2019年11月23日

日記

色々考えているんだけど。

今日私が書いた別投稿は極端な書き方をしているけど、要所要所ポイントを掴んでいるとは思うの。

あの家のリビングのガラス戸は、普通に閉めるのではダメだった。私が蹴られた時、あの窓まで飛んで、その衝撃でフレームが歪んだからだ。
「私ここで何してるのかなぁ?」なんて事は、状況に慣れ過ぎて考えなくなっていたけれど…うーん…
私が思うに、嫌な事や辛い事に慣れる事は無かったなぁ。
いつも心が痛かったし、いつも疲れていたし、いつも苦しかった。
私を責める人の人数が増えるたびに、そんな人だけがいる場所に連れて行かれる度に、私は私の居場所を作るべきだと思った。

受け入れられないところで受け入れられる努力をする意味がわからなかった。だって、私の夢とはまるで逆だもの。
あの頃は「夢は叶えるためにある」って信じてた。今は「夢は見るためにある幻想でしか無い」と思っている。

変わらない考えは「相手と向き合えない人に何を言う権利も資格もない」と。その考え方は変わらない。

ちゃんと私と個人的な関係を持っていない人に私の事はわからない。
あれこれ試されて「こんな風に辛い思いをさせれば本心が出るに違いない」と、多数で締め上げられても、それはそうする事によって作られた新しいものでしかない。




人と人の相性って難しいよね。
「私の夢や願いが叶った時、そこに一緒にいて欲しい」と考えたから我慢した事は全て逆に作用したし、未来にも明日にも絶対にいて欲しくない存在になる。
もしかしたら、その中の誰かの夢を叶える人になれたかもしれないのに、一方的に蹂躙して破壊するだけの人にもなれる。

そうして離れて行った友はもう戻らないよ。いや、マジで。




「私は悪くない」とか「私は間違っていない」と言い切る人が、私は昔から好きではないの。
それは「私は愚かで馬鹿です」っと言っているように聞こえちゃうし見えちゃうの。

100%自分が正しい事なんてまず有り得ないし、そんな話は存在しない。
だからと言って何をしても良いわけでもない。
そんな事をすれば「私は悪くない」も「自分は間違っていない」も、自分の言動が否定する。
よくアンチ気質の人達が「自分が悪いんだ!」と言って相手を攻撃してるでしょ?
この国は私刑も自己救済も禁止されてる。それは絶対に動かない事。

100歩譲って、それだけの仕打ちをその人が受けるべきだとして…
そうだなぁ。親族の住所を晒したり、勤務先や取引先に迷惑をかける行動は「自分が悪いんだ!」の範囲外なのよ。
例えば対象者の親族に「おまえの晒し行為で被害を被った!」と責任追及されたら返す言葉なんて認められないのよ。
「あいつが悪いんだ。だからやったんだ」という感情や言い訳に、その親族は無関係なのよ。
迷惑がかかった会社が、それによって大切な商談を逃してしまったら?
やっぱり「あいつが悪いんだうんぬんかんぬん」なんて何の役にも立たないのよ。
正当な手段で責任追及されたらマシだけど、「おまえが悪いんだ!だからこうされて当然!」を同じように返されたらどうするの?
自分が先に仕掛けたマイルールでしょ?人に助けを求めるのは間違ってるし、自分で良しとしたルールだもの。従うべきって事になる。
「あいつが悪いんだ」と他に飛び火しても、受け入れるしかない。自分は人にそれをしたのだから。

そしてまた「悪いのはあいつだ」と火の粉を被った別の人が…

だから、私刑も自己救済も禁止されてる。




パウロの言うように、悪を持って悪に報いずは正しいと思うの。キリが無いし。自分の心を他人のエゴの為に汚していたくもないし。

私は私が良い子だったからクリスチャンになったのでは無いという原点がある。私には正しさも聖さも無く、不誠実で愚か者だったからクリスチャンになった。
そういうわけだから、私が神から受けた分は返す。
誰も罪に定めないし責任追及もしない。
でも、間違いを間違いのまま背負えるほど強くない。

私だって…
あの恋した時、毎日楽しかったようにごく普通の事を味わいたい。
色々な人と色々な思いを共有したいし、色々な思い出を残したい。
私と山に行きたい人と山に行く方が、わざわざ私じゃなくてもいいのにそうしてやってると思っている人と海に行くより良い。山より海の方が好きでも。

その方が、後で思い出した時に良い思い出になる。
もし海に行ったなら惨めさと後悔だけが残る。
それなら他にやりたい事があったと、もし行かなければどんな事ができたかを考えてしまう。

人がどう思おうと、どう評価しようと、考えを変えて後悔と惨めさだけを味わう意味のない日々は嫌なのよ。

海で溺れているのが私だったら「このまま死んでしまいたい」と考えるだろうし、
一緒に行った誰かが溺れていたら、心の底ではホッとする自分がいるかもしれない。
もしホッとしたら、その罪悪感とも付き合って行かなくちゃならない。




自分の為に生きられない毎日って、いつも持つべきじゃない感情や思いが心の中心にあって…
イエスさまに逆らっているように思うの。
この思いが自分でコントロールできない事は肉であり罪だと自分を責め立てた日々も長かった。
でも、私は知ってる。キリストが勝利者である事を。
私はキリストの花嫁なので、花婿を信じていますとも!
だって、彼は私を裏切った事も、傷つけた事も無い。

posted by Mako at 22:23| 一人じゃないよ

日記

長い時間「〜だったら」「〜して見せたら」とかね。
たくさん条件付きで「〜だったら〜してやってもいい」みたいな事に振り回されて来たんだけど…

私、最初から思っていたの。
恋愛も友情も、親兄弟も、その関係ってどうなの?と。

いちいち何か注文つけられて、それを乗り越えたりして見せなければ何も始まらない。けれど「本当は〜だと思ってるくせに」と相手が考えていたら、次なる難関や試練を潜らなくちゃいけないの(苦笑)

例えばさ。「無理して私と一緒に食事に行ってください。」なんて事は思っていないのに「〜したら行ってやる」みたいな事を言われても、私は困惑するわけよ。
「いや。別に結構です。」と言いたいわけなんだけど、そう言えば殴られるってなると「行きたいのでやりますー!」って事になる。
で、ずっと「一緒に飯に行ってやった」と言われ続ける。

まぁこれは例えだけどさ。私、ずぅーっと「これ何?」って思ってたの。
周囲にも「連れて行ってやったのに」「一緒に行ってやったのに」って言われる。
その言葉の続きは不平不満。
周囲の人から「何それムカつくねー」みたいな同調が有れば、自分が言わなくても周囲がそれに応じた扱いをして、言葉でも言ってくれるものだから、その中心に置かれた私にとっては「何これ?いじめ?」って感じる。

『オトナ』なのに(苦笑)

いつも片側の話しか聞かない人達にとっては、それが真実で正しい事。それに、その人の為に言ってあげてるっていうわけのわからない正義感があるので強気(わら

あのさ。なんて言うんだろう?
私の身体はひとつしか無いし、自分の事もあるから、そもそも無理な事を「〜したら」の段階で吹っかけられてるわけで、そこが片手落ちになった分、他にもしわ寄せが行ってもっと大変になってるわけで…
それをこなしながら、また新しい何かの注文が始まる。
こういうのさ。もういい加減嫌なの。

周囲もさ。みんなでキツイ態度を取ったり言ったりする前に、私個人と向き合うべきだと思うのよ。
懲らしめ的な事をやってしまえば、100%間違いが無いって言い分しか通らない。だって自分達の正しさを元に言ったりやったりしてるんだから。
やり方も正しくなければならない。

まずさ。誰かの事をね、どう情報を共有しても、他者にそれを言い、それによって私が不利益を受ければ、罰せられるのは私じゃないのよ。

民事でも刑事でも責任を負う立場なわけ。

私は、1人の人の為に何もしないで来ただけの話なのよ。

そうやってあれこれまとめて考えるとね、結局共存する道なんて残っていないのよ。

これまでの事をゆるせるか?と問われれば私はゆるすよ。理由は腐ってもキリストの民だから。
でも、責任も問わないかわりに、私にはかかわって欲しくないのよ。

なんていうか…
全て思いつくままにやってきた事で積み上げた結果は、私には荷が重すぎて立てないし歩けなくなる。
私はスーパーマンじゃないし。
そして、それを作って来た人の言い訳の数だけ、その結果の数だけ、私が荷を負う事はできない。
結構長い時間それを負わされて来た分があって、それだけでも私の今を拘束してる。

私の明日は命尽きる日までそれに拘束されて終わる。それだけで手がいっぱいなんだよなぁ。

でさ。それが私個人の価値であり魅力なわけでしょ?私っていう人間に対する。
大事な物を誰かに売られたら他の物を売ってでも取り戻そうとするじゃない?
優先順位がいつも最下位なんだよね。しかも余計な苦がおまけでついてくる。
頑張ったところで労いのひとことがあるわけでも無い。
私がそうするのは当然であり、相手が望んでも望んで無くても、自分が『してやった』事は価値があるみたいな境遇に付き合いきれないんだよなぁ。

無理して仕方なく私の時間に付き合う必要なんか無いんだよなぁ。私も望んで無いし。

いちいち誰かを味方につけてを繰り返してるうちに「みんなそう思ってる」って言われても(汗)

私と一緒にいて楽しいと感じてくれる人と、たくさん色んな事したいし、色々な場所に行きたい。
あなたもあの人も私も楽しかったって思い出を共有したい。
食事に行くにも、私と一緒に行きたいと考える人と行きたいのであって、仕方なく無理に一緒に行こうとする人は避けたんだよね。

どうせ「おまえのこーいうところが」とか言う不平不満を、わからせてやる為にという理由で言われる事ややられる事で埋め尽くされて何も楽しくないし。
良い思い出にもならない。

無理して貴重な人生の時間にかかわってきて欲しくないの。それが今の私の幸せなんだよね。
あたりまえの時間をあたりまえに過ごせる事を貴重だと思えて、愛おしく思える。
私はそれをずっと欲してるし望んでる。

なんだかなぁ…
底辺過ぎて望む事がひどい(わら

それでも望むんだよなぁ。だって私にはないから。

新しい時間、新しい空気、新しい出会い、新しい思い出。
私に1番よく効く薬はこれしか無いのよ。
欲しいなぁ。それがどうしても。

充電する前にリフレッシュしたい。
posted by Mako at 15:00| 日記