2019年11月17日

日本の文法と英語勉強はつながってるのになぁ…

入試に民間試験を入れようとかでベネッセが色々とあれだったんですが、それってあれよねぇ…

意味わかりました?(笑)
わかるわけがないですよね(笑)
あれって何よ?ですもの。

TOEICが流行を始めてから、従来の日本での英語教育が否定されてきました。私は肯定派なのです。
文法というルールに沿いながら、日本語を英語に訳したり、英語を日本語に訳したりする従来の方法は、勉学としての英語を習得するのに素晴らしく役立ちます。
「実践で使えないじゃないか!」という指摘ですが、単に使う事に慣れていないだけです。価値があるのはTOEICスコアより英検です。絶対に。と私は言い切ります。

2020年から、日本人の国語力低下を補う為に『論理国語』が教科に追加されます。
私が思うに、従来の英語勉強法を続ければ、どの大半は補えると思うのです。
というか…
そこを否定するようになってから、国語力が落ちてきていないでしょうか?

日本が日本語の文法を学生に教える時、かなり中途半端です。それを、勉学として英語に触れる事で補ってきたではないですか?

主語と述語、動詞や形容詞に目的語というものは、日本人が日本語で説明するのに難しいと思いませんか?

私は、イタリア人にイタリア語を教えて頂きながら、私はイタリア人に日本語を教えるという形で、イタリア語のわからないところを補ってきました。しかし、母国語は日本語なのに、役だったのは英語を勉強した時の知識です。




日本語は語順を入れ替えても意味が伝わるので、語順に厳格なルールがありません。ですから、主語と述語と修飾語にばかり集中してしまうのですよね。

  • 春になると、庭にチューリップの花が咲きます。
  • チューリップの花が庭に咲きます。春になると。
  • 庭に咲きます。チューリップの花が春になると。
  • 春にチューリップの花が咲きます。庭に。


どの語順で言っても意味は同じ。これが日本語のルールです。ですから、主語と述語をハッキリさせて、どれが目的語でどれが形容詞なのかという分類ばかりを学習してしまうのです。




ひとつ試してみませんか?

[問]
次の文の意味が分かりますか?

コーモジュッリョヴァカンツェロマーネルチア見ました。

わかったら秀才かもしれません。日本語だとわかりやすいので、イタリア語単語をカタカナで入れました。
日本語の文法教育がメインに教えている通りに語を並べました。
小学校の1〜2年生の時に、国語で学ぶ大事な言葉を追加するとこうなります。

コーモジュッリョヴァカンツェロマーネルチア見ました。
これで少し理解できましたか?

あと足りないのは単語の意味ですね。

・コーモ=イタリアの地名。
・ジュッリョ=イタリア人男性の名前。これを女性の名前にするとジュリアになります^^
・ヴァカンツェロマーネは映画ローマの休日のイタリア語名です。
・ルチアはイタリア人女性の名前です。

少し直しましょう。

コーモでジュッリョが(映画)ローマの休日をルチアと見ました。

ようやく意味が分かりました。
もう一度初期に戻しましょう。

コーモジュッリョローマの休日ルチア見ました。

ね?やっぱり意味がわからないでしょ?日本語で絶対に必要なもの。それは助詞です。主語述語より大事かもしれません。

助詞を入れた文に戻します。

コーモジュッリョローマの休日ルチア見ました。
さて、ここで助詞と文の構成を考えてみます。

最初からわかっている『見ました』は述語です。主語はジュッリョです。
日本語の文法では、主語と述語にかかる言葉類を修飾語として片付けますが、それで大丈夫か?を確認します。主語と述語以外の言葉を、ひとつずつ引いていきます。

  • ジュッリョがローマの休日をルチアと見ました。
  • コーモでジュッリョがルチアと見ました。
  • コーモでジュッリョがローマの休日を見ました。


真ん中の、『コーモでジュッリョがルチアと見ました。』だけが釈然としません。言葉が足りないので「何を?」と相手に質問させてしまいます。それぞれの単語を『で』『が』『を』『と』で繋ぎました。この『を』で繋がる部分が、主に日本語文法の目的語になります。

主に述語が動詞の場合、述語にかかる言葉に目的語が無いと意味が伝わらなくなるのです。これが日本語のルールです。




日本では、学校教育に英語が科目としてありますから、外国語の文法を学ぶ事で、日本語の文法を意識せずに学んできました。
『コーモでジュッリョがローマの休日をルチアと見ました。』この一文だけでも、主語は何で目的語が何、前置詞は…という事は考えません。しかし、英語に訳したり日本語に訳したりする事で、学ぶ機会があったのです。

従来の英語勉強法は、勉学としては間違っていないのです。
実践の機会を与えるだけで良く、国語の科目を増やす必要は私には無いと思えます。

ペラペラと無駄口が叩ける事よりも、正確に理解できる事や伝える事ができる方が勉学として優れています。
習得と勉学は違います。習得ばかりに気を取られた結果、他が足りなくなるのは馬鹿げていると思うのよ。

日本のお偉いさん達は極端なのよ
posted by Mako at 18:49| 日記