2020年07月01日

これはひどいなぁ・・・

第二の【木村花さん】を出さないためにアベノマスクブラポスター改修しますという動画がアップロードされた件について思う事。

まず、共産党の言う多様性は『自分達と、自分達が推す国や人々を認めろ』という意味なので、一般的な受け取り方をしてはだめですw というのが私の見解です。
だって、彼らは自分達以外はとにかく否定していくじゃないですか。自分達のような共産主義者も認めろと言う意味だと私はとらえています。

それから、「違法では無く、他人に迷惑をかけなければ何をしても良い」なんですが、迷惑がかかっているんですよ。子供たちがランドセルを背負って通う通学路にこのような選挙ポスターがあるのは困ると都民から言われているのです。女性自身が不快に思っているという事情もあります。
立候補した公人なのだから、個人の多様性<公の福祉です。公人は私人と扱いが違いますから一緒にしてはダメです。

公人が直接選挙される選挙区で、有権者が嫌がっているのは迷惑をかけているのです。

でもね、批判があるので対策をします。その程度で済んで良かったのです。選挙ポスターは、通常暗闇でも候補者の顔が見えやすい塗料で作成されます。彼女のポスターの塗料がどうかはわかりませんが、夜間でもライトが当たるように設置されている場合もあります。
選挙ポスターを見ていたらムラムラきた。そう言って性犯罪が起きてもおかしくない選挙ポスターですよ。何かが起きてからでは遅いのです。

水着でも下着でもない、マスクで乳房を隠しただけのポスターは、アダルト向けに作るべきでしょう。

木村花さんの名前も、安易に使いすぎです。全く事例が違います。
また、彼女の死からいくらもたたないうちに、自分達の主義主張を正当化する為に彼女の名前を使うのはさすがにひどいと思います。
公人に対する苦情や批判と、芸能関係者の、特にテイク2や3があったと番組側が認めている以上、演出による被害かもしれない彼女の自殺とは異なります。

他人に迷惑がかからなければ何をしても良い。この範囲は個人によって変わりますが、あらかた私も賛成です。けれど、それは個人の話で公人の話ではありません。

立花さん… もうダメかなぁ…。
面白いおじさんで頑張ってほしかったのに、残念だなぁ。
posted by Mako at 23:41| 日記

精神論者のよくわからないところ

時々書き込みで見かける話があります。

  • 電車内で障がい者を見かけたので席を譲ろうとしたら怒って断ってきた。
  • 信号待ちしていえう時、視覚障害者を見かけたので「手を引きましょうか?」と声をかけたら、迷惑そうに断られた。


私、手話は自分の名前も間違える程度。点字は落ち着いて読めばわかるが、いざ打って手紙を書こうとしても誤字脱字記号抜けだらけになる程度しかわかりません。これは教会という場所にいたからちょびっとなら程度の知識はあるのです。
その環境が無ければ、障がい者とかかわる事も無かったでしょうし、彼らとコミュニケーションを取る手段を覚えようとする努力もしなかったと思います。

これは小4だか小5ぐらいの頃の話ですが、教会の中でキリストについて話していたのです。全盲の夫婦の奥さんの方と。
いつも綺麗に身嗜みを整え、薄い上品な化粧をしている方でした。
その方が上品にショールやスカーフを使っていたので、私は今でもショールが好きです。
私は彼女が大好きでした。

私が話に夢中になって、一方的に喋り続けても、いつも優しく聞いてくれる方でした。
聖書にはキリストは世の光と表現される箇所があります。それで私は、光について話すにも「見えない人に私の見えるものが伝わるかなぁ?」とね。ふと思ったんですよ。

教会のあちこちを見渡して「あれだ!」と考えた私は、婦人を連れてそこまで行きました。良く日が当たっている窓の前です。
「どう?温かい?」と聞いたら「あったかいねー。来る時は寒かったけどこんなに日が出てるのねー」と婦人は言ったの。
その後私は「その光ってきっとこんな感じよ。あっちは寒かったけど、日が当たるとこんなに温かいでしょ?」って言ったの。
婦人は目を隠す為に、紫系のサングラスをしていたのよ。それを邪魔そうに何度も手で持ち上げ、涙を拭きながら「わかったよ。言ってる事が。そうだねー。きっとそうだねー。光の中にいるってこうなんだろうねー。」と言ったの。

その日、私はとっても嬉しかったのよ。婦人と同じものを見ている気分になれたの。

その日「絶対点字を覚えてやるぜ!」って強く心に思ったのよ。でも、読むにはたどたどしく、書くには支離滅裂な程度までしか身につかなかったわ。全然読めないよりはマシって感じ。
読む方が強いのは、私は見えるからって言うのと、点訳(点字を文字に直す作業)を、少し事務でやったから。

私、その婦人だけでなく、旦那さんも大好きだったの。だから教会での礼拝の後、駅まで送っていくのも楽しい時間だったのよ。泊まりにおいでって言われた時は本当に嬉しかった。

でね、そんな私の中途半端な知識から言うと…

障がい者という枠組みで生きていくとなるとね。世間の子供達が親に世話をかけて生きている頃から、全寮制の寄宿舎に入れられたりしてさ。自活する術を学んでいた人達なのよ。
「自分でできる事は自分でする」を生活の絶対的基準となって、色々な事を覚えさせられるの。
自活すると火の消し忘れとか、お風呂の空焚きとか、様々な危険が潜んでる。
自炊には包丁も火も使う。
日常の危険を回避しながら生きていくには、つい手を出して甘やかしてしまう親兄弟から自立する事から始めるのよ。
子供の頃からね。

だから「自分で生きる」とか「他人の手を借りない」とか、そういう事にはシビアだったりするわけ。
自分を甘やかさない事に厳しい人もいる。
その折り合いがね、親切に声をかけてくれた見知らぬ人と折り合いがつかない場合が多々あるのよね。

先立って書いた時々見かける書き込み。
私は「ちゃんとやってるんだなぁ。」と思うけど、レスには違う事が次々書かれる。
「だから席を譲りたくならないんだ」とかね。人の親切を足蹴にする奴等みたいな感想が並ぶ。
当然私も「そりゃそうなるよなぁ」と同意する部分もある。
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posted by Mako at 12:06| 日記

性について1-遊女〜現代と過去を考える

歯が痛くて目が覚めたので、痛み止めが効くまでブログ書き中です。




まず前回の『聖書的』の面について補足しておきます。
『聖書的』と言うと、「宗教絡みの禁欲主義」と思われがちだと思うのです。
聖書は禁欲主義を推薦していません。逆です。
正しい相手と愛のある家庭を築き、子孫を増やし、繁栄するように勧めているのです。
ですから族長時代・部族時代には一夫一婦制では無く、重婚がありました。
これは子孫を残す為が目的です。
この時代は家畜の水場ひとつでも戦いのある時代です。
戦死した家長の家。そこには夫や父が無く露頭に迷う人達があります。また、出産前に戦死された妻は、老後どうなりますか?こういう事情があったので、1人の夫に複数の妻が許されていました。
現代人が考えるハーレムのような状態ではありません。

そして聖書は禁欲を禁止する事もしていません。
例えばですね、三度の飯より女が好きとか、酒が好きとか、そういう人は昔からいるわけです。

そのような人が、自分をダメにする誘惑を避ける・身を守る為に禁欲する事を認めています。
また、これは意味合いが少々違いますが、請願を立てる為にある種の禁欲をする事も認められています。例えば、戦地から夫が無事に戻るまでは肉を食べないのようなものですね。日本では甘い物断ちなんかが文化的言葉でしょうか?

カトリックの修道士や修道女達は、何方かと言えば前者の禁欲主義的生き方になると思います。まぁ、献身が主な目的なので、理由のひとつに過ぎませんが。

少し大人な話なので、この先は続きに書きます。
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posted by Mako at 03:26| 日記