2019年11月04日

1+1=2?の話。

差別や人権侵害の禁止が採択が国連総会で採択され、国際条約が結ばれ… こうして『差別しちゃダメ』『人権侵害しちゃダメ』と『民主主義』の『自由』に制限をかけるのは、それをする人がいるからなんだよね。
そういう人がいるから『制限』がかけられる。これは、現在の『コンプライアンス』という縛りにかけて『自粛』をさせる社会を作り出している要因でもある。

『ヘイトスピーチ規制』だって、「わざわざ規制させる為に『差別的表現』を繰り返した人がいるんじゃないか?」そう思えるほどに加速して行った。

おかげで、全体が注意を払わなければならない事になりました(笑)




「ヘイトスピーチ規制」を例にあげると、法整備の本質としては、『弱者救済』が根になければならない。弱者の受けている人権侵害から弱者を守るのでなければ、それは一般の自由制限でしか無いのです。どう言えば良いのかな?
例えば『マイノリティー(少数派)』を『マジョリティー(多数派)』が、差別する。マジョリティーはマイノリティーよりも声が大きいし影響力がある。これからマイノリティーを護る事をしない国家は、国家としての任を果たさない、極端な言い方をすれば『文化的生き方を捨てた野蛮人国家』となってしまう。

かと言って、『マイノリティー(少数派)』を優先して『マイノリティー(多数派)』を軽んじては、『民主主義国家』を捨てる事になる。

このバランスをうまく取らなければ、護られた人権と自由主義の国が続く事はあり得ないのです。




昨日私は、この言葉を使いました。「1+1が2になるとは限らない。」
これは主に『人間社会の経済活動』に使われる言葉です。

算数では1+1=2が正解です。逆に2-1=1でも正解です。これは絶対的正解ですね。
でもそれは、算数の計算では正解でしかありません。

例えばですね、あるアイドルの歌唱力がズバ抜けていたので歌手デビューさせた。
1週間で50万枚CDが売れた。気を良くしたレコード会社は、もう1人歌の上手いアイドルとユニットを組ませた。CDの売り上げは1ヶ月でで35万枚だった。勢いが落ちたので焦ったレコード会社は、今度は超美人のアイドルをユニットに新しく入れた。CDは1週間で80万枚が飛ぶように売れた。

これが『1+1=2では無い』事の例です。

アイドルにアイドルを追加したのだから2倍にならなければならない。これが算数です。3人になれば3倍にならなければならないのです。算数の世界では。

始まりは1人のアイドルの歌唱力ですから、次もその次も歌唱力で入れなければ1の単位も揃いません。
最後には顔で選んだ1を追加していますので、音楽というジャンルだけでは増えない買い手を確保する事になります。いわゆる、「市場を広げた」という事です。
1に対して1追加したら、同じジャンル(客層やファン層)の1でなければ、正しい計算ができません。

1に1を足すなら、同じ1でなければなりません。そして同じ1を同じ1の中に入れても答えは1x1=1になってしまうし、新しい市場が無い=0なので1x0=0になってしまうのです。

こういう事を昨日私は話していました。

最近良く言う『ブランディング』は、この1にプラスアルファする事です。「中古の本屋で見つけた漫画をヤフオクに出したら、倍以上の値段がついた。」というような、本来の価値にプラスアルファした付加価値を追加するような事ですね。
その付加価値がプラスでもマイナスでも、本来の1の価値は生み出さないのです。ですから、ブランディングが入っただけで、その1は他の1と並べて計算できないものに変わります。

1+1=2とは限らないと言うよりは、2にできる事の方が稀で少ないのです。




1+1=2とは限らない。これも絶対的真理ですが、1個のりんごに、買い足した1個のりんごを加えれば2になります。
2千円しか持っていない人が、誰かに1万円貰えば1万2千円持っている事になります。
つまり1+1=2もまた真理です。

常に「1+1=2とは限らない」なんて考えていれば、自分の財布の中身すら数えられなくなります。
1+1=2もまた真理なのです。

要は、何をあてはめて考えるか?によって全く違うのです。
1万2千円に増えたお金ですが。
もともとの紙幣に旧1万円札が加わったのだとすれば、1万円以上の財産が財布に入っている事になります。
しかし、それは1万円として取引される場に出せば、それは1万円のままです。

勿体無いからと、価値通りの価格で買い取ってくれる場所に持って行けば、一万円以上の価格で買ってもらえます。
しかし、コンビニでの支払いにそれを使えば、1万円のままで計算されます。

1万円以上の価格で買い取る業者に「いやいや、これは1万円ですから!」と言っても、
コンビニで「いやいや、この札は1万円以上の価値がありますから!」と言っても、
場違いで通らない理屈になります。

何が言いたいのかと言えば、1+1=2の真理は、どこの場面でも通用するものではない。1+1=2とは限らないも同じです。
それに見合った場所や市場によって考えなければならない。これもまた真理なのです。




「自分は正しい事を言っている」と、他人に意見を押し付けたり、制裁を加えたりしている人の多くはですね…
1+1=2でしか無いんだ!と言っている人に似ていると思うのです。
そして、自分の欠点や間違いが指摘されそうになると「1+1=2とは限らないじゃないか!」と言うのです。他人にはその理屈を使わせないし与えないのに。

この原理が差別に繋がっているように思うのです。

私はこうも考えています。
このような人が減らない限り、本来は不必要だった制限が増えていくと。

んー。ちょっとね… 迷惑です(笑)
posted by Mako at 22:25| 日記

素朴な疑問-差別と「育ち」

先日YouTuber板を覗いた後、スレチ荒らしさんがいたのでNGに放り込んだら、ずっとその人が書いていて「こわっ!」って思って立ち去ったんだけどさ。
そこのスレのタイトルになってる2名は、よく「育ちが悪い」って言葉を使うのよ。

そのうちの片方は、頻繁に下ネタを言うし、動画でも配信でも、放屁をよくするのよ。
でも、他者の事で「育ちが悪い」って言葉を使うの。

それで、最近の定義では、どのような人を指して「育ちが悪い」と言っているのかがわからないのよ。




昔からある定義では『育ち柄』を指して言う言葉で『家柄』と密接だった。けれども、それが差別的である事からあまり使わなくなった。使うのは『家柄が良い』と褒め言葉として使うときが普通。
差別用語に入れられるのは、憲法と人権の問題がまずある。

憲法第14条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、 社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。



『社会的身分又は門地』のストライクゾーンなんだよね。
で、この門地はまさに『家柄』になる。それと密接な『育ち柄』は、やっぱりセットなのよね。

次に差別の問題なんだけど…


世界人権宣言第。

7条
すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する。

12条
何人も、自己の私事、家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。


世界人権宣言の内容は『近代自由主義政治原理の基礎』なので、日本国憲法の人権規定や保護もこれに合わせて作られていると言って良い。これに逆行する国は『近代民主主義国家とは言えない』のです。

出生や本人にはどうにもできない事を糾弾したり暴言を吐いたり、攻撃したり、悪口(あっこう)を言う事は、差別でしか無いのよ。
『育ち柄』や『家庭環境』を理由に「育ちが悪い」と言うのは差別なわけ。
他に、最近多いのは、朝鮮籍や韓国籍を持つ親から生まれた子を『在日外国人』という理由でするのも差別にあたります。
あとは…人の外見についても、ほとんどの場合差別に入れられます。

だから日本国民が「育ちが悪い」と誰かに対して言う場合、(しつけ)の悪さから来るマナーやモラルの低さという、教育的内容でギリギリ許されるぐらいなのよね。

もし『育ち柄』や『生まれついた環境』について言っている社会人が多いのであれば、公教育から見直すか、法整備する必要が出てくる。理由は『日本国は近代民主主義国家である』という事なのよ。




公共の場で放屁したり、下ネタを連発する事は(※彼を責めているのでは無いですよ。話の例にあげただけです。)、「育ちが悪い」と言われる良い例になるわけですよね?マナーにもモラルにも反しますから。
では、そのような人が言う「育ちが悪い」とは一体何を指しているのでしょう?

差別的意味で言っていると仮定した場合は、それ言った本人の人格が問題という事になってしまいます。




女の子が母親と母親の再婚相手に虐待されて亡くなった。痛ましい事件ですよね。
虐待で亡くなる男の子もいます。
このような子供達は、決して良い家庭環境とは言えなかったわけですが、生き残ったら生き残ったで「育ちが悪い」と社会から攻撃されるのでしょうか?だとしたら、理不尽過ぎますよね。

子供時代虐待を受けた上に、その環境で育った事で社会から虐待を受けるようなものです。

『育ち柄差別』はこういう事です。




食事風景を配信している配信者に「箸の持ち方がどーの」「音を立てて食べるのがどーの」という事で「育ちが悪い」と言うのは、差別にはあたらない利用方法だと思います。

インターネットは、会った事も無い見ず知らずの他人とかかわれる分、厄介な表現、厄介な言葉、厄介な人が多いですよねたらーっ(汗)

例にあげた憲法と世界人権宣言の条文の一部だけど、これに逆らう言動をしている人は、不法者であり正しさなんてこれっぽちも無いのよ。人の事をあれこれ言える人格者では無い事になるのよ。『近代民主主義』ではね。
だから、配信者やチャンネル主に対するアンチ達の一部も、これにあてはまるの。




つまりさ。『家柄』や『家庭環境』を理由に「育ちが悪い」と言う人は、私の中では『差別主義者』として定義する事にするわ。「この人は『差別主義者』なのだろうかぁ?」と考えるのが面倒なんだもの。
posted by Mako at 09:47| 日記