2020年10月23日

竹内文書だけはマジで私には無理

人はそれぞれ、信じるものを自由に選定する事ができる時代に生きています。

コンビニで売っている羊羹よりも虎屋の羊羹の方がおいしい。

これもまた信じる事がベースになっています。
それを証明するのが証拠です。仮説では証拠になりません。

数々の超能力や霊能力を暴いてきたジェームズ氏が亡くなりました
「私が暴く事ができなかったら1億円差し上げます」という賞金の高さから、中国や韓国あたりからも挑戦者が出ていました。
彼は趣味が興じてこのような事を行っていたのではありません。これらの闇に挑んでいたのです。

例をあげて言えば、「私は不幸だ」と考えている人間に「それは先祖の霊が…」とアドバイスする人間が現れたらどうなりますか?自分の向き合わなければならない問題をそっちのけで、供養に時間を費やしたり、苦行で自己を高めようとしたりし始めます。お金で買える価値ある物や力ある物を買いあさったりします。安値でも高値でもです。
そうして無駄に時間を浪費するだけで、本来の問題に向き合う時間を阻害してしまうのです。
その時間があれば、本来なら向き合うべき相手と向き合えたであろうし、不幸の原因となっている問題に対処できたはずです。
解決策を与えないのに解決したかのように思わせ、金銭も時間も奪う。このような行為は完全なる詐欺であり、社会悪である。このような考え方が根となっています。
ただの愉快なおっちゃんではなく、社会悪と戦った戦士のような方です。
彼が亡くなった事を、私は大変残念に思っています。

彼がそのような闇と戦った武器。それは証拠と立証です。これに勝てるものはありません。




記録媒体



 聖書は、反論者から常にその信用性についてやり玉に挙げられてきました。日本書紀なら、平安時代に写本された日本書紀があったりしますよね。聖書、特に旧約聖書の場合は紙が記録媒体として登場する以前の物ですから、動植物の皮、粘土、石等を遡っていく事になります。

 紛争の多い土地、しかも侵略した側が侵略された側の物を灰にする大陸での事ですので、現存する物を証拠してあげるのが難しいものとなります。

 紙は紀元後に登場する記録媒体です。その写本ですら、破損の可能性があるので、やすやすと広げる事ができない物になっています。それはそれで「古いものだから」と認めるも、それ以前の物となると「そんなもの…」となってしまう人が多い日本人。これはなぜなのでしょうね?私は太平洋戦争時代の教育に根があると考えています。




神の書記



 先日書いた海外ドラマに『神の書記』と呼ばれる性格の悪いちっさいおじさんが登場します(笑)神の書記。この名称は誰を指すものか考えた事がありますか?

 彼の役名は『メタトロン』です。カバラ系やラビ法典等に登場する契約の天使の名称として知られていますが、これは実はユダヤ教でありながら反ユダヤ、カルトの象徴だったりします。

 『神の書記』を聖書を基軸として考えるなら、その本名は『モーセ(英語発音ではモーゼ)』になります。天使では無く人間です。つまり、神の預言者です。
 あのドラマでは、神の預言者であり、神の書記である人物を貶める役柄で、それを象徴する名前の役柄を配置していた事になります。

 そこについては特に文句はありません。不快に思うだけです。問題はそこではありません。

 『神の書記』と呼ばれるモーセですが、彼が本当に実在したのか?という問題は、ずっと肯定派と否定派の論争が続いてきました。なにぶん、古い時代の人です。ですから証拠を提出するのは考古学や歴史学の分野も取り込んでの大論争となるわけです。




モーセの証拠



 日本人にもモーセ否定派は多く存在しています。その有力な根拠は、エジプトの文献にユダヤ人が奴隷となった資料が見つからない。モーセという人物が歴史文献に見当たらないというような内容になります。

 これに反論するのが、古代エジプトでは、その奴隷や捕虜とした民族の本来の名前にエジプト名をつけていたという背景があります。モーセの時代よりも遡ると、ヤコブの子ヨセフの例があります。ヨセフのエジプト名はツァフェナト・パネアです。もし、ヨセフがヨセフのまま呼ばれていたら、後にエジプトを訪れた兄弟たちに、すぐに素性がわかっていた事でしょう。

 Brooklyn 35:1446と分別番号をつけられたパピルスがあります。ブルックリンに保管されているのでこう分別名をつけられています。

 これには、モーセが生まれる時代の前のエジプトのファラオについてまとめられている内容が記されています。奴隷達の移送や、置き換えたエジプト名等聖書の記述と一致する内容ばかりです。モーセは奴隷にされているイスラエル民族の男の子を殺し、女の子は生かしておくよう助産婦たちに命令されている時代に生まれた男の子です。
 モーセは殺されないために、こっそり生んで川に隠された男の子として聖書に登場します。このファラオの命令を裏付けるかのように、移送や奴隷に対するあれこれを読む事ができるパピルスでは、男女比率がおかしい事に誰もがすぐに気づきます。女ばかりが多いのです。男性1に対して女性3ぐらいの割合になっていると聞きました。(自分で読めないのですみませんです)

 それから、成長した奴隷達の血縁の子が、エジプト人として軍勢を率いていた事などもパピルスからわかります。

 ほかに、地に無造作に放り投げこまれたかのような大量の人骨。これもまたモーセの話に出てくるのですが、そのような物も発掘されています。

 私は証拠があるので嘘ではないと言いたいのではありません。そうではなく、モーセを指し示す聖書以外の物が実際に出てくるという事を言っているのです。クリスチャンでは無い考古学者が発掘作業をしていても、それは出てくる。そういう事を言いたいのです。




天津教の聖書竹内文書



 これを信じている人を傷つけたくはないので、なるべく気をつけて書こうと思うのですが…。歴史ある書物や文献、それに準じた証拠というような物は、自然と発掘なり発見なりで見つかってしまうものである。という前提に立った時、これは完全にストーリー重視の物語であると言わざるを得ません。

 登場する単語にしたって、それが古文書であると仮定するならば、それにそぐわない物が多すぎるという事実があります。それが広まり始めた頃に書かれたものであるならば、入っていて当然というような単語が混ざっている。ですから、これを古文書として扱う事は知性的問題としていかがなものだろうか?と私は思うのです。

 実際の内容を私は知りませんが、これにはモーセも登場するのだとか(苦笑)ただの噂で嘘だったらごめんなさい。
 モーセが石板を持って天皇を訪問し「これを世に知らしめるべきだろうか?」と相談して「知らせるべきだ」と助言を受けたので知らせる事にした。そう語っている人の話を聞いたんですよね。都市伝説的話ですから、実際のストーリーとは違うかもしれません。

 神から与えられた文字入りの石板をどうしようかと人に聞く理由がわかりません(笑)疑問があるなら、それを受け取った時神に聞けば良かったのでは?と思います(笑)

 神武天皇ですら紀元前660年頃のはずですから、それ以前の天皇ということになるのでしょうか?天空を飛ぶ船で訪問し、友好の印としてモーセは石板を手土産においていったそうです(笑)

 小説として読む分には面白いSF系ファンタジー作品である。そう思って話を聞けばとても面白いのですが、リアル社会に持ち込まれると困ってしまうのです。根拠やソース類が存在しないからです。時代も名称も合わないし整合性の取れない登場人物・名称が入り混じっていて、とてもリアルに持ち込んで話せる内容ではないと拒否反応が出てしまうのです。

 そして、それを事実のように語る事に恥ずかしさが出てしまうんですよね。ごめんなさいです。本当にこれを信じてる方には申し訳ないのですが、無理です。


posted by Mako at 18:26| 都市伝説?