2019年09月07日

レヴィナスの『責任論』から〜責任の分散化2

仏国の エマニュエル・レヴィナス という哲学者の『責任論』から、少しビジネス論っぽい事を書いてみたいという試みの5回目!
少しはビジネス論っぽくなってきたかなぁ〜?だったら成功なんだけど。
ビジネス論なんてだいそれたものは書けないのでね、それっぽいお話をってことでやってます。

▼前回のまとめ。
  1. 無責任ほど他者が嫌うものはない
    「責任を取れ」という人が多いほど無責任嫌いが多い。

  2. 『責任』の分散
    責任を小さくして他者を頼り、基盤を固める。


今回は別の角度から『責任』ある関係について考えてみたいと思いますよ。




分散するほど責任が減る



前回は喫茶店の開業を例に、レヴィナスの責任論を応用しました。

起業した以上責任があります。援助や投資、融資してくれた方々への責任。
養わなければならない家族や従業員への責任。

責任の数を数えてみれば、開業前よりよっぽど増えているかもしれませんね。責任の重さはもっと増えているでしょう。

書き始めの頃から『責任』は、自身を縛る黒魔術にもなるし、進む手助けにもなる白魔術にもなると述べてきました。

起業とは別に、既に会社を運営している場合もそうですが「どう責任を取る?」と自身に問いかけ過ぎると、行動を制限し過ぎて機会を逃してしまうものです。

逆に『責任』を分散すれば、個人が負う責任の重さが軽くなり、フットワークが良くなります。




分散された責任で道を広げる



喫茶店の例でも、客足、売り上げ、仕入れ、戦略、広告…
1人で背追い込むほどできない事が増えるのです。

例えば、経理をしている自分が「どう広告をしようか?」と考えても、金額の壁とぶつかります。
しかし、一緒に起業した営業担当がアイデアを出せば違います。効率や方法を『営業としての責任』で打ち出してきます。

『金庫番としての責任』を負った者と『営業としての責任』を負った者との折り合いの方が、より効果と対価の関係が出やすいのです。

自分が負うべき責任を、あえて手放す。そうすれば、1人にかかる責任が小さくなるので動きやすくなります。
ワンマン社長とは程遠い話ですね。




責任は分散出来るだけした方が良い



会社組織の中でも、特に小規模オフィスには『責任の分散』が効果的だと考えます。

  • 来客の時「いやいや、お茶はAさんに入れて貰って。評判いいから!」
  • コピー機が詰まった時「業者を呼ぶよりBさんに見てもらった方が早い!あの人は前の時もちゃっちゃと直したから!」
  • 取引先への手土産なら「それならCさんに任せよう。あの人はセンスが良いからね!ひとつセンスの良いのを頼むよ!」


他に会議の進行役や接待の時にいるべき人など『あの人がいなくちゃ』という『小規模責任を負う場』を与えてしまいます。
お茶と言えばAさん、機械ならBさんと、皆が勝手に連想するような『責任を負う場』を、まずは小規模ベースで与えていくのです。

初めは「Aさん頼むよ」「Bさんお願い」と言っていたものが、AさんもBさんも、自然に席を立ってやるようになります。

A「来客のお茶なら私が」と、先に動いた人を止めて自分が動くようになる事も。
B「調子悪い?見てやろうか?」不具合を訴える前に自身が申し出る事も。

負担にならない程度に『自身の責任を全うする場』を分散して与えていきます。
しかし、責任の帰属先は必要です。

「なに、何かあれば私が責任を負うよ。」という後ろ盾です。
「あいつの責任もこいつの責任も自分が?」と『責任』の黒魔術にかかってはいけません。レヴィナスを思い出しましょう。『そもそも責任が取れる人なんていない』のです。

まぁ、無責任は嫌われますし攻撃されますから『無責任』を出すわけにもいきません。
だから、『本来なら自分が負うべき責任の数』を分散するのです。
誰がやっても、どの道自分の責任の範囲内ですからね。自分が負うべき責任が手元に帰ってくるだけにしておけば良いのです。




分散こそがひとつの責任



本来なら自分が負うべき責任を、分散して下請けに出す(笑)と、小さな責任を負う人の数が増えます。

「あそこの部長さんは熱いお茶が苦手だし、課長さんはコーヒー派だから」というような情報も、自分の責任でやってくれる人がいればこそです。
いつも誰か手の空いた人が適当にでは無理なのです。

これを、会社を訪問した側として考えてみてください。
自社の事をよくわかってくれる取引先に思えませんか?
小さな事にも誠実に対処できる会社に見えませんか?

『分散した個人の小さな責任』が、全体のイメージやパワーを勝手に上げてくれるのです。

誰かが失敗しそうになった時も、『分散した個人の小さな責任』が、大きな失敗に繋がる前に勝手に動いてくれる機会も増えます。

『責任を分散』した事により、1人で責任を負う時以上に『大きな責任』を強固にするのです。

肝心な時に何かが足りないとか、連絡や連携不足を自動的に補い合うので、『大きな責任』が揺らぎにくくなるのです。

Bさんがコピー機を見るおかげで、トナー類やインク類の備品もいつも適度に補充されている。

接待の時には必ずいるべき人がいるおかげで、大事な取引先の記念日や祭典を蔑ろにせずに済むとか、必ず名刺がストックされているというような事が起こります。

この小さな事ひとつが全体の土台となるのです。

「仕事だから」と『無責任』を嫌う環境は、その人自身に『責任』を与える事で起こせます。
ただ言われた事をやっただけや、たまたまスケジュールが空いていたのでやっただけの集団では持てない土台です。




レヴィナスの「責任を取れる者はいない」という結論から、色々言いたい放題言ってみましたが…
どうでしょう?
哲学。好きですか?
私?うーん…「やっぱり嫌いだぁ(笑)」
でも役には立つんですよね。

次回ビジネス論っぽいものを離れたおまけを書いて終わりたいと思います。
Ciao!!
posted by Mako at 22:10| 日記