2019年10月08日

一旦終了






メシアニックジューが増えてるじゃないですか。
迫害されながらも、ユダヤ人の救いを祈りながら生きてる。

イエスキリストを信じたキリスト教徒よりも、聖書に密接で、よっぽど詳細に詳しい。

彼等がイエスキリストをメシアだと考える事が出来なかったのは、教師達が教えを曲げたから。
ちゃんと聖書を読めば、ちゃんと知れば、彼以外にメシア(キリスト)はいないとわかる。

霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。

だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。
なぜなら、 まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ない からです。
彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。

私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話しておいたのを思い出しませんか。
あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現れるようにと、いま引き止めているものがあるのです。

不法の秘密はすでに働いています。 しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めている のです

Uテサ2:2〜7


まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ない』

いつも、腹の中にあれに属するグループを抱え込んでいた組織を『キリスト教の総本山』と、都市伝説を語る人々が名指しするのはいつもローマ・カトリック。

イエスの磔刑は、ユダヤ教の教師達の取り調べと採決の後、ローマ帝国が行った。
祭祀達の手により、世の支配者を象徴するローマ帝国が行ったのは、非常に意味が深い。
罪状書きもそうだけど。




聖書をテーマに語るし、聖書の登場人物についても適当な事を言うけれど、本当に聖書を知っている人の話は聞かない。
勝手に真実の歴史ぐらいに考えている考察とやらを支持してる人々に、神輿のように持ち上げられれば良いらしい。

「彼らは何をしているのかわからないのです」
の部類に入るのかしら?

彼等が彼等の責任で行う事は別に良い。でも、イエスキリストのキーワードでそれに騙されちゃった人がいたら…ちょっと…




以前、よく視聴していたYouTubeチャンネルに、ちょくちょくコラボ出演する女性がいたの。

私は彼女がとても苦手なタイプだったんだけれども、コラボで彼女がいると、誰のチャンネルを視聴しにきたのかわからない状態になるの。

彼女のチャンネルを見にきたんじゃないのに、それを見せられてるみたいで、ますます苦手になったのよ。

チャンネル主がどんな動画をUPしていようが、それは本人の自由でしょ?
嫌なら視聴をやめる他無い。

都市伝説のチャンネルもそうで、不快だったり嫌だと思ったら視聴しなければ良い。

『イエスの正体』のサムネで「この人まだキリストの冒涜やってるんだぁ」とつい再生しちゃったんだけど、苦情を言うのもなんか違うしねぇ…

そのチャンネル内は、そのスペースを借りてる契約者の自治の場だから。仕方ないよねぇ。
それに、そういう事が次々と起こって時代が進むわけだし。

先に書いた人達の方は、チャンネル動画の一覧を少し前に眺めたのよ。
やめるとかやめないとか、その女性が言ってたので。どうなったのかなぁ?と。
よく見ていたチャンネルの主が一緒に写っているサムネイルがあるズラーっと並んでたけど…
あれじゃまるでセクシービデオの男優(汗)

もう見ていた事も忘れたいと思ってしまった。恥ずかしくて人に言えないわ。視聴者だったなんて。




都市伝説で使われたキリストとその中身、聖書とその中身が気にかかったら…
また書くかもしれない。
今は、迷いが出てきたので、一旦終了する事にした。
posted by Mako at 17:49| 聖書関連

真逆の定義から思う事

逆、逆、逆、そして逆…
ひとつずつ拾って考えてみると、聖書が示す道、善悪、人の素晴らしさ、人の悪…全部逆だなぁと思い知らされた気分です。

天にあるもの、地にあるもの、水にあるもの、これらに祈るような行為、崇拝するような行為は、妻が夫を捨てて別の男に走るのと同じ行為なんです。
子が家出をして 勝手気儘(かってきまま)に、親の財産を浪費するようなものなんです。
世にあるものは、人が親から受け継ぐ財産のようなものだからです。


息子は父親を侮り、娘は母親に、嫁はしゅうとめに逆らい、それぞれ自分の家の者を敵としている。
ミカ7:6


ミカは預言者イザヤの頃活躍していた預言者なので、紀元前8世紀頃に書き記された書ですね。

現代では…
親が子を虐待し、夫が妻を虐げ、妻が夫を侮り…
人って変わらないですね(笑)

人が神を蔑ろ(ないがし)にして、自分自身が良いと思うものを選ぶという『善悪を知る知識』の実の効果を味わい続けています。

聖書で言う『罪』を、英語で言うと『sin』。中央に『I(アイ)』が来ているところがピッタリとその中身を表しているとよく言いますね。

ラテン語と同じ単語を使うイタリア語では『 peccare (ペッカーレ)』です。i のような意味合いのものは入りませんが、前半の『pecca(ペッカ)』は、『 罪過(ざいか)』です。英語では『sin』のままかしら?


しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、 −−あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです−−
エペソ人2:4〜5

【イタリア語】
anche quando eravamo morti nei peccati (nei:前置詞 in 複数形、peccati: peccato(peccare)複数形), ci ha vivificati con Cristo
‭‭
【英語(KJV)】
Even when we were dead in sins , hath quickened us together with Christ,



KJVですが、やっぱり sin のままなんですねー。




  • 「私が決める。」
  • 「私が選ぶ」
  • 「私を信じる」


基本はこれなのだけど、これの何が悪いのかわからない教育を世はするのよね。
これを正当化する文言を並べたのが啓発系だね。

軸が自分なので相手が居ない。
相手の為に良かれと思ってする事も、自分から始まり自分に帰着する。

親が子に、
「あなたの為を想って言ってる・やってるの!」
と言っても、子は見透かしたように言う。
「自分の為のくせに!」

自分にとって相手にどうあって欲しいか。これに欠けがあるとそうなる。
帰着する結果も、自分が考えるどうあって欲しいか。これに合わないものは受け付けないので、暴力や抑圧で押さえつけようとする。

相手の存在すら自分の為。これが集まって家庭を作ると、聖書箇所のようになる。家の中に逆らうべき相手、ねじ伏せておく相手、つまり敵がいる。

家庭ですらそうなのに、これが地域や社会と広がれば…
今のようになるのは避けられない。

個々が「善いものを望んだのに」と言っても、それは実現されない。
社会が広くなっても「自分の子供には善いものを」「自分の家族の食べる分を」と、やっぱり『自分』が立ちはだかる。
これが集団になって衝突し合うと、紛争や戦争になる。

けれども、こんな時には人の口から神が登場する。
「神がいるなら、どうしてこんな世の中なんだ?」

こんな状況を作る事で肥えている人々が創造した真逆の真理を、懲りもせず、飛びついて受け入れる。
さらに世が悪化する。

聖書の預言通り進んでる。




霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。

だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。
なぜなら、 まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ない からです。
彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。

私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話しておいたのを思い出しませんか。
あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現れるようにと、いま引き止めているものがあるのです。

不法の秘密はすでに働いています。 しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めている のです

Uテサ2:2〜7


「キリストは2人いる」とか「キリストが〜から生まれる」とか聞くことになる事も、クリスチャンが先に知らされている通りです。
必ず起こる事が起こっているだけです。

『背教』を引き止めているのは、同じ所属のクリスチャンです。それが居なくなると、そのステージの幕が開きます。
黙示録の時代です。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネ3:16


滅びの子のために用意されたところに、相応しくないように造られたはずの人が、1人でも永遠に入れると良いですね。

マラナータ。アーメン。
posted by Mako at 08:05| 聖書関連