2020年10月26日

数々の黒歴史は聖書のせい?

つながる聖書〜エデン〜に書いた内容は、とても大切な前置きです。

聖書に沿った内容かどうかをクリスチャン個人が判別できるようになった事と関連する話を書くからです。




イスラエルからキリストの共同体(原始キリスト教と呼ばれるもの)が形成されてから、ヨーロッパで教団の形になり、権力一緒に大きくなりました。
この頃〜中世ですね。この時代は聖書は個々に所有できない物でした。教会せ説教する立場の人物が、主に教会の敷地内で読む事ができたのです。一般の人々は、彼らが語る聖書の内容を聞くだけだったのです。

ですから「聖書を信じるのは危険」と言いながら、その時代に起こった事を聖書=悪と語るのは間違っています。

聖書に合わない事を言われても、それを知る手段が一般人にはありませんでした。

異端審問も、魔女狩りも、科学技術の類もすべてです。そして、識字率の問題もありましたし、聖書を解説する彼等は、聖書をラテン語で使っていたのです。ますます一般信徒には理解できません。
かろうじてユダヤ人は間違いを理解できたかもしれませんが、それも旧約聖書のみです。特にモーセ5書と呼ばれる旧約序盤の5つの書に特化している状態です。

歴史の中で起きた出来事を考察するとき、その時代背景や文化もセットで考えなければなりません。現代とは違うのです。
また、権力層の多くは、権力者がキリスト教を国教とすると言われたからすりよっただけで、キリストが何かもよくわからない人々ばかり。そんな状況から大きくなった組織です。

現在は、信徒それぞれが聖書を持つ事ができる時代ですし、他人の力を借りなくても読む事ができます。外国語でも読める人も多くいます。
新しい発掘や発見があっても、それぞれが吟味できる時代なのです。
識字率や、他言語の聖書を個々に読む事ができるようになってから、キリスト教はどうでしょうか?

大きな黒歴史は無いと思います。信徒がおかしい事はおかしいと気付けるからです。
つまり、聖書のせいで起こった事ではないのです。

人間社会で人間がやる事ですから、間違いはたしかにあります。無い方が不思議です。しかし、黒歴史になるような出来事は起きていないと思います。
聖書を自分で読める人が増えたのにそれが減ったのだとしたら「聖書を信じるのは危険」ではない事の証拠になりませんか?


posted by Mako at 14:25| 聖書関連

つながる聖書〜エデン〜

以前書いた投稿【こちら】の延長線上の話です。
次の話は【こちら】です。


聖書はつながっている



聖書は、すべての箇所がそれぞれつながっています。物語としてではなく、真理においてです。ですから、偽書はたいていわかります。よくできていて騙されたとしても、結局偽書だとわかって排除できます。
必ずつながっているからです。



 夜が明けそめたとき、イエスは岸辺に立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。

 イエスは彼らに言われた。
「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」
彼等は答えた。
「はい。ありません。」

 イエスは彼らに言われた。
「船の右側に網をおろしなさい。そうすればとれます。」
そこで彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き揚げることができなかった。

ヨハネ21:5〜6


復活のイエスと弟子たちの様子が書かれた聖書箇所です。弟子たちは食べ物が無く空腹だったので、船を沖に出して漁をしました。ペテロは漁師出身ですから、食べ物に困ったら漁をする。こんな時に心づい良い存在ですね。しかし、魚は思うようにとれませんでした。…というか、まともに食べれる魚が一匹もとれていませんでした。
その船の弟子たちと岸辺のイエスの会話のシーンです。

この聖書箇所は創世記の失楽園の部分とつながっています。私が創世記の失楽園の部分を取り上げるのは、知っている人が多い聖書箇所だからです。

善悪を知る知識の木の実を食べ、エデンの園を追われたアダムとエバ。彼らは自分の意志でそれを食べ、その結果楽園を追われる事になりました。

さて、この楽園を追われるとき、神の裁きはこう言いました。



土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。
あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。

創世記3:18〜19



エデンの園を追われると、額に汗して働く事で糧を得る事になる。死ぬまで食べるために働き続ける事になったわけですね。

これをもっと輪郭のある表現に変えたいと思います。実際は、聖書の言葉を変えて言うのはよろしくないのですが、今は、私が言いたい事をわかりやすくするために敢えて色をつけます。



神の定義



天地万物を造られた神とは?

▼以下定義の一例
1. 愛
2. 命
3. 恵
4. 祝福
5. 義

これらのことばで神を表現できます。本当はもっと多いのですが、キリが無いので代表的なものを5個選びました。

エデンの園を、ここだけの話に限定して新しい定義をつけます。これが今回つける色です。聖書のつながりを、クリスチャン以外にもわかりやすくするためです。

▼エデンの園の定義
エデンの園とは=神の御心

人がエデンの園にとどまっている間は、恵の神が祝福をもって人の必要を満たしてくれるので、自分で頑張らなくても足りるのです。
しかし、神の御心に背く道を選んでしまった人間。彼らは神無しに自分で決める。自分で生きる。これを選択したので、自分で糧を得る事になったのです。
また、不平等や、理不尽なども、完全に実現される義が無くなったので、人間が人間の知恵で行うしかありません。だから、どの時代の人間社会でも義の不足が起きています。
糧は、食べ物だけを意味せず、人が生きるために必要なすべてのものととらえていただいて結構です。今はですけどね。

地上のあらゆる技術や学問、道徳や法は、この為に開発され続けているものです。人が神無しに必要を得、解決するためです。



ヨハネ書と創世記のつながり



イエスキリストは、神が人の形をとって生まれたものです。ですから、100%人間であり、100%神という存在です。

弟子たちは、自分達が決めた場所に網をおろして漁をしました。しかし魚をとる事ができませんでした。
岸辺に立つイエスが彼らに声をかけました。
「船の右側に網をおろしなさい。そうすればとれます。」
弟子たちはその通りにしました。網を上げる事ができないほどの魚がとれた。

船の右側に網をおろす事は、イエス(神)が弟子たちに言いました。弟子たちはそれに従って網をおろしました。
わかります?イエスが弟子たちにかけた言葉は、神の御心です。弟子たちは神の御心に沿ったので糧を得たのです。

創世記とヨハネ書がつながっている事がわかりますか?意味が相反しないという事がわかるでしょうか?



わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。

ヨハネ15:4



これはイエスのことばですが、新しい時代、つまりキリスト時代以降に用意された新しいエデンです。キリストは神の御心の現れですから。あなたはそこに居なさいと言っているのです。
エデンを神の御心に例えるならば、「わたしもあなたがたの中に」は、私達個人の心です。
う〜ん。両想いみたいな感じでしょうか?ちょっと軽い言い方になっちゃうかなぁ?

ヨハネ書と創世記をカップルのように並べてみました。個々の聖書文献と聖書文献はつながっており、相反しません。これはとても大切な事です。

私は今回色をつけて書くという、あまり好ましくない書き方をしてしまったので微妙ですが…。
牧師や神父達、宣教師たちにも同じ事が言えます。聖書に相反しない、つながらない聖書メッセージはありえません。
聖書に精通してくると、それがわかるようになります。見分けがつくようになるんです。
けれども、それを判断材料に分別するというのも少し違います。真理の御霊が気づかせてくださいます。これに従うのが正しいのです。




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posted by Mako at 14:08| 聖書関連