2019年08月14日

例のアレら

人が幽霊やオカルトを見るのは、不安で怖いからだと思うのです。

未来の不安があるからオカルト(予言・占い)に頼る。
死が怖いから、死後の人(幽霊)を作る。
こんな感じで、その理由に因果を述べる事ができます。

私の父は亡くなっています。これを理由に「私は父の幽霊を見た」と言うなら、おそらく、死後の人としての父のあり方。これを無意識にイメージしている結果です。

前回の投稿で、わざわざオカルト系の動画を貼りました。

『どのような所以でそこが心霊スポットとなったのか?』

これだけわかれば良いのです。




悪名高いローマの皇帝ネロ。彼は自分の母を殺したと言われています。

なんの話だったか忘れましたが、ネロの耳にも届く噂がありました。

「あの海(湖かも?)の岸を、夜な夜な女が泣きながら歩く。」

夜な夜な歩く女なのだから、生きている女とは思えません。そして、ただそれだけの噂をネロが気にするとも思えない。

「あの海の岸を、夜な夜なネロの母が泣きながら歩く。」

ネロを憂鬱にしたり、罪悪感で落ち込ませたりするには良い噂話です。
まぁ、ネロについては色々な話が残っているので実話かはわかりません。
でも、仮に本当だったとすればとしてください。

あるローマ兵が、急ぎで宮殿に向かう為に馬を走らせていた。たまたまその馬の足に蹴られて女性が亡くなってしまった。

このローマ兵がこの話を後に聞いたらどう思うでしょうか?

答えは簡単ですよね。ネロの話と同じです。




そこが何故心霊スポットとなったのか?
この情報が予め知らされる事には、理由と意味があります。

見て欲しい物を統一する為です。

「あの岸を女が!」
「いや、俺が見たのは怒り狂った男だったぞ!」
「何言ってんの?子を連れた母でしょ?」

見る人によって違って欲しくないのです。
あ、遅れましたが、私は、読み手をクリスチャンと想定して書いています。
ついでに言うと、恋愛や結婚系の話を書くときも、ある人を考えながら書いています。幸せな結婚生活をおくって欲しいので。



予め情報を与える。これは、そうする事が役立つからするのです。

【1】人に見て欲しいもの

人は、人が見たいものを見る。「幽霊なんて見たいやついないだろ?」そうです。だから普通見えません。

けれど、後方や近くの闇から音がする。

こういう時、そこに何があるかわからないという闇を見たくないのです。

得体の知れない闇を怖いものとして見続けるならば、原因のハッキリした『理解できる何か(憑代:よりしろ)』を見たいのです。

人は無意識のうちに、見たいものを作り出す事がある。

何かある。でも何もない。
何かいる。でも何もいない。
こんな思考を繰り返している事が、脳なのか心なのかはわかりませんが、耐えられなくなって具現化してしまうのです。




【2】惑わす者の働き

写真や映像に映るように、霊的な存在が動いている事があります。

一応、亡くなった『人(人間)や生き物(動物等その他の者)』が、この世をウロウロしているわけが無い事は、神学によって説明できるでしょう。
私は神学が好きでは無いので、ハデスがどうとかとは言いたくありません。

惑わす者で人に憑く者は、レギオン等で皆が知るところです。
人に憑く事によってしか生きられないアレは、人に憑いて、支配し、死にたがります。
これを、「創造物では無い不自然な生物なので、死後の行き場が無いのだ」と言う理由で、滅んだネフィリムとその子孫の霊だと解説する教師もいます。
そこは、私にとってどうでも良いのですが…

これは私個人の理屈ですが。
豚に入りたがった穢れた霊は、豚に入ってすぐ自殺するじゃ無いですか?
その事によって、人と同じようになれると思っているのだ。と言う事は出来ます。
けれど、その事について考える必要がありません。
私達はそれを知らなくても良いのです。

とにかくアレは、人を惑わし、騙して入ります。住処を得る為です。

人が畏れる事で支配しやすい。祀られやすい。拝んでもらえる。捧げ物をしてもらえる。崇拝してもらえる。
何かに似てませんか?結局所属はその何かです。

アレはつるむのが好きです。心霊スポットのような場所も、1度それになると、所以と霊の数、現象が増えていきます。

死者の霊遊び(言い方は悪いですけど)、口寄せ等をする小間使い(能力者と呼ばれる者)も言うじゃないですか。
あの始めの霊が別の霊を呼び寄せていると。正体見たりというやつですよ。




これに関わらない1番の方法は興味を持たない事です。
通常人は、余計なものが入らないように造られています。
自分から器となるような行動は避けるべきです。
惑わしによって入られないようにする為に。

そもそもアレらは、キリストの民とは無関係です。
関係があるとすれば、邪魔をしてくる、惑わしてこようとする働きがある時だけです。

また、人は2人の主人に仕える事が出来ないという言葉通りで、聖霊の内在する宮に、他のものは入れません。

人の中に簡単に入れない(何かしらの隙や恐れ等、受け入れる道が必要)のに、さらに聖霊の証印を押されている者にはもっと入れません。

けれど、アレは惑わす者ですから。
そう、よく当たると評判の占い師のようなものです。
信じさせる為の技術、騙す手口は多いです。

子を亡くした母に、自分の子の霊だと思わせるだけで隙ができます。子の死を受け入れられない悲しむ母ですからね。

自分が殺してしまったあの人の形を取る事で「自分が悪い」という隙を作ります。「だから恨まれても仕方ない」と受け入れ態勢を取らせてしまう。

気をつけるべき事は限られているし、やるべき事も多くないです。そして、畏れる必要はありません。

posted by Mako at 20:12| 日記