2019年09月13日

ヨナの事を考えてみたり

ユダヤの民の預言者でヨナという人物がいます。
旧約聖書ヨナ書のその人です。

ヨナはニネベの町へ行って、人々を罪からの悔い改めに導くようにと神から遣わされます。

ヨナはどうしたかと言うと「嫌だー!」と言って逃亡します。
それで色々あって、結局ニネベの町に行きます。

ニネベの町の人々は、ヨナの預言を聞いて、男も女も子供も、その家畜まで断食をして悔い改めました。

そこでヨナはですね「だから嫌だったんだー!」と言わんばかりに凹みます。

これがどういう事かと言うとですね。
日本にフランシスコザビエルが宣教師として日本へ渡って来たじゃないですか。そこで日本人が、国をあげてフランシスコザビエルの言う事を信じて、家畜に至るまで断食をして身を清めた。そういう状況です。

こんな光景を見たら、フランシスコザビエルも大喜びして踊ったかもしれません。
でもヨナは、凹むんです(笑)

このヨナという人物は、神さまに対して逆らう時も、自分が窮地に追い込まれた時も「死んだ方がマシだ!」と言う言葉を言うんですよ。

ニネベの人々は悔い改めなめなければ、町ごと滅ぼされてしまう。だから悔い改めなさいという預言を持ってニネベに遣わされたヨナ。
ところがヨナにとっては、ニネベの人が悔い改めるぐらいなら「死んだ方がマシ」だったのです。




昨日書いた文章の続きなのですが、滅ぼされる町と救われる町があるんですよ。

そこには理由があるのですが、私は多分、人が理解しきれていない見えない戦いがあるのだと思うのですよ。

聖書の神は『万軍の主』という別名を持ちます。
見えない霊の戦いなのか、女の末といにしえの蛇の末の戦いなのか、時々考える事があります。

この話にヨナを選んだのは理由があります。

ヨナは神から遣わされる栄誉を受けながら、海に沈んでも「行きたくない」と拒否するのです。

これには理由があって、ニネベの町とユダヤの民には預言があったのです。

それでですね、そんな事が続くとニネベに攻め取られてしまう事を心配していたのです。ニネベは敵でした。

ユダヤの民は、その頑なさというか、神への不信と言うか?裏切りというか?とにかく、その繰り返しなんですよ。いつも偶像が近くにあったし、不信があったのです。

そのまま神に背いていれば、ユダヤはニネベに取られてしまう。その不安でいっぱいでした。

ヨナはユダヤの民ですから、ニネベが自分達の罪の為に滅んでくれた方が良いのです。
やがて自身の国の敵となり、略奪者となるニネベが滅ぶ良い機会だったんですよ。

だから彼等が悔い改めた事も、素直に喜べないのです。




神がユダヤの民を選びの民としたのは、あの蛇の頭を砕く女の末、イエスキリスト。
彼が世に人として来るまで、神の民が必要だったからです。

蛇に騙された最初の人は、神の支配下から蛇の支配下に入ってしまったのです。今もそうです。それが終わるのは黙示録の時代ですから。

えっと、なぜこんなにまどろっこしいかと言うと…

人は霊(いのちと言っても良い)からなります。次に魂、ソウル(心や感情、精神の方が良いかな?)があります。そしてそれを肉体が覆います。

神のかたちに造られた人も三位一体で出来ているのです。
父だけでは子は出来ず、母だけでも子は出来ず、父と母がいて子が出来る。これがひとつになると家(家族や家庭)になる。
人もそれぞれがひとつになって人になるのです。

これに欠けがある状態と言えば良いのかなぁ?ここに時間を割くつもりは無いので先に進んじゃいますけど、蛇に騙されて食べた木の実ですね。あれを食べると必ず死ぬ。でもその後アダム達は生きていましたよね?
でも、しばらくすると死にました。
人が生きるのに必要な要素が、その時に死んだからです。それが死んだので、人は寿命が来ると死ぬ者になりました。

この欠けがある状態のままでは、ダメなんです。

蛇、つまりサタンの支配から神の支配に移る民が必要だったのです。




神にとってユダヤの民は特別です。その彼等の敵であるニネベを救うのです。
一方で滅びに定められる町があります。

私はこれがね、少し気になるんですよ。

私は聖書について話す時も書く時も、神学を排除するようにしています。
まぁ、あまり好きでは無いし(笑)
けれど、蔑ろにはしません。役に立つものですし。

こういう問題は、神学がヒントをくれるような気がしないでもない。なんて、今考えています。
posted by Mako at 06:45| 日記