2020年11月04日

日記の続き

私の中で育っている木は、このままにしておいてはいけないのよ。
やがて実をつけて食べごろに熟すから。

今食べなければ。とか今食べないと間に合わないとか。そうやって機会を見て食べようとしてる思いにきっと勝てないから。

バッサリ切り落倒さなければならないんだけど、そうやって手入れを繰り返しても、何度も何度も上を行く思考回路で何度も刺し木されちゃうのよ。困ったもんだ。他人事のように言ってるけどけっこう切実。それもず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと。

他人がどう思おうが、私はよく我慢したしよく頑張ったと思ってるの。だから、責められても気に病む事はないと思ってるのよ。
それを、私の事を何もわかろうともせずに責め立てる時にだけ顔見知りになったり登場するような私には無関係な人達に囲まれて断罪されるのも糾弾されるのも、わけのわからない言い訳を捏造されたり押し付けられた利するのも、あまり効果がないの。だって、そういう事にもう耐えていてはいけないって時間の流れが訪れたてしまったから。私一人が我慢をすればよい問題では無くなっていたし、私一人が我慢をすれば済む問題で処理しても、それを一生は続けられない。

私の事を許せないと思うのも思わないのも、もう私の手の中には無い問題なのよ。とっくの昔に。

ただ、早く解放されたいの。
でも、もう手遅れのものが多すぎて…。受け入れてしまった自分の中にしまい込んでいた思いも、もう元の場所に戻せないし。

キリストに出会えて本当に良かった。そう思える瞬間って、一人で頑張れと放任しないところでしょ?一緒に重荷を負って、一緒に歩いて、一緒に泣いて、一緒に生きてくれる。だからクリスチャンって皆頑張れるのよ。だから私は、この木が育つ前に伐採しなくちゃいけないんだけどねぇ。

悲観してながめてるのよ。今。
なんていうか…なんど伐採して新しい刺し木が育つの。で、疲れてしまってる状態。

だからさ、やっぱりここはさ。胸の痛みを感じながら耐えるんじゃなくてね。イエスさまに期待して喜び、胸躍る事を考えながら期待してワクワクしなくちゃいけないと思うの。
彼はきっと、私が想像もできなかったような最善を運んできてくれる。それは絶対なのでね。その事を今から感謝して喜んでいるべきだと思うの。

影響が出てしまっている色々な部分も、御手がゆきとどかないわけがないのでね。

育ってはいけない木をながめながら涙を流すよりも、立ち上がって木を切り倒さないと。でさぁ…できれば、誰か手伝ってくれない?この木は大きくて太いからって感じw
手助けになるような風を、イエス様は起こしてくれるだろうか?
そこは頑張れよ〜って言われるだろうか?

posted by Mako at 17:49| 一人じゃないよ

日記

増幅した嫌悪感の後処理がなかなかの苦痛。

「友達紹介してあげてよ」よくあるでしょ?彼女を探してる友達に友達を紹介してよって頼まれるみたいな?
あの時の場合は、私の友達を気に入ったと言っている人にあらためて紹介してやって欲しいって言われたのよ。
で、結局紹介する事になって、行った先は飲み屋のボックス席。彼女お酒好きだったしね。

「紹介してあげて」と頼んだ人(ココの下段の方に書いた人と同じ男性)がね、紹介してもらうはずの人を差し置いてとにかくその女性を口説き始めるのよ。
やっぱり私を引き合いに出して比較して、コケ落とすような口ぶりでね、彼女の座っている席の後ろに手をまわして、彼女の膝のところに手を置けるように足を組んで。
「なんだろれは…」もちろん私もそう思うし、彼女もすごく困ったの。本気で嫌がっていて、何度も「なんとかしてよ」って頼まれて。紹介してもらう側の男性も、その様子をボーッと見てた。

私は正直帰りたかったけど、頼んでわざわざ来てもらった彼女を置いて帰るわけにもいかず、紹介して欲しいと言った男性もそのままにして良いのかもわからずで時々その男を止めに入る程度。彼女の顔が本気モードになるのを読み取って声をかけるみたいな感じ。

その帰り道、彼女と紹介してもらうはずの男性は、そりゃぁうまくいくわけが無いわなぁな状態ではあったものの…とりあえずセットで帰路につくわけなんだけど。
「あ〜。行っちゃった。しょうがない。おまえで我慢すっか〜」って一緒に帰路に着こうとした瞬間から、拭えない嫌悪感がね、心の底の方で芽生え始めてたの。

時々、触るな!近寄るな!って気持ちがね、こみあげてくるのよ。

これは嫌悪感の始まりだから実際にあった出来事をひとつ書いているけれど、本当にいろんな事があったの。こんな事はきっかけに過ぎないだけの話なのよ。
彼と一緒にひどい事を言ったり、ひどい態度をとる人を相手にも、彼にも、嫌いにならないように頑張ったのよ。

本当なら、誰の事もここまで嫌いにはなりたくなかったの。私がその気持ちを受け入れてしまうと、他に影響が出るというか…。ここは書きたくないから書かないけど。

過去にあった出来事って、もう絶対に変えられないでしょ?

例えばね、父が亡くなったとき、彼は近くにいたけれど…。涙が止まらなくて立っているのもきつかったのよ。それで近くにいたから腕を掴んだんだけど「なんだよ!」って投げ飛ばされるぐらいの勢いで押しながら引き離されてさぁ。壁があるから倒れはしなかったけど。みんな一斉にこっちを見たの。すごく恥ずかしかった。
この出来事は、私の父がもう一度死ななければやり直せない。でもそれは絶対に無理でしょ?そんな事はわかってるの。だから、できれば過去に何があったかとかを考えたくはないのよ。

でもねぇ、それを許さない人達がずっといたし、それは未解決のまま今があるの。

私はこれに耐えられるだけの強靭な心の持ち主である事を全員が満場一致で求めてきたというか(笑
どんな態度にも言葉にも言い訳をつけるけれども、全部都合のよいところから始めたストーリーであって、それを正論ぶって押し付けてくるのよね。
私は、そんなものに耐えられる精神力なんていらないのよ。まったく望んでないの。そうじゃなくて、そういう人とはかかわりあいになりたくないし、文句しか出ないし、嫌なところしか見えないのだから、離れてくれればそれでいいと。それしか望んでいなかったの。

そして、色々あった辛い事や嫌な事なんかにも蓋をして開けないでおきたかったの。嫌悪感も当時の記憶のまま蘇るし、何一つ解決してないからさ。全部やりっぱなし、言いっぱなしでそのままなのよ。

だから未開封、未処理のままの感情や痛みとか、記憶とか?そのまんまの状態で蘇ってくるの。で、結局私が彼等を嫌いである事を受け入れたの。

心配していた影響がね、やっぱり出始めてるのよね。本来そんな感情を持たないはずだった部分に、その嫌悪感とか、嫌な思いとかが向かっていくの。これがなかなかつらくてね。
今、心の中の色々な未処理の部分と格闘してる。

こういうとき、私はキリストを知っていて良かったと思うの。人が触れられない、癒す事もできない、そして理解する事もできない痛みや記憶は、イエスさま以外にはどうにもできない。
未処理のまま時間だけが過ぎているくだらない毎日も、彼が必ず最善を用いて益なものと変えてくれる事を私は知ってる。だから良いのだけれど。
このどうにもならない長い時間がね、私の方がキリストの手を放して壊れてしまうんじゃないかって気にさせるのよ。
っていうか、壊れてしまいたいの。

そこでまたあれこれ考えるんだわなぁ。気に病んでも仕方のない事に捕らわれていたくないのに、私にとってはどうでも良い事のために無駄に時間が過ぎていくのが本当に辛いの。
ぜ〜んぶ捨ててしまいたい。そうすれば影響とかさ、他の事なんか考えないで済むのに。
posted by Mako at 16:08| 一人じゃないよ

Dの意志とやらについて考えてみる

ルーツ



都市伝説界隈で力説されている『キリストの子孫』は、『神の母』を教義に持つ『キリスト教を模写した反キリストの宗教的概念』である。

この事は言い切っておきたいと思います。

つながるものに書いた系列はその中心と言えます。

世間一般で、広く『キリスト教』として知られているものは、実はキリストに反するものである。これを知らなければ、この事は理解できません。

彼等が目指すものは、『キリスト教的』な『道徳心』『信仰』『秩序』を排除した『聖書の神(天地万物の造り主)を排除した新しい世界感』です。

『光の天使』は、聖書から引用したサタン(悪魔)の別名ですが、『光運ぶ者』とも呼ばれます。

『光明』とも表現されます。これとルーツを同じくする宗教や啓発、悟り等は、大抵後光(ごこう)を持ったシンボルを利用しています。



光と啓発



イルミナティーの語源ですが、『光』の他に『啓発』を意味します。『自己を啓発された者』で、それは『光』によってです。

先程書いた事に従えば、サタンによって目を開かれた者です。
彼等が第三の目と呼び、目に見えない目を開かれた者である事を自称する言い方になります。

この自称名を結社や組織名として認識するのは、誤解や勘違いをするのでやめた方が良いと思います。その人々と考えるのが良いかと思います。

神を形創る事(偶像の作成)は聖書によって禁止されています。彼等はこれを多く行いました。

像を作ったり、彫り物として残したり、絵画にしたりと色々です。
そしてそれらには、人々には理解できない『光』の存在や、信徒にはわからない『反聖書』や『反キリスト』の印を残しています。

この事から私は、分からずにそれを信じてやった人の他に、確信を持って行った人がいると考えています。



そこで、 蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」

そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。

創世記 3章



わりと単純ですが、ハッキリと『反聖書』であり『反キリスト』である事が分かると思います。

さて、太字にした『女』ですが…

『玉子が先か?鶏が先か?』論争に似ています。
聖書の神は『父』と表現されたり、『男神』のように思われる比喩が多く記されます。ですから『男性神』と誤解されています。実際は男性でも女性でも無い事になります。

聖書中には『母』としての比喩もあります。新旧どちらの聖書にもあります。



天の女主人



しかし、彼等の教義では、聖書の神は『男神』です。男が自然発祥的に存在するのはおかしいので、『それを産んだ母神』が必要なのです。

けれども、それを言ってしまえば、子供は1人では作れないという話になってしまいます。『父』と呼ばれる『神の父』までもが必要になってしまいます。
それを解決したのが、イエスの母マリヤは処女懐胎したという聖書の記述です。

それ以前はどうだったか?と遡れば、シュメール神話のイナンナ(後にイシュタルと呼ばれる)に行き着きます。

これも古い時代の反聖書的教義の宗教で、『天の女主人』と呼ばれる女神です。

イナンナをイエスの母マリヤと同じに見立てて『キリスト教』を装った存在が出来上がる経緯です。

キリストの子孫も、神の母ありきの発想です。イエスの後、ユダヤ人は方々に散らされました。
都市伝説好きが力説する『失われたアーク』。これはユダヤ神殿にあったはずの、モーセの時代に遡る契約の箱を指してそう呼んでいます。

この『契約の箱』は、イスラエル氏族のレビ族だけが触る事のできるものです。通常神輿(みこし)のように運ばれます。

レビ族以外の者がそれに手を触れれば死にます。即死です。
このレビ族でさえも、どこの誰かもわからない状態になりました。
かろうじて、レビ族の末裔であろうと思われるファミリーネームがあり、それがレビ族の子孫や近親者であろうと見られている状態です。

キリストの子孫を断定して見つける事は非常に困難です。
迫害もあり、ユダヤ人がユダヤ人である事を隠す場合も多いのです。

しかも、ユダヤ人達が散らされたイスラエルで子孫を見つける。これがあり得ますかねぇ?

マリヤの次にマグダラのマリヤを新しい神の母に見立てただけに見えます。



女と蛇



本当は、ネフィリムと白人至上主義について書きたかったのですが、人種差別主義者をさらに人種差別する表現になりそうなのでやめておきます。



さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、 神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。

ー中略ー

神の子らが、人の娘たちのところに入り、彼らに子どもができた ころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった。

創世記 6章



神が女に入って神のような巨人を生む。これは彼等にとって都合の良い聖書箇所です。

神懸かりや神々への捧げ物として女が選ばれる事が多いですね。
蛇((いにしえ)の蛇)はサタンの別名です。

基本的に、いわゆる天使と呼ばれる者は子孫を残さない者です。何故なら死なないからです。死なないので世継ぎの必要がありません。

しかし、後にサタンと呼ばれる堕天使は違います。神の裁きにより『死に定められた者』です。

最近、霊能力者の子孫は霊能力を持つといった風潮でユーチューバーさんが出てきたりしていますよね。

堕天使が人の女に入る。これは霊性が混ざる事を意味すると私は個人的解釈をしていますが、そうすると、それを受け継いだ者が生まれる。

遺伝子の話ではなく個人の血族に関する霊性です。

悪霊は悪霊とつながりを持っています。人々が噂する幽霊の形をとって現れたりするのは、人間が見たり経験したりする事を信じるからです。

災害で死んだ母と子の幽霊が出る場所。こう噂される場所ではその形を取ります。
時間が過ぎてそこで事故死した者が現れると、事故に誘う事故死した人の霊という噂で上塗りされます。
そうなればその形をとって現れます。
以前のものが消えたのではなく、以前からいる者が形を変えているのです。

ーーー追記ーーー
また、恐怖や不安が、その場の状況や経験に辻褄を合わせようとして見せる幻覚も多いと思います。不安や恐怖が、緊張状態が脳の分泌物に影響するというのが理由かもしれません。全て通常では目に見えない何かであるわけではありません。
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人々を恐れさせる事によって、その霊性を持った人間が拝みにやってくるからです。

人間の場合も、堕天使の場合も、神を侮って神のようになろうとする者は死に定められます。

神が地位を脅かされたから怒って罰を与えるのではありませんよ(笑)
命の源である神を捨てる事になるので、自力で生き続ける手段を見つけない限りはやがて死ぬ事になるのです。
神の裁きはその後という事になります。

『彷徨える霊たち』や『行き場の無い霊たち』は、『蛇の子』になります。サタンに追従する事によって生まれた(芽生えた)者の霊。これらを総称して悪霊と呼びますが、それに引き寄せられるのは、その霊性を持った者です。

所謂能力者や巫女、神職の類とされる力ある者達です。

彼等の言う事を悪霊が聞くのは、彼等がその霊性を持っているからです。それを持たない人の言う事は聞きません。

この理屈から、悪霊に「その人から出て行け」と言っただけで、人を悪霊憑きから救ったイエスを「悪霊の力を使っている」とユダヤの宗教指導者達が言った様子が新約聖書から伺えます。



エクソシズムの不思議



昔、一般人が医者にかかる事が難しかった時代に人々はどうしていたか?

拝み屋やまじない師に依頼して、邪気を払うとか、霊障を抑えて健康を取り戻すという事を広く行ってきました。

シャーマンと呼ばれる人々もそうだし、日本で陰陽師と呼ばれるものもそれに当たると思います。
まぁ、陰陽師は貴族のものですが。

これを繰り返していると、やっぱり霊性が混ざるのだろうと思います。この『霊性が』というのは私個人の表現方法のひとつで一般的な意味と一致するかは自分でもわかっていません。

映画でも、語り継がれるものでも、エクソシズムの『儀式』を行うには、危険が伴うと言われていますよね。
修行を積んだ者や力ある者、修行や学習を積んだ者しか危険なので行えない。下手をすれば命を落とす。

これは霊媒でもエクソシストでも同じです。

しかし『聖書』を読めば、悪霊に人から出るように命じて危険な思いをした者は特別です。
イエスを信じていないのに、その権威を利用した『キリストを信じる者を装った者』だけです。
また、儀式は必要ありません。

キリストの証印を持つ者が命じるだけで良いのです。彼等がキリストの権威によって命じるだけでほとんどの悪霊の追い出しはできます。

しかしものを言えないような特殊な悪霊の場合は、断食の期間を要したりするようですが、その中心となるのは神への祈りです。キリストの名によって、その人から悪霊が出る事を願い求める決意と行動が必要です。聖書によれば。

キリストを信じる者のように装った者には、遠慮なく悪霊達は牙を剥くし襲いかかってきます。

キリストの教会から派遣された者達が身の危険を感じなければならないのは何故でしょうか?
答えは聖書にあります。

ネフィリムは地上に混乱や戦い、共食いをもたらした者である可能性は高いです。聖書やそれに類する文献を見ても。

抱える奴隷のような人間や、神職として置く存在も限りがあります。
テリトリーにはうるさいのかもしれません。

ですから、全く噛み合わない霊性を持つ者が、それを鎮めたり追い出したりする事は、自分が危険に晒されるという事はあるかもしれません。
その他の宗教の場合。
posted by Mako at 11:28| 都市伝説?