてしまった影響が、現代人にまで続いています。それが、よく聞く『原罪』です。

家庭ができる前は、妻と夫がひとつになる必要があります。その結果子が産まれる。
これは、個々に持っている大事な心がひとつになると、子を持つ準備ができるという事です。
子もまた、親とひとつの者として出るのです。

私は心をあるものから言い換えました。『霊や魂』です。
霊や魂が無ければ人ではありません。ゾンビです。偽造品です。

傷つけられれば死んでしまう大切な命と命がひとつになると、新しい命が産まれる。
このように人は造られているので、性的不品行を、人を造った神は大変嫌います。
何故なら、命は神からのものだからです。人と神がひとつになると、人は生きたものに(新しい命)になります。その模写のようなものなのです。

聖書にある、例えば『殺してはならない』は、人の考える善悪や道徳ではありません。
神から来て、人と神がひとつになると産まれる命を殺してはならない。これは心も密接で、心を傷つけてもいけないのです。
心が死んでも、人は死ぬからです。肉体だけが生きているようでも意味がありません。
それは人の正しい形では無いのです。

『殺してはならない』の他に『生きよ。死んではいけない』とも書かれています。
これは自殺だけを意味せず、自分の心や霊を(けが)したり、傷つけない事も含みます。

話を戻しますが、滅ぼされた町や人々は、このような形で、肉体は生きていても死んだ者となっていたのです。そして、人殺しでもあったのです。
ノアの時代では、ネフィリムの共食いもありました。


posted by Mako at 07:34| 聖書関連