2019年12月14日

無能っちゃあ無能なんだけど問題無し!

日本には、呪詛の類で狗神?犬神?どっちの字かな?があるの知ってます?
実際の犬の霊を使役して、相手を呪うみたいなもので、それに憑かれたり祟られた場合専用の神社まであります。
日本は古来から呪詛の文化を持っているので、特に珍しい事ではありません。藁人形の儀式も、ようは呪詛や呪いです。
おまじないの類もそれになります。白魔術か黒魔術かのようなもので、本質は同じです。

私が学生の頃にあった恋のおまじないがあります。
好きな人と同時に校門を出る。校外の境界線を越える一歩を完全に同じタイミングにします。相手の事を思いながら。

呪いと違うのは、相手への好意か悪意かの違いだけであって、相手の意志を考慮せずに、自分の願望を相手に纏わせるという意味では呪いと同じです。




犬神の作り方を聞いた事あります?
本当に酷いものです。

順番が正しいかはわかりませんが、だいたいこんな感じです。

母親になった犬を、頭部だけが出るようにして土に埋めます。
身動きが取れなくなった母犬には飲み食いさせません。
その母犬の前で仔犬を殺していきます。1日でなのか数日に分けるのかは知りません。
母犬に、激しい怒りや憎悪を持たせる為です。
毎日水や食べ物を見せるように置きます。決して届かない位置にです。
そうする事で、どうしてもそれが欲しいという感情を作り出します。
そして餓死する直前のタイミングで、水や餌が犬の口が届く場所に置いてくれる人間が現れます。犬神を使役する人物です。
犬がそれを食べる寸前で、他の人が犬の首を切り落とします。

もう少しで手が届きそうだった無念さと、身動きが取れない身で、目の前で子を殺される怒りや憎しみ、ただ1人、自分に救いの手を差し伸べようとした人への忠誠。これが人を祟ったり呪ったりするエネルギーと使役しやすさになるのだそうです。
ひっどいでしょ?

人の思いや願い、愛情、友情、親切心を使って人をコントロールする事は、これに似ている部分があると思います。




人に対する怒りや憎悪は、自分自身の無能さの裏返しだと思います。
私は、人から愛される能力が欠けているのだと思います。
それについては無能なのです。
現実の問題として、もう随分長い間「はじめまして」と挨拶する前から、私を嫌いな人が多いです(苦笑)

そんな中でも、私に親切にしてくれたり、好きになったりしてくれる人は、まず外国人でした。何があったのかなんて知らないくせにレッテルだけ貼るような人物もその中にはいません。

だから、私の無能さは、日本人には特に濃く出るのでしょうね。

これをどうにかする為に、なんの関わりもなければ、別にたいして知りもしない人物の言葉に振り回されるのなら…
このままで良いと考えています。
私が悪意を持って、何か報復的な事をしないでいられればそれで良いです。だから私には自制が必要です。

その事について無能であっても、世界に目を向ければそうではありません。
だから、特にこの事で悩む必要も無いと思います。

相手の要求に応える私が、本来の私から出た自然な事で無いのあれば、結局いつか振り出しに戻ります。そんなものは時間の無駄です。

人は、自分の無能さを認められない事が多いです。
しかし、それで欠乏を感じるのなら、自分でその無能さを、有能に変えなければなりません。
悪習慣なら気をつけて自分を見張る必要があるし、足りないなら得なければなりません。不足は補充しなければならない。
欠乏を感じないのなら、それはその人の個性だと思います。
個性が受け入れられないなら、受け入れられる社会を開拓すれば良いのです。

相手に怒ったりする時間をそちらに使う自由があるなら、そうするべきです。
だから、何度壊されても、私はそちらの努力を続けるよ。

仕方がないから。これを動機に何をやっても虚しいので。

posted by Mako at 06:12| 日記