2020年09月07日

J-Popsに入ってくるラップ調。私の違和感の理由がわかった

▼映画 fighting temptation から


ゴスペルの名曲 Down by the Riverside( to da River ) の途中から、Choirの手伝いで引っ張ってこられた囚人がラップを始めてしまうシーンです。

違和感の正体はコレじゃね?って思いました。

Christia nmusic はできる事をできる人が持ち寄り合う+できない人もできる事を持つようになることで成り立っている。これが土台と言えるかもしれません。
そこにリードとして、賜物を受けている人が中心に立って指揮をしていったり、曲を引っ張っていくわけです。

▼ Brother David のバーチャル choir がこちらです。


大人から子供まで、手話やボイパスまで、できる人ができる事をするという形で世界からChristianが参加した即席の choir です。

だからですね、Christian music という舞台では、ラップはラップができる人が入ってくるのが通常なんですよ。

静さんが『Evergreen〜永遠に〜』というアルバムを出しましたが、その中に Hallelujah feat IZREAL という曲が収録されています。ラップと混合なのですが、静さんのアルバムでありながら、主役はラップの方よと言わんばかりにリードの座を譲っています。
これを改めて聞き直したときに、「あ〜。これかも?」って思いました。




そもそもヒップホップやラップに興味が無い人がラップ調で入れてくるから違和感があるんだと思っていたんですよ。
ラップって、ゴロがいい単語を羅列しているだけのように聞こえるけれど、メッセージ性がすごく大事なんですよ。
ラップは歌詞に込められたメッセージ性を楽しむものです。これがJポップス曲に入るラップ調との違いですね。


例えば nobodyknows のさくら。ピー処理しなければ販売できないっすけど?歌詞変えません?って曲なんですよ。それがさくらです。



恋は夢中になるもので、ハマるもので、浸かるもの…
これらを覚醒剤と表現したんですよ。
恋は人の心や思いを覚醒させるもの。そしてその恋の感覚にどっぷりひたっていく事なんかもかけてあります。

これは恋をテーマにしてるので、理解する事ができる人は多いと思います。
ラップで政治や社会問題をビートに乗せてくるとなかなかすごい表現が入ってくるんですよ。

ラップってそういうものです。表現力はビートもそうだし単語の羅列もそうだし、すべてが表現力で出来上がってるものなのです。そもそもが。
だから好みがすごく分かれるんですよね。

これをね、ポップス曲のような軽い恋愛のノリのワビサビとして入れてくる、その使い方、ラップに興味がないとかできない人が地声で入れてくる。だからこれに違和感がある。
今まではそうだったんです。この基本的な軸はこれで良いのだと思います。私の違和感の正体。

普段 Christian music を聞いている私には、特に違和感があるんだと思いました。

ラップをできる人が入ってきますからね。そっちは。できない人が無理して乗せてくる事がほぼありませんから。
だから、もう少しラップとラップ調は分けて考えるべきだと考えるようにします。
これはこれでひとつの表現なんだと柔軟性を持って受け入れないと、そのジャンルのその手のものをすべて否定しますからね。

違和感の正体がハッキリして、少しスッキリしました。
posted by Mako at 14:56| 日記

言語文化の違い?なのか?

最近ね、二日ほど長電話をする日がありまして…。

「あんたと話してると面白いわ〜」って言われたの。ま、女性ね。これ。

それで思い出したんだけど、イタリア語の勉強を頑張っているときに、毎日毎晩同じイタリア人男性と話していたのよ。Skypeで。
彼は「きみの話は面白いので時間がすぐに過ぎるよ」って言ったのを思い出したの。

でね、違う国の人って笑いのツボとか、面白いとか楽しいっていうツボがやっぱり違うのよ。

例えばね、一緒に何をしたら楽しいだろうか?って会話してる相手と考えたとするじゃない?
アメリカ人にもわりと多いけど「ダンスは?」ってすぐ出てきやすいワードでしょ?
これって日本人には無いワードじゃない?

なんだってあなたと会った日に踊らにゃいかんのよってなってしまうのはなぜだろうか???

海外から友達が訪ねてきました。あるいは自分が自宅を訪問しました。
ドアチャイムを鳴らして中に入れてもらいます。
「さぁ、せっかく会ったんだもの。踊りましょう!」って言われたら「え?なんで?」ってなるでしょ?日本人。
「じゃあまずはお茶でも飲んで、夜踊りましょう!」って言われたら「まぁ、気が向いたら…。」的なその気になったり、その雰囲気によってぐらいで流すぐらいでしょ?

全部違うのよね。

冒頭に書いた「あんた面白いね〜」みたいな事を言うんでも、イタリア語のようなロマンス語圏内の人ってさ、割とオプションがつくのよ。
そうだなぁ。webカメラをつけて話しているときに「やっぱり日本人は肌がきれいだね。」って相手が言ったとするじゃない?
男性も女性も、太陽の陽が長い国の人よりキメ細かいからね。肌の。中国人の怪しい透明感やテカリには負けるがw

そういう事を言うときでも「まるで陶器のようだよ」とか、なんか玉子の何かみたいだとかね。何かに例えて具体的に言ってくる場合が多いのよ。
わりとね、これが結構ウザイのよ。

「肌がきれいだ」これで済むのに、いちいち何かをつけ加えてくると、言われた方も何かオプションをつけて喜んだり返したりいけない気がするのわかる?
それに喜ぶと思って言ってるんだよ感満載だとさ〜。伝わらないかなぁ?こういうの。

まぁあれだ。同じような事を言われた事があるので、日本人の表現はサッパリしてていいって思いました。はい。
posted by Mako at 00:10| 日記