2020年01月09日

思考訓練で2択を脱出

少し長い文章を聖書から引用します。
姦淫罪で捕らえられた女への裁きをイエスにさせる事で、イエスを貶めようとしたユダヤ教の教師達や律法学者達とイエスのやりとりです。
姦淫とは不適切な肉体関係ですから、現場で取り押さえたのなら、相手もいなければおかしな話なのですが、相手がいません。この女性も、この事で利用する為に貶められた可能性もある。そういう状況です。

モーセの律法で定められている事に反すれば邪教を広めたペテン師として、イエスは捕らえられていたに違いありません。
石打ち(死刑を石で行う事)にすべきだと言えば、イエスが罪の赦しの権威を持っている事を否定し、やはりペテン師として捕らえられたでしょうね。

有名な聖書箇所で、ビートたけしさん等も著者で使っています。



イエスはオリーブ山に行かれた。
そして、朝早く、イエスはもう一度宮に入られた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。

すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来て、真ん中に置いてから、
イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。
モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」

彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。

けれども、 彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。
彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。 女はそのままそこにいた。

イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」
彼女は言った。「だれもいません。」そこで、 イエスは言われた。 わたしもあなたを罪に定めない 。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」〕




私が前回の投稿で書いた多様性の問題によく当て嵌める事ができる聖書箇所として引用しました。




今日この聖書箇所を引用したのは、聖書の話や信仰の話をしたいからではありません。聖書は多くの事に有益な書物ですが、思考パターンを増やすのにも役立つ事が多くあるのです。

その用い方の一例になるかもしれません。

キリスト教社会というものは、世界中にネットワークを持っており、いわゆるVIP達も多く存在します。
キリスト教が禁止されている国家の中にも、隠れキリシタン的存在や、隠れ宣教師的存在がいて、とにかく、『情報』という面では、とても優れたネットワークを持つ機関と言えます。
情報通であり、VIPや国家元首達に助言や指摘をできる会派も多くあります。

キリスト教が迫害されながらも力を持って行った背景でもありますね。

キリスト教が使徒達によって広められた初期の時代から、情報と、各国を結ぶネットワークは非常に有益でした。しかし一方で、他の文化圏との整合性という壁にぶつかってきた歴史があります。
しかし彼等は、それを乗り越えてながらひとつになる知恵がありました。
今日引用した箇所がそれのひとつです。




誰かに選択を迫られたり、問い詰められたときを想像してみて下さい。

「はい」ですか?「いいえ」ですか?
「黒」ですか?「白」ですか?
「右」ですか?「左」ですか?

学校や就職といった進路を決める時も、結婚を決める時も、色々な重要な面で起こる選択や問いです。

これを聖書の引用箇所に合わせて考えてみてください。
「この女は石打ちですか?」
「この女は石打ちではありませんか?」

イエスは答えます。
「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」

罪といえば、些細な嘘等、小さな物も含みますし、ユダヤ人とは「人は生まれながらに罪人である」という世界観で生きている人々です。

彼らはそれを聞くと、 年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。


それで、思慮のある年長者から順に立ち去っていきます。
人は、自分が正しいと思う事を根拠に置く行動をやめられません。だから、その意思が強い若年層が後から立ち去ったのです。

ところで…
イエスは確かに質問に答えていますが、「このように答えるだろう」と試行錯誤した人々には期待外れな答えを出しました。

これがポイントなのです。




「はい」「いいえ」。 Yes or No に縛られていては、誰から優れた事も無く劣る事もない凡人でいる事しかできません。

裁判の結果が『証拠不十分なので無罪』となっても、有罪か無罪かはハッキリするけれど、その中身は「限りなく黒に近い白である」と結論付ける場合はあります。
本当は明らかに黒であっても、ルール上は裁けないという事があるのです。

つまり、2択の呪縛から自身が出なければ、今存在する2択の枠内でしか生きられませんという事なのです。

「Aですか?Bですか?」と問われた時「いいえ、Cです。」と答える事も「Xですよ」と答える事もできるのに、2択の呪縛を肯定しているせいで、他の答えを出せなくなっているのです。

この大学か?あの就職か?で悩んでいるせいで、あの技術者の下で修行できるという可能性を捨てています。
選択肢はいくらでもある。この機転が効く人がIQの高い人だと思います。




「自分は正しい」という行動原理も、その正しいに縛られて「だから何をやっても良い」と縛ってしまう。これが、新しい発想や人を排除してしまう。
それとは違う考えや行動をする人が許せない。その人生観にいる事は、自分の新しい可能性も殺してしまっているのです。

「嘘は良くない」から「正直に言う」これが誰かを傷つける場合。傷ついた相手が自殺してしまっても「だって正しいでしょ?」と本当に言えるのか?
嘘は言いたくない。正直に言えば相手を死に追いやるほど傷つけるなら、答えCである「黙っている」という選択肢もあります。2択に自分を追いやるから、嘘を言うか言わないかでしか考えられないのです。




自身のアイデアに反論してみるという思考訓練があります。私はしないですけど(笑)

私はどうしてもあの車が欲しい。
この思いに反論してみます。
購入代金が借金か否か?
維持費や燃費は?
それを使う頻度は?

弁護士気分で理論を立てて述べてみると良いと思います。あなたは相手にそれを買わせない為に雇われた腕利きの弁護士です(笑)
感情論で相手を説得する事はできませんよ。理論を立てて言い負かしましょう。

次に、買いたい自分の弁護士にもなります。証人も登場させましょう。彼女や奥さんに「あの車でどこにドライブに行きたい?」なんて聞けば良いです。
裁判官の前で、陪審員を説得してみましょう。「車に同乗予定の人もこのように言っているのです。それでも買う必要はないと思いますか?」

まぁ、遊びですけど、思考訓練や多様的考え方をするのに良いです。

あなたが陪審員なら、買うに1票入れますか?
あなたが裁判官ならどう判決を云いますか?
これは、答えC〜Zを作る訓練です。

寝る前に、明日のランチを決めるなんて言うのでも良いです。
いつものランチセットかコンビニか?出前?それとも彼女や奥さんのお弁当?
もしかしたら、公園であんぱんとか、実家の母親の手料理なんて事になるかもしれません。

ランチに使える時間、使える金額、環境…色々な縛りがある中で、今までしなかったランチタイムを経験できる可能性も広がります。

Aですか?Bですか?
いいえ、Fです。

こうやって考え方を広げる訓練をすれば、もっと選択肢が増えて世界が広がると思います。

posted by Mako at 01:37| 日記