2019年10月07日

定義 (9)





頻繁に日本語不自由なダメな子ですみませんですw
思いつくままに整理せず書いているので…ふらふら



神が神の祭祀を作った事は、奴隷のように人を従えて、金品や命を奪う為ではありません。

  1. 人と神の交わりを回復するため。
  2. 預言者を立て救いに入らせるために。
  3. 預言者の預言を成就(じょうじゅ)する事で、神の御心(みこころ)を現すために。
  4. 霊においても肉においても、滅びに属する者の無い新天地を造るために。


聖書の神創造主(そうぞうぬし)は、10分の1の献金を定めました。
これは、貧しい人にとっては多く、金持ちにとっては微々たる金額かもしれないですね。

しかし、それは神殿や組織の維持費(神殿の祭祀とその家族の生活費を含む)等の経費と、病の者、障害者、親の無い子、夫を亡くした母、このような人々を養う分が入っています。
貧しい者からも10分の1を取るけれど、貧しい者から先に還元されるのです。

神が自分のものとして本当に取ったのは、生贄を焼いた煙等で、人が食したりしないものばかりです。
もうひとつ、神がご自分のものとされたものがあります。
イスラエル民族の長子の子です。これは後の世代の家長(世継ぎ)の者です。

もちろん、生贄として命を取るわけではありません。次の世代を護る為です。




祭祀は何のためにたてられたのか?

  1. 民衆の執り成しをして、罪の代価となる生贄を捧げるため。
  2. 民衆が罪を取り除かれて、神との交わりを回復するため。


わかりやすい主な目的がこの2点です。
執り成し(とりなし)は少しわかりにくいですか?

長年家出していた息子が、父の家に帰る為に、良き仲介者となってくれる人物のようなものです。
ある人にとっては母が、ある人には祖父や祖母が、また、ある人には父の友人が、そのような人物になるかもしれません。




神と人は、罪という地割れによって交わりができません。神は聖であるので、交わりを持つと人が死んでしまうのです。

ですから、罪の問題を解決せずに交わりを持てる神々というものは、何かしらの霊的現象を伴ったとしても、それは神のようにしている別の何かになります。

イザヤ書に書かれている聖書箇所を引用しますね。



黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。

あなたはさきに心のうちに言った、
『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。


しかしあなたは陰府に落され、穴の奥底に入れられる。

あなたを見る者はつくづくあなたを見、あなたに目をとめて言う、
『この人は地を震わせ、国々を動かし、 世界を荒野のようにし、その都市をこわし、捕えた者をその家に解き帰さなかった者であるのか』

イザヤ14章ー口語訳



これはバビロンの王について言われている事ですが、サタンに(なぞら)えて語られています。

最初の太字箇所は、サタンの罪そのものです。神以上の者になり、支配しようとする事。この高ぶりがサタンの罪の元です。

人は『善悪を知る知識の木の実』を食べたと書かれている事が『罪』なのですが、少しわかりにくいと思うのです。

以前、これは霊の食物であり、もっとわかりやすく言えば、心の食べ物だと例えました。
食べてはいけない物を食べると、心は悪い方に傾く。こんな感じで。

でも、これは、罪の一部を表現しただけであって、本質を表していません。

神は『裁き主』とも呼ばれます。

人が善悪の知識の木の実を食べる事は、サタンの『神のようになろう』とする行為と同義です。


そこで、蛇は女に言った。「 あなたがたは決して死にません

あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、 あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになる ことを神は知っているのです。

創3:4〜5


アレの囁きは、いつも真実に偽りを混ぜます。

『あなたがたは決して死にません』という嘘から入りました。しかし『あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになる』ここは事実です。




『善悪の知識の木』は、2系統の言う 叡智 (えいち)ではありません。
また、『あなたがたの目が開け』この目は、ホルスの目のシンボルに変わって『都市伝説』で語られていますが、決して人が考えているようなものではありません。

これを人は様々な呼び方をします。

霊感、第六感、悟り… 最近では第七感ですか。

神の手で直接造られ、直接霊を入れられた人は、そのようなものは既にあったのです。それは能力ではありません。
人によって違うものだったり、優れ方も違うものですが。
人を癒したり、先の事を知る事が出来たり、という霊的な事は死んでしまいました。人が生きものであるのに必要な神の霊が人の内で死に定められたからです。

しかし、その名残は今もあります。

生まれ持って備わっている才能や得意不得意、こういうものはその一部です。
そして、それに見合った環境下、それを発揮できる人生をおくれると人は幸せに思えたり、満ち足りたような気分になります。

人は本来、そのように与えられたものを用いて、地を治めるように造られたので、本来のその目的に近い人生を送れる事に幸せを感じやすいのです。

『目が開かれる』とは、本来持っていなかった視点で世界を見るようになる事を言っています。
神に属する者だった人は、神に逆らう者の目で物を見る事を知りませんでした。
その目が開かれる事で、互いが裸であると恥た。これが最初の効果です。

そして腰のおおいを作って隠しました。

恥部(ちぶ)という便利な日本語がありますが、恥をおおったんですよね。




男性であっても弱さや甘えがあります。それはそれで良いのです。
それを受け入れ補足してくれる存在として女性がいます。

このように、自分の足りなさや弱い部分補い合える相手こそが相応しい妻であり、一体となれる相手です。

しかし、『善悪の知識の木の実』の効果は直ぐに現れます。
何が善くて何が悪いのかを、人が個々に決め選り分け始めたのです。

アダムは妻エバ(英名:イヴ)を与えられた時、大変喜びました。
『これぞ私の肉の肉、骨の骨』、これは詩で表現されていますが、ひとつとなれる相手として喜んだのです。

木の実を食べた後「どうしてこのような事をしたのか」と神に言われたアダムは答えます。

人は答えた、「 わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです 。

創3:12(口語訳)


ひとつとなれる存在の喜ばしい女が、もう別のものに見えているのです。
だから、自分の弱さも、無垢さも、恥部も、隠すべき相手となったのです。自分自身が思う善いものと悪いものは、自分自身にとってのものなので、相手を信用できないのです。

心も体もひとつになれる伴侶(はんりょ)が、壁や溝のある相手となったのです。

これが、都市伝説界隈や、古代から続く宗教が教えてきた第三の目の初めの効果です。




この状態で神とは交れません。

十戒は人を戒める為ではなく、人を元の状態に戻そうとする為に与えられたのです。

神の祭祀には、それが必要だからです。

posted by Mako at 05:59| 聖書関連