2019年12月10日

進行状況?

もがいてもがいて、何度も何度も、神さまに文句も言ってきた。ずーっと。
誰が赦す事ができよう。そうやってもがいた。正しくあろうと踏ん張れば砕け散るし。
まるでヤコブの相撲のようだよ。求めたものは違うけど。

でもね、私は完全に赦せるようになるのよ。
理由は、私にはそれができないから。
これは神を、キリストを知っている人にしかわからないのだけど、できないからできるようになるのさぁ。
私はキリスト者を語る偽り者じゃない。真にキリスト者だからそれができるようになるのよ。

八方塞がりで出口が無い事や、自分にできる事がもう無いほどに、素晴らしい経験を積める事。これは先の信仰者達も語り継いできた事でしょ?
私は少しずつ味わってるよ。それを。

嫌いにならない努力、すっごく頑張ったの。
でも嫌いになった。多くの人をね。
でもまた好きになるのよ。罪や暴虐は憎むけどね。
とはいえ、私はこれからも1人だ。
私の夢を軽んじて、おもちゃのように扱った人々なんだけど…
神の前に立った時、それは私の手の中にある。
これを説明するのはすごく難しいので、いつか言葉にできるようになった時にするよ。

キリストは生きている主です。
彼が私の手を取る限り大丈夫。

私は花嫁衣装にすごく憧れていたの。
でも、キリストが私にもっと良いものを着せてくれます。
だから、私はさ、そのまま保つべきものを保って、火を消さないようにしなければならない。

何度も何度も足を引っ張られて、嫌いに引き戻されるけど、キリストがすぐに私の目を覚まさせてくれる。
私は、あの日、羊飼いの呼ぶ声に耳を傾けて良かったと思う。こうなってからでは「神も仏もあるものか!」と、物を言わず、何もできない像を睨んでいたと思う。

いつもいつも私の世話をする羊飼いは、私の為に命を投げ出して救ってくださる方です。
私は、羊飼いが見えなくなっても彼を信頼します。私の羊飼いは、必ず私を探して見つけ出してくれる。

私が彼の羊になったのは、私にそれを伝えた人がいるからです。
あの人に、主の祝福がありますように。

私とキリストの関係が深まったのは、これらの事があったからです。
だから彼等にも祝福があるように。でも、彼等が受けない分は私に返して欲しい(笑)
私は相手によって変わるケチな祝福程度しか言葉にできない小さな人間なのだよ。

とはいえ、もうかかわる事は無いと思う。
それぞれの為に良い事は、それひとつしか残っていないと思うの。

イエスキリストに贖われた者、それが私である。
主は小さな者にこそ目を向けて下さる。
主はいつも私の願いを聞いてくださる。
私は2度とその手を離さない。
posted by Mako at 17:23| 一人じゃないよ

日記2

他人に話してどうにかなるものとならないものがあるでしょう?
言いたくない事もあるし。

実は楽しくないし、実は幸せでも無い日々を、他人にそうは思われたくないって気持ちがあるとさぁ。自分だけで抱え込むのよね。
私は、自分の父よりも母よりも幸せな家庭を築きたいって思ってたの。だから、1人の人に決めたら、そこそこでも幸せそうにしていたかったなんて思いが根っこにあったのよね。

それも悪かったのだけれど。

いつもいつも、どこかの誰かと比べて、「それに比べてお前は」「なんでお前なんかと」「本当に失敗したわ」なんて機会がある毎に言われてきた事も、ずっと自分の中にしまい込んでた。

これだって、自分の気持ちと相手の気持ちがあっての事だから、結局決めるのは自分でしょ?
それなら違う誰かを探したらいい。そう考えて離れて行く事は、周囲の人々からまで制裁を加えられる悪い事だと私は思わないのよ。
私の友人や身内と寝たいからお膳立てしてよと何度も頼み込んでくる人と、どう接すれば良いのかもわからないし。

私には、自分が帰る家と愛する家族という夢があったのよ。制裁を加えられながら、人形のようにそこにいる事じゃ無いの。
もうね。全部間に合わないんだけれども(苦笑)
それならそれで、自分の時間を大切にしながら、1人だからできる事を、せめて楽しみたいの。
感情や思いを、制裁や暴力で支配されながら、ただそこにいる事じゃ無いのよ。

それでね。例えば「好き」とか「愛してる」なんて言葉も無い蔑みの対象物になるだけの私では無く、「好き」とか「愛してる」って言いながら大切にできる人を見つけたなら、その人と幸せになって欲しいの。
誰がなんと言おうが、私は自分でよく頑張ったと思ってる。

ずっと寂しいのも嫌だったし、制裁の対象でいるのも嫌だったし。何より死んだような毎日だった。




その事を考えながら彼女の言葉のひとつひとつを考えると…
彼の言葉ひとつで、態度ひとつで、彼女の為にほんの少しの時間を割いてあげる事で、彼女はどれほど救われただろう?という、決して大きな事ではないけれど、蔑ろにした小さな積み重ねがあって…
えっと…
それを犠牲にできるほど大切なものがあるのだから、それを一生かけて守って行きなさいと。

もうね、彼女と過ごした日々は取り返せない時間なのよ。何を言っても、何をやっても。
それを犠牲にしたのだから、それを大切にしないと、彼女が寂しかった事も辛かった事も、全部無駄になるのよね。

私は彼女のその時間を埋めてあげる存在にはなれない。だって制裁の対象物だもの。彼女にどんなとばっちりや被害が出ても、私のせいにすればそれで済んでしまうもの。
誰にもどうにもできない傷だけが増えて行くもの。
だから、まぁ、それだけじゃあ無いけど(苦笑)… 私は遠く離れた存在でい続けるしかできない。
私と彼女の間にできた空白の時間も埋まらない。
それは一方的な制裁によるもので出来た物なんだよなぁ(苦笑)

誰も報われない。誰も幸せになれない。そんな日々を、自己満足的な思いや都合でいつまで続けるつもりか知らないけれど…結局のところ、そうやってできた空白の時間は、これから先にも影響し続ける。

私は同じ過ちを繰り返すほど馬鹿じゃない。だから大丈夫だけど…
うーん…

彼女、どうするの?
そのままか。だろうな。笑えねー
posted by Mako at 16:10| 日記

日記

彼女は滅多に辛かった事や苦労した事を口にしないけれど、その言葉が発せられると本当に重い。
私も似たような思いでいたので、経験者として良くわかる事が多い。

彼は1番彼女を助けられる立場にいながら、それを1度も選ばなかったのだという事も軽く想像がついた。




私は、将来的にひとつになれる人が見つかるまで、それはいらないと思っていた。
だから、交際相手というものは生涯で1人しかしらない。
とはいえ、それは交際相手なのか?といえば…
それもまた間違っていると思うの。

知り合った頃は、いつも「時間が無い」と、1番居て欲しい時も、寂しい時も蹴られた。
待ち合わせに指定された店で「もう少しまってて」と何時間も待たされ、来ない事もあった。
そして、自分が会うと決めた時は「会ってやる」と、こちらの都合を問わずで会う事になる。

最初私は「この人は結婚してるのか?」と思った。不倫男や本カノがいる人の行動なら理解できるもの。

どこかの店に行っても「どっかにいい女いない?」となじみの店員に声をかけ、「隣に座ってるじゃないですかー」と返されれば「こんな女…(この先色んなパターン有り)」と言われ…
地元に連れて行かれても、結局「こんな女…etc」と言われる為にそこにいる。

ハッキリしようよ… と私も思うわけで…
これ、出会ってからしばらくの時期の話だし(笑)
デート中に他の女ナンパしてみたり、そういう時にも「あれ?居たんだっけ?」と言われる存在。
正直なところ「私なんでこの男性と並んで歩いてるんだろう?」とか、ボーッと考えたりしていて。
私はそれを続けるのが嫌だなぁって思ったの。
だからいつもハッキリさせようとしていたのよね。
『私ってあなたの何?』これを。

時間がたったからと言って、周囲の人の入れ替わりや環境が変わっても、私の立場そのものは全く変わらなかったわけで…

こういう男女間って、結婚したり家庭を持ったりできるわけがないでしょ?
言葉が変わっても、人が変わっても、私の立場はいつも同じ。扱いも同じ。




将来の事を考えた時、第三者的目線って必要だと思うの。
周りの意見もね。
友人としてならどう言うか?
兄弟なら?
親なら?
その人と一緒にいた方が良いと言うだろうか?
どの立場から見てもダメなら、それはダメだと悟った方が良いと思う。




まぁ、遡って少し思い返してみたんだけど…
私、何してたんだろ?って本当に思う。

posted by Mako at 13:12| 日記

弱い者の神

やもめ【寡・〈寡婦〉・孀・鰥・〈鰥夫〉】
@夫のいない女。夫を失った女。未亡人。後家。《寡・寡婦・孀》
A妻を失った男。妻のいない男。やもお。《鰥・鰥夫》〔古くは男女とも未婚にも既婚にもいったが、現在は主に既婚にいう〕
大辞林より


聖書の神はやもめ、孤児、在留異国人を例に上げ、弱い者・虐げられる者の裁き主と言われます。

見よ。イスラエルの君主たちはみな、おまえの中で暴力をふるって血を流している。
おまえの中では、父や母は軽んじられ、おまえのところにいる在留異国人は虐待され、おまえの中にいるみなしごや、やもめはしいたげられている。
おまえはわたしの聖なるものをさげすみ、わたしの安息日を汚した。
おまえのうちのある者たちは、血を流そうと他人を中傷し、ある者は丘の上で食事をし、おまえの中でみだらなことをした。
おまえの中では父が裸をあらわされ、おまえの中では、さわりのある女が犯された。
ある者は隣人の妻と忌みきらうべきことをし、またある者は嫁とみだらなことをして身を汚し、ある者はおまえの中で、自分の父の娘である自分の姉妹をはずかしめた。
おまえの中では、血を流すためにわいろが使われ、おまえは利息と高利を取り、隣人を虐待して利得をむさぼった。おまえはわたしを忘れた。

−−神である主の御告げ−−

エゼキエル22:6〜12節


信仰者を教える者達、祭祀達や学者達にも、やもめや孤児、在留異国人についても…
その手に任せられた人が、かえってそれらを悩ませ、虐げ続けた場合、聖書の神はその人達に「それらを捨てよ」と言う事がある。
つまり、「あなた方にはもう任せておけないので、あなたの手からこれらを取り上げる。私がそれの世話をする。」と立ち上がられるという事です。




親が子を捨てたようでも、子が親を捨てたようでも、妻が夫を、夫が妻を、友が友を捨てたようであっても、寄留者が国を去ったようであっても、実は神の意思が働いていて、それを治める者の手からそれを取り上げられたのです。
キリスト教徒というのは本来これです。神が教師達や祭祀達から取り上げた羊なのです。

一国の君主がその国を治める社会で、弱者が消え去り強い者だけが残る事は、君主にとっては不幸です。
時の評価によって英雄が変わり、武力・財力・政治力…etc それによって君主が君主である地位を脅かします。
失墜してからは、虐げた者達よりも虚しいものです。

さて、家庭や家は、それを治める君主のものです。
虐げや暴力、貪りがあってはいけません。
人を管理しようとすればする程、自分の負う責任は強くなります。
特に子に対してはそうです。




私は、聖書の言う事の正しさをいろんな角度から見ています。
神が結び合わせた者を引き離してはならないという教えは、本当に正しいと思います。
しかし、それができない人の弱さも同時に見つめています。

『人が1人でいるのは良くない』と、神は男には女を、女には男を与えました。
互いが愛によって結ばれてひとつとなる為です。
ですから、結婚はした方が良いのであり、するのは正しい事です。
しかし例外もあります。

イエスは彼らに言われた。「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、その妻を離別することをあなたがたに許したのです。しかし、初めからそうだったのではありません。
まことに、あなたがたに告げます。だれでも、不貞のためでなくて、その妻を離別し、別の女を妻にする者は姦淫を犯すのです。」
弟子たちはイエスに言った。「もし妻に対する夫の立場がそんなものなら、結婚しないほうがましです。」
しかし、イエスは言われた。「そのことばは、だれでも受け入れることができるわけではありません。ただ、それが許されている者だけができるのです。
というのは、母の胎内から、そのように生まれついた独身者がいます。また、人から独身者にさせられた者もいます。また、天の御国のために、自分から独身者になった者もいるからです。それができる者はそれを受け入れなさい。」
マタ 19:8〜12





私は今、なんらかの事情で「早く家を出たい」と思っている息子や娘達、そうしなければならないと思っている息子や娘達に対して思ってるの。
正しく裁いて正しく取り扱ってくれるのは、話を聞いてくれる友人でも無く、恋人でも無く、あなた方を愛して世に送り出した命の親である神ですと。
クリスチャンはイエスキリストによって養子縁組された神の子です。しかしあなた方は、もっと直接的に神の子です。蔑ろにされた分だけ、虐げられた分だけ、神があなたの世話をします。寂しかった思いも、辛かった心も癒されます。

それを証明する事物は難しいけれど、私はひとつ証ができます。
それによって、治められる者であったあなた方が、彼らを治める者のようになります。
すぐにではありませんが、やがてそのようになります。
そこからあなた方を虐げ、苦しめた者達は恥を見るようになります。
しかし、たかぶって仕返しをしようなどとは思ってはいけません。それは自分を高く上げ、そのようにしてくださった神を蔑ろにする行為です。そのようになれば、今度は自分の治める領分を取り上げられるのです。
子が親に似るように、命の父に似るように育つのが正しい事です。

posted by Mako at 09:33| 一人じゃないよ