2020年05月23日

何かある場合と元々の場合と

奥さんが作ったお弁当を持って会社に行くご主人達ってどの程度いるのでしょうね?
「嫁の作る弁当がひどすぎる」というテーマは消えて無くなりそうにありません。

Facebookに投稿されている2人のご主人の嫁弁当の愚痴なんですけどね。
一人は天然なんですよ。

白ご飯に生卵+お寿司とかについてくる醤油のセットは毎週1〜2回必ずあるAさん。
一応営業職ではあるのですが管理職。外を出歩いている部下と違い、部下に付き添って契約に行く等の理由が無ければ事務所でお弁当を食べます。人目が気になって嫁の弁当を出したくないと言うわりに、ほぼ毎日写真を撮ってタイムラインに入れる根性はすごいと思います(笑)

生卵はコレラが心配だと言えば?というコメントを採用したら、生卵が目玉焼きに成長した様子が流れていて笑ってしまいました(笑)
炊き込みご飯なら野菜が入っているというコメントを参考にしたら、味付きというかソース付き?のミートボールやハンバーグを切って白ご飯に混ぜたタッパーを持たされていました(笑)
混ぜご飯だよっていわれりゃそうなんでしょうけど(笑)

ご主人の悩みは、別に不味くなくて食べられればなんでも良いが、人前で食べるのが恥ずかしいのを持たせないでほしい。そういう質素なもの。

Bさんの方は、ラップに包まれたおにぎりが袋の中にゴロゴロ入ってるとか、カップラーメンセットが入っていたりというもの。白ご飯にカップのお味噌汁というセットも頻繁に登場してる。「今日は野菜たっぷり味噌汁バージョン。栄養補給します(笑)」なんて、ちょっと皮肉ったカップみそ汁の写真が投稿されていたりします。
こちらは・・・
そもそもきちんと作っていた奥さんが、雑になり、手抜きになりという経緯をたどってそうなったものなの。
過去のお弁当写真は、そりゃあおいしそうでしたよ。
1か月程度の短期間だけとかなら続かなかったと言えるでしょうが、5年近くきちんとしたお弁当を作っていたのに今は違う。これは、奥さんの側に、ちゃんと作りたくないと思わせる何かがあったのだと思います。
それも、急にそんな風になる時があるのではなくて、半年以上もそれが続くとなると…
作りたくなくなるような言動が何かあったはずなんですよ。それも日々の積み重ねの可能性も大きい。

Aさんの嫁の方は「一生懸命ご飯炊いたよ〜!」って位置にいるので(笑)
私はちょっと可愛いなぁと思う事もあるのですが、上司として事務所にいるご主人には大きな悩みらしいです。
Bさんの場合は、文句言ったり愚痴ったりする前によく考えろって思いますね。微笑ましく見ていられないです。必ずBさんに原因があるんですよ。このパターンは。それをさも嫁が悪いように愚痴っている様子がちょっと不快です。

ネット上には嫁の飯をテーマにした愚痴スレッドやブログがあります。
何にでもマヨネーズをかけるだとか、野菜を出さないかわりに酵素じゅーずや青汁を出してくる嫁だとか(笑)
それってじっと耐える事でもないと思うんですよ。伝え方もあるし。コミュニケーション不足が問題を解消しないパターンが多いような気がします。

Bさんのあげるお弁当写真は、女々しい愚痴っぽく見えるので見なくなりました。それで現在どうなっているのかわかりません。
Aさんのも見ていません。
ってかFacebookにログインしていません(笑)

外国のお友達を作ってコンタクトを取ろうとする場合、Facebookを好む人が多いので仕方なくアカウントを作っただけのものですからね。
わざわざ自分が今何をしているとか、今日何をしたとか公表する理由もよくわからないんですよ。見せられる方もど〜でもよい事じゃないですか。
Good ボタンも、何が Good なのかよくわからなくて(笑)
ってか、写真撮らなくちゃ!SNSにあげなくちゃ!ってあんまり思う機会が無いでしょ?
いや、私もやりますよ。機能としてあるのだから。でも、毎日したいとは思わないんです。アルバムっぽい感覚?あとでストーリーを振り返ったとき「あ〜、なつかしいな〜」と思えれば良いんですよね。

SNS系はやってるときは楽しい感覚だけど、一旦離れると「なんでそんな事をわざわざ?」って思う事が多くありません?
誰々さんが何々を投稿しましたって通知が出ると「ウザ!!」ってなるんですふらふら
posted by Mako at 23:22| 日記

平気だぜ!

昨日考えてスッキリした事。

子供の頃から欲しかったものがあった。
あれこれあきらめながら、残骸をあつめて希望を持とうとした。
次々破壊された。

立ち直るまで時間がかかったけど、いや、立ち直ってもいないんだけど…
今もそこを少し考えるだけで胸を圧迫されたようになって勝手に涙が出るので、たぶん立ち直ってはいない。気にしないようにしてるだけ。

それでも、今までは他者からのものであきらめてきた。
でも、私が今最後に持っている夢は、他者にはどうにもできないって事。これは私にはとても喜ばしい。それしか残らなかったのは、パンドラの箱のようで『最後に残った希望』は箱から出されずに閉じられた。

パンドラの箱は最後に希望が残ったって美談っぽく言われるけど、希望だけは箱から出なかったのよ。絶望や嘆きや、色々な汚いものが箱から出て行った。なら、希望も出してくれれば良かったのにね。
それと同じように、最後の最後に出てこなかった希望の故に持った望みのようなもの。

聖書にある「キリストイエスの愛から私を離すものは無い」というのに少し近いかも?誰もどうにもできない。
泣き寝入りもしない。かといって、巻き込まれた人の不幸を思えば、やっぱり正当化もさせない。
私はその人の肉親だから。肉親の絆とはそういうものだと思う。傷つける人から守りたいし、破壊する人を遠ざけたい。だから、そっせんしてそれをするような人を私は理解できない。

これからもこのままなのだろうけど、特に何が変わるわけじゃない。同じ事が続くだけなので。もうそれが日常になっていて、私はそういう事以外の人生を忘れている。
私にとってそれはもう日常なのだ。もっと過酷にされたところで、これまでと同じで決して良い状態にはならない。
いつか良くなるとか、現実にならない夢を見るのを終わったときも、やっぱり私は肉親だからという思いがあったっけなぁ。
だ〜れも幸せになれないの(笑)
あるのはその環境を作り出す人の自己満足だけ。

おかげで私は乾ききった。カラッカラに乾いちゃったの。
今まで通り他人の自己満足と言い訳のために嫌な事がたくさんあっても、それは今までと同じなだけなので平気なの。
良い状態から悪い状態になるわけじゃなくて、悪いものがもっと悪くなっていく時間が今まで通り過ぎるだけなのよ。
もう今更間に合う事が全然無くてね。そこに踏ん切りがつくまでは、やっぱり心が震えて痛くて大変だったけど、たぶん、それに触れたら泣き続けるんだろうけど平気。
だって今まで通りだもの。

だから、最後の最後に残った夢は必ずかなう。だから平気。

それでも、ほんの少しだけでも、と思うので…
実現しなくても外国語は勉強を続ける。
努力だけは、足腰がたたなくなってもする。これは私の意思表示のようなものだから。
決意の表れみたいなもの。

そうやって前だけ見て頑張る。
posted by Mako at 05:55| 日記