2019年10月05日

時間は貴重!

人によってパターンは違うし、色々細かい事がそれぞれにあって…
どう言うべきか、何が言えるのかわからない事は多い。




普通、好きな人ができたら?身辺に女っ気が無い事や男っ気が無い事をアピールすると思うの。相手に対してね。
その逆をする人は、自分が愛して欲しいだけだと思うの。

ましてや、交際相手や、夫や妻であったりする場合は、特に気をつけて見なければならないと思うの。

『嫉妬させようと思って』『愛情を試してみようと思って』
軽率に考えて言った事は、相手の思い出として深く刻まれるから。

愛する人に愛情が無いと言われたり、他の男性や女性の方が良いと言われたら、尋常じゃない傷を受ける。
『嫉妬させようと思って』『愛情を試してみようと思って』
こんな軽率な言い訳等何の役にも立たないほどの深い傷を受ける。

好きな人ができたら、女っ気や男っ気の無い事を相手にアピールする。これとは逆ですね。

「お前じゃなくても」「あなたじゃなくても」
それを告げられる方は、その言葉と態度の通り理解する。

『嫉妬させようと思って』『愛情を試してみようと思って』
これは、相手を深く傷つけてまでやる事じゃない。

ペットを相手に、それでも尻尾を振るか試すのは、相手の尊厳と人格、心の深いところまで傷つける。

自分が満足する為に、勝手に「相手が傷つく事は仕方のない事だ」と考える人には、気をつけた方がいい。




受けた傷は完全には消えなくても…
相手が言った呪いのことばは、どこまでも追っては来ない。

否定する言葉も、行為も、人を支配できない。できるとすれば、その傷の痛みに嘆いている時間だけだよ。

繰り返しフラッシュバックしても、自分がその言葉や行為から離れるほど効力が薄れていく。

「力強く思えたあれは何だったのだろう?」そう思うようになる。
大きな物のように扱ってはいけない。それは愛を知らない小さな物から出た矢のようなものだ。
大きな者は、人の心を奮い立たせて感情をコントロールしようとしたり、試してその結果を見ようとは思わない。
小さい者だからそれをせずにいられないし、いつも不安だから試していないといられない。

人を傷つける人というのはそういうものだ。
自分が小さい者である事を自身で証明しながら大物のように振舞って恥を着る。




良い悪いの話をしているのでは無い。
そうだなぁ…

誰かに傷つけられたら、一緒に悲しんだり、憤慨してくれたり、守ってくれたり。
そういう人と一緒にいなさいってこと。
友人でもそう。
心が傷つくと、傷つく前の自分には戻れないから。受けた傷は、ずっとそこに残るから。
傷を癒す為に、嘆いたり悲観したりする時間は必要。
でも、早く立って、歩いて、新しい輪を探す。そうしているうちに気にならなくなるまで回復するチャンスは掴める。

悲観して、その時間があまりに長いと…
そのチャンスは減る。
それは心にも、自分の生きる時間にも良くないから、長く無い方がいい。

人は生まれたら必ず死ぬ。
それがいつかはわからない。

嘆きに明け暮れたまま来るかもしれないし、立って歩き出した途端に来るかもしれない。

1度しかない人生で、時間を無駄にするのはもったいない。
傷つける人はどこにでもいる。けど、それを負わなければならない理由は無いし、そういう人は、また傷つけてくる。
1度目、喧嘩にもならず、嫌われもせずに済めば、次はもっと深く傷つける。そうやって少しずつ、前回よりも深い傷をつけてくる。

それにつきあってると、自分が壊れてしまう。
自分の事、大事にしないと。

「誰も私の事をわかってくれない」と言うなら、じゃあ、1番よくわかってる自分がいたわってあげないとね。

私は、だーいすきなイエスさまに慰めてもらってるから、ズルしてるようなものだけど…
悔しさも、悲しさも、心の痛みも、多分、キミが考える以上に理解して…寄り添ってあげられると思うんだ。
私もたくさん、その道を通ったから。

posted by Mako at 15:04| 一人じゃないよ

胸肉かササミか?





ここ数日、胸肉を使うかササミを使うかで悩んでます。
作りたいものは決まってるの。柿を使った料理。

秋が深まって冬が近ずくと、食材が減るじゃない?
柿は貴重な時期の果物なのよね。抵抗力をあげてくれるから、風邪をひきやすい私は早めに食べ始めたいのが柿。
問題はね、フルーツとしての柿が嫌いなのふらふら

ジューシーじゃない果物ってさ、アボカドもそうだけど…
果物として食べられないのよ。果物として食べると、美味しくない物って舌や体が認識しちゃうみたいあせあせ(飛び散る汗)

でも、食材としてなら… 私の舌も体もOK出すのよ。

柿を使った料理。その為に使う食材として、胸とササミで悩んでるの。
そういえばササミってアメリカには無いらしいね。アメリカでは捨てちゃう部位なのかな?




私のドライアイが本当にひどくてね。その原因はアレルギー性鼻炎。それが元の元。原因の大親分なのよ。
いつまでも治らなかった結果、目や耳や他の事に影響してるの。

あさりは美肌が強調されやすいけど、末梢神経や眼精疲労に効くのよ。
冷凍したままのあさりがあるから、それで何か作って食べようかなぁ?とも考えていて…
胸肉かササミか決まらないので、あさりを食べてやり過ごしちゃおうかな?週末。
いや、週末に柿のレシピで更新する予定だったんだぁ…




決まらないので来週にしようかなぁ?
posted by Mako at 12:42| 料理の予定

定義 (7)




Koji さんのとこの楽譜見た事ある人います?直接知らないし会った事も無いので、ライフミュージックを通して購入したんですよ。 『Joy! 主を喜ぶことはわたしたちの力』のCDと一緒に購入したの。

「なぁ〜んじゃこりゃぁ〜???」

本当にこの言葉が出ましたですよ。楽譜を見て。
コードで言えば分数だらけ。9やら12やら乗っていて、7なら2度ですむけど12って?とルート音から数えたりして…
結局、鍵盤の人は良いけど、弦楽器ではメロディーか伴奏に合った代替えを使うしか無いなぁと思いました。

完全な gospel choir music なので、1オクターブ低い歌声がベースになっているでしょ?
だから平行調のコードを探してハモらせるのが綺麗かと思ったの。
けれど、分数和音だからベースが合わなかったりしてね。

「めんどくさ!やーめた!」って思った(笑)
えっと、こーゆーとこよ(笑)たぶんねw
私が音楽関係の賜物をいただけなかったのは(笑)

小さな事への忠実さ。育たないまま今日まで来ちゃった。でもね、神さま、色々な面で能力を少しずつ底上げしてくださっているので、なんとか生きてます。

でも私はね、こうやっていつまでも手のかかる子でいるのがね、私は楽しいの。
そうやって手をかけていないと、神が見えなくなっちゃうのさぁ。




さて、『定義』でひとまとめにしたので、テーマ的には長くなっていますね。

前回の投稿ではイエシュア(イエス)は誰なのか?の道筋を書いたつもりです。


  • イエスは神の 御心 (みこころ)を全て成し遂げる神のことばです。

  • イエスは、受肉(じゅにく)
  • する為に(くだ)ってきた神の霊です。
  • イエスは天地万物の創造主です。

  • イエスは新しいアダムです。



イエシュア(イエス)は誰なのか?
これに必要なポイントをあげてみました。

イエシュア(イエス)は誰なのか?が神を父と呼び、信仰者として過ごした事は…
多分、これを理解する事に(つまず)きを与えると思います。

ですから、1度イスラエル民族の定義を整理した方が良いと思うのです。

その前に2系統のひとつをもう1度みてみます。今回はエノク書の定義です。




聖書を世界の時間軸、民族史、宗教史と一緒に遡ると2系統に行き着きます。

カインとアベル。そして、その生みの親であるアダムとエバ(英名:イヴ)です。

しつこいようですが、もう一度同じ聖書箇所を引用します。


わたしは、 おまえと女との間に、また、 おまえの子孫と女の子孫との間に 、敵意を置く。 彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。
創3:15


このとき発せられた神のことばが、現在でもそれを成し遂げ続けています。

カインの系列ですが、古代に向かって遡れば、神殿娼婦がおり、神々の1人に捧げられた処女がいたりしますね。
神々に捧げられる処女については『エノク信仰』も無関係とは言えないと思います。

後に神々と呼ばれる『天使』と人の女の性的交わり。その結果で誕生する子供。これがテーマになっています。
という事は…
これはあちら側の書物です。
カインの系列そのものと合致する書物ですよ。
同じじゃないですか。

それなら一応聖書を探してみましょう。


エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。
創5:24


このエノクはノアのひいおじいさんに当たる人です。
しかし、その前からネフィリム(偉大なる人物、力ある勇者や英雄として語り継がれる者)はいました。

だからもう少し遡ります。


カインはその妻を知った。彼女はみごもり、エノクを産んだ。カインは町を建てていたので、自分の子の名にちなんで、その町にエノクという名をつけた。

創4:17


カイン系列と合致する内容で、神と堕天使の仲介者として活躍する、あのエノクのストーリーは、2系統のカイン側のものだと私は考えています。
クリスチャンの中にも、エノク書を重要視する方がいらっしゃいます。しかし、私はこれに反論します。

また、もし御使(みつか)いと人の女が交わっても子は出ません。これについて私は断言します。絶対に子は生まれません。
何故なら、人の子は、父となる男の精・母となる女の胎がひとつになる事で、神が命を吹き込む介入があって生まれるからです。

神が望まずに生まれた命は、この世にひとつも存在しません。
どんな大罪人でも、大量虐殺をした独裁者でも、神が善い子が生まれる事を願って組み立てるのです。

ダビデはこう歌いました。

生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。
詩22:10

たとい私が「おお、やみよ。私をおおえ。私の回りの光よ。夜となれ」と言っても、
あなたにとっては、やみも暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです。
それは あなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。

詩篇 139:11〜13


天使達と人の女が交わっても人は生まれません。
そうでは無く、霊的姦淫を人同士の淫行を神事として現してきたのだと私は言います。
それなら人は生まれます。

霊的姦淫の結果生まれる者達は、霊の穢れを負わされて生きる事になります。
そもそも両親の愛がありません。
神々と呼ばれるそれの為に行われる性行(神事)です。
ですから、命が穢れているのでは無く、血統が穢れているのでは無く、霊的姦淫が人を穢すのです。それを神話にしたエノク書は、あちら側の書物です。

まぁーね。読んで面白いけどね(笑)

ですから、何かしらの資料としては役立つ事があっても、信仰には役に立ちません。
聖書を理解するにも役に立ちません。
そんな事に気を取られる暇があるなら、賛美をしたり、神の家族との交わりを楽しむ方が有益です。

聖書は謎解きの書物では無く、虚しい理論を構築する為の題材書でも無いのですから。


posted by Mako at 09:09| 聖書関連