2019年08月15日

エノク書と都市伝説と。


悪霊(あくれい)どもはイエスに、底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんようにと願った。


墓場にいた悪霊憑きの ゲラサ人の記述を一部ルカ書から引用しました。

『アブソス』を『底知れぬ所』と日本語に訳しています。


神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。


いわゆる堕天使が繋がれている闇。ここをタータラスと呼ぶにしても、呼ばないにしても、完全な闇に入れられている事は確かです。時が満ちるまで。




別に興味を持たなくて良い話なのですが…

エノク書を持ち出す方々は、いつもここを強調します。


さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、
神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。


そして、Tエノクにはこの記述があります。


あなたたちは、聖なる者たち、霊の者たちで、永生を持つ者。
だが、あなたたちは女の血筋によって己の身を汚し、肉の血筋によって子を生み、人間の血筋によって情欲を抱き、人間のするように行なったから、血肉となり、死んで滅びる。


「これによって生まれたのがネフィリムだ」と解説します。
ネフィリムがハッキリしない以上なんとも言えませんが、ノアの洪水で『山をも覆うほどの大水』が必要だった事。これは彼等の理論を後押しするのかなぁ?なんて思うのです。

死海文書の登場で、この時の天使達の名前は、ハッキリしているのは2名である事。また、天使長のような上下関係による誘惑は無かったのではないか?という憶測が立てられる事。そして、神への強い反逆の意図が見られない事がわかっているようです。

仲間を誘った(この事を言い出した)天使『Shemihazah シェミハザ』。

次に、人に魔術、まじない、草木の根の問題を含む薬学類、美、争いの道具と作り方…etc
これらを人に教え広めた『Azazel』アザエル。

この2名は確実に名前があるようです。
後に続くものを考えても、シェミハザの件は後々の前座に過ぎなかったと解釈するのが、教会外の一般的な認識になろうとしているようですね。

エノク書に、世の混沌は彼が(アザエル)もたらしたとあります。

人類の支配者で、人を仕えさせた。代わりにあらゆる智慧(天使が持っている知識)を人に与えた。

これは異教の御利益宗教に似ていますね。
学問の神、子孫繁栄の神、豊穣の神…etcに加え、山の神、海の神、大地の神のようなものまで。
神を産む女(女神)は、ネフィリムの母親と考えれば良いだけです。




しかし、面白いとは言ってもですね、私はこれを認めてはいません。
付け足す事も差し引く事もしたくないからです。だから、あまり詳しく引用や解説じみた事はしません。
そういうわけで話の方向を変えます。

ところで、シャンバラって聞いた事ありますか?
山間部の山合い、その地下にあると言われています。

それは聖なる地で大変美しいそうです。

エノク書ではシェミハザの誘いに乗った者達(人の娘を妻にしようと地に降り立った者達)は、一箇所に集まります。この事で裏切り者が無いように誓い合ったのだとか。

彼等は、所謂罪を犯した御使い達です。もう1度引用しましょう。


神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。


都市伝説界隈の噂話ですが、これでですね、『地下』という発想が生まれるわけです。
また、御使い達が誓いを立てた場所が凍てつく地となった事を引用してですね、高い山や南極に目が行ったわけです。

「南極やあの山の氷の下には美しい大地があり、地下には堕天使がいる」というストーリーが出来上がります。

『地底人』というワードも、大抵の場合ですけど、元を辿れば、エノク書のような神話に関係するところか、聖書とエノク書を知っている文化圏から出てきます。




そんな事を思い巡らせながら、真剣にそれを語っている人の話を聞いてですね。

「なんじゃそりゃぁ?!?!」と思うのが少し好きなのです。

現実の色々なストレスから離れてこれを聞くのは、少しの休息のようなものになっています。
まぁ、「シャンバラ良いところ〜」と布教のような事をしている人は、霊性で言えば敵のようなものです。

とは言っても、私に「あなた敵側だしぃ〜」と裁く権利は無いので、深入りしない程度と決めています。

オカルト番組や映画を人が見たがる。これは「なんだかわからないものを把握したい」という思いがあるのだと思います。
死も、災いも、不幸も幸福も、病も、どこから来て何をもたらすのか知っておきたいのだと。

強盗が入るとわかっていたらSECOM申し込むだろうし。
その日事故ると知っていたら電車やバスを使っただろうし。

備えておきたいのですよね。最悪の事態に。
最悪の事態に備えておく事ですけれども。
誰にも訪れて必ず経験する最悪の事態は『死』ですからね。
何を備えてもダメ。でも出来る限りの事をしたい。
だから墓に手を合わせ読経するのでしょう。

本当はアブソスの話と悪霊の話、行き場の無い霊の話につなげたかったの。でもやめました。

読んだ人の宗教感によっては不快だと思うので。

小さな私の疑問としてですが、生き残った者が供養を続けなければ祟り、霊障を起こす先祖の霊がいるとすればですよ?
その先に死んだ人々は全く救われていない事になります。
救われているのなら、それを要求する必要が無いからです。
かえって「私の事はいいから、家族で遊園地にでも行って楽しんでらっしゃい」と言うと思います。
救いのない中でもがいているなら、その行為を要求しますが。

ねぇ?




ついでに言えば、人が殺された場所に殺された人の霊がとどまるのならですよ?

そうですね。父や母が殺されたなら家庭や子が心配だし。子が殺されたなら、帰らない自分を親が心配していると思うだろうし。

自分が生きているうちに愛していた人の元へ直ぐにでも行きたいと思うの。
懐中電灯を持って自分を見に来た無礼な人についていく必要が無い。
親なら子の側にずっと居たいだろうし、子なら親元にずっといたいだろうし。

そうでしょ?

大事な商談に向かっているリーマンなら、自分が行けない事で迷惑がかかる会社の人や、待たされる商談相手の事も心配でしょ?

生前良くしてくれた人、自分を理解してくれた仲間。
うーん。自分が殺されたという不幸を遊び半分で見にくる人に付き合って脅かしてる暇は無いかなぁ?

死後も世にとどまっていられるならね。
posted by Mako at 05:11| 日記