2020年11月05日

無神経で雑な人が苦手

嫌悪感って…
結局ね、私の場合っていうか、特定のある事象の場合ですけどね。

「見るな」「触るな」「近づくな」

こういう単語が羅列される感情が、心というよりも腹の底の方から湧き上がってくる。この状態をね、勝手に考察されるのって本当に嫌がらせなんですよ。特に内容が下品になるとね。

性癖につなげて勝手な事を言われたり、予測を立てられたりね。

大変失礼だし、私の中の心の傷にもなるんですよ。

でも、好き勝手言ったり想像したりする人って「当然の事」をしているだけだと考えていて、人に対して失礼な事をしているとか、人を傷つけているっていう自覚が無いんですよ。マジで。

これって無神経からくるものだと思うの。相手の感情を勝手に使ってコントロールしようとする人もそうだけど、ガチで失礼でしかない事をやっているって自覚をどうして持てないんだろうか?

それを、仲が良いわけでも無い人が勝手に憶測されたそれを知っているだけだって私にとってはトラウマレベルの傷ですよ。でも無神経だから全然わからないの。なんなら、その嫌がる事をしているとわかった時点で、都合よく人の思いや行動をコントロールできるツールぐらいになっちゃうのでもっとタチが悪いというか…。

人の人格や心、思いに対して無神経で雑な人はヤバイ。これねぇ、私の教訓になってます。
ロクな事ないです。避ける対象です。たぶんこの苦手感情は一生続くんだろうと思います。

下品だし、本当に大嫌いです。
posted by Mako at 18:19| 日記

キリスト-青森の件(笑



キリストは日本にいたと信じる方の解説



どうして?どうしてなの?
どうしてキリストにそこまで興味を持ちながら、聖書にもユダヤにも興味を持たないの?
と、どうしてもわからなくてですね。そこが気になるんですよ。

私だったら、元の情報とか気になっちゃいますけどねぇ…

こちら】で説の視聴ができます^^

整理すると、彼は日ユ同祖論を信じてやまないロマンチストのようです。ロマンはありますからね。けれど、世界中にありすぎて(苦笑)ねぇ?w

ダビデの星と呼ばれるあのマークがイスラエルのシンボルとして扱われるようになったのは、大戦と迫害を経ての事ですから、古代イスラエルは関係がありません。これもね、ちょっと調べればわかる事なんですよね。

キリスト教は、現在はキリスト教として独立しているように見えますが、そもそもがユダヤ教の一派です。イエスをキリストとして認めるか認めないかの違いが大きな分裂要因となるわけです。
イエスを十字架刑にするようローマに引き渡したユダヤ教徒とユダヤ教指導者達は、現在でもイエスをメシアとは認めていません。

ユダヤ人達の中にはイエスを蔑む意味で「あの、木にかけられた男」という表現でイエスの事を言うときがあります。それは申命記に由来します。



十字架刑と申命記



申命記は、ユダヤ人達が尊ぶトーラー、つまりモーセ五書の最後の書になります。

イエスが十字架刑にされるとき、その右と左には強盗をしたユダヤ人が一緒に十字架刑にかけられていました。
夕暮れが近づき、日暮れまでに彼等を殺そうとします。通常、十字架刑の場合は死ぬまで木に釘付けられて吊るされる事になりますがそうでは無い様子が新約聖書の福音書に細かく書かれています。

十字架刑の腰のあたりに、小さい台のような腰置きのような部分があるのですが、それは十字架刑になった犯罪者をすぐに死なせないための工夫です。
十字架刑では窒息死するのが多く(肺に水が溜まるなどの理由から)、呼吸をするために、足を踏ん張る必要があります。腕は脱臼してしまう人が多いようで、上半身はダラリとした体勢になります。
足にも釘が打たれているので、激痛であまり体を起こす事ができません。それを補助する台を作る事で、その負担を軽減する意地悪い細工がしてあるのです。

足の踏ん張りを軽減してあるとはいえ、足を踏ん張って体を呼吸できる体勢に戻す力が無ければ早く死ぬ事になります。

イエスを中心に置き、左右に強盗という状態で行われた十字架刑ですが、左右の強盗は足の骨を叩き折られて死亡します。イエスは先に死亡していて、その確認のために槍で突かれました。都市伝説好きな方が好きな『ロンギヌスの槍』のあれですね。

本来はなるべく長期間にわたり、吊るした状態で生かしておく刑です。素っ裸です。糞尿も垂れ流しです。虫や鳥がやってきて生きたまま食べられます。飢えと渇きと激痛と苦しみ。呼吸ができない苦しさに耐えられず、寝る事もできずに足を踏ん張って体を起こす事を繰り返し続ける。そういう処刑です。

しかし、彼らは日暮れまでに十字架から降ろされます。

▼対象の申命記の箇所▼


もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、
その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。
その日のうちに必ず埋葬しなければならない。

申命記 21:22〜23



ユダヤでは、その日のうちに降ろさなければならない。しかも、大切な安息日の前ですからなおさらです。
この安息日の前と、日暮れに間に合うようにギリギリのタイミングでイエスの遺体を十字架から降ろして墓に収めたという事情があります。これが、女たちが先に発見する経緯とも重なるのです。ここも都市伝説好きの方がよく言いますよね。「マグダラのマリアに最初に現れた!」と(笑
まぁ、このあたりの埋葬方法、埋葬に使う薬品等、わりとおざなりにせざる得ない事情があった事も含めて、女達が、安息日明けの朝早くにイエスの墓に向かった理由がわかります。イエスが誰か個人を特定して訪ねて行って現れたのではありません。これは都市伝説好きな方の間違いです。

さて、ユダヤ人達にとって『約束されたメシア(キリスト)が十字架(木)にかけられた者ではあってはならない』のです。
申命記の続きを読みましょう。



木につるされた者は、神にのろわれた者だからである

申命記21:23



どうでしょうか?ユダヤ人達がイエスをメシア(キリスト)として認めない理由がわかりましたか?神から遣わされるメシアが、神にのろわれた者(十字架にかけられる者)であるはずがないという認識です。

つまり、何が言いたいかというとですね。ユダヤ人が好んで十字架を利用する事が考えられません。

十字架刑の前、イエスはゲッセマネと呼ばれる園で、神にのろわれた者となるこの十字架を避けたいという事を祈っています。

「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」イエスが十字架上で言った言葉です。意味は「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味になります。十字架刑を受けて神にのろわれた者となったイエス自身がこの事を言っています。
ですから、神の選びの民という選民思想の強い彼等ユダヤ人が、十字架のような木の処刑具を好んで使うわけがないのです。

これはわりと、キリストを語るのに基本中の基本です。これは知っていなければならない事だと思います。ユダヤ人が死刑を執行する為に木にかける処刑具をシンボルのように使ったり、印のように多用したりする事はありません。

イエスの時代よりも古い時代の十字架を思わせるようなものは、密教で使われるクロス(+)の可能性の方が強いと思います。もしそうだとするならば、それはキリストに反するものとなります。



前から疑問に思っているのですが…。
名前には意味があります。ユダヤ人に限らず中東でもそうです。日本でもそうです。
で?イスキリの名前の由来や意味は?

イエスの兄弟として名前が残っているのは、ヨセフ、ヤコブ、シモン等がありますが、それぞれに意味があります。イスキリの意味はどういう意味なのでしょうか?

この疑問を説いているイスキリ説を語る方を見かけた事がありません。とても気になります。
posted by Mako at 18:10| 都市伝説?