2020年08月13日

聖書を題材にした映像-視聴再チャレ

実は、聖書の物語を映像化するのを…私はあまり好まないのです。

最近話題になった映画はこちらですね。

ノア 約束の舟 (吹替版)
ノア 約束の舟 (字幕版)

この映画は、聖書の記述に忠実な箱舟を作ったことで話題になりました。
しかし、中身の方はですね…。
聖書外典を軸にした、聖書とは違う内容のものが聖書物語として制作されまし

こういう事はよくあるんですよ。
キリスト教のような、いえ、キリスト教の主軸であり王道のような外装をしながら、実はそうでない集団。彼らの信奉する物語や歴史は、キリスト教宗教史のように語られ続けています。
彼等は偽物でありながら、まるで権威ある者のようにふるまっています。彼らの考えるノアの箱舟ストーリー。これがノア約束の船だと思います。




アマゾンビデオに『THE BIBLE〜選ばれし者たちの歴史物語』がありまして…。


これのストーリー1のモーゼ。これを凝りもせず見てみようかな?と…。考えておりまして(笑)
これもノアからモーセになってるようなので、見るだけ見てみよう。もしかしたらいい感じの映像かもしれない。
と…。今日中に見る予定ですわーい(嬉しい顔)




※感想

やっぱり聖書通りというわけにはいきませんね〜。でも偏りも少なくて良い感じではあります。

ハガルとサラは、サラがわがままで嫌なやつに見えるし、イサクはどこかの宗教画のようにあどけない子供だし…。
謙虚な老人で有名なモーセは、強気な青年団世代の男性な感じw

ソドムとゴモラはかなり違うストーリーを見ているようでしたw
信仰の父アブラハムも、カルトな宗教者っぽい感じに見える物語になってたよ。

でも、まぁ、酷くはないです。はい。酷くはないけど、実際とはちょっと遠いかも?

ロト家族とソドム。これもね、まぁ、つっこみたくなる部分があるのだけれど…。映像を見ているとね、黙示録を考えずにはいられませんでした。
ノアの洪水も冒頭の方でありましたからね。
「あの頃はキリスト教なんてものがあったからね。」というぐらい、福音・クリスチャン・教会が無くなるんだろうなぁと思いました。ロトのようにギリギリかもしれないですね。


アブラハムは近づいて申し上げた。
「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。
もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。
その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。
正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。
全世界をさばくお方は、公儀を行うべきではありませんか。」

主は答えられた。
「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」


甥ロトのための、アブラハムの執り成しの聖書箇所ですね。映像では、50人までで止まっています。

ノアが箱舟を造船するのには長い時間がかかりました。洪水が起こる直前まで、箱舟の戸を神が閉じる事はありませんでした。
雨が降った事が無い世界で、「洪水が来る」という預言を立てて船を造り、船に乗る者は助かると戸を開けていたのに、信じる人々はいなかったのです。
初めから入るべき人と定められた人々と生物が入り終わるまで、ギリギリまで戸は閉められませんでした。

笑って飲み食いしていたいつも通りの町ソドムに、滅びがやってきた。その時ロトは、受肉前のキリストイエスに直接手を引かれて町から取られました。

神とアブラハムとの約束、アブラハムとの契約は現在でも語り継がれています。その通り守られているからです。アブラハムの執り成しは、ですから今日も生きていると思います。



霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。

だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。
なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。

彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそが神であると宣言します。

私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話しておいたのを思い出しませんか。

あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現れるようにと、いま引き留めているものがあるのです。
不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれるときまで引き止めているのです。




主の日=神のさばきの日について書かれた聖書箇所です。聖書箇所はテサロニケですね。
引き止めている者のひとつは、成長待ちの麦といえると思います。
毒麦と良い麦とがはっきりするまで収穫を待たれる麦です。

ノアが箱舟に入り終わると戸が閉じられたように、ロトが主に手を引かれて町を出たように、最後に収穫される麦があります。
麦が蔵に治められると主の日が来ます。

キリストの十字架は箱舟の戸に上るはしごです。
キリストの流された血は、毒麦を良麦に変える堆肥です。

これらの事は、映像を見ながら思い起こした事の一部ですが、これらの事は脳裏をぐるぐるまわっていましたよ。映像を見ながら。
だから…。見て良かったと思います。私には有益な時間になりました。




私を憎い人も、私が怒っている人も、
今の時代で不安を抱えている人も、辛い状況にある人も、
今不足がある事により、そのような思いをしている事は悪い事ではないと。私は自分にも人にも宣言します。
今世から受けるもので満ち足りていると思っている者は、実は一番不足した人だと後でわかるからです。
何かが不足する事で起こる、憎しみ・怒り・悲しみ・不安、これらの事を十分に味わい尽くしてください。
後で満ち足りたときに感謝するためです。

主の日は日々近づいています。
そのとき、姿勢を正す事ができるように願います。
マラナータ。主よ、来て下さい。
キリストの御名により、アーメン。
posted by Mako at 12:00| 聖書関連