2020年01月13日

パターナリズムと制限 (後編)

ここで閉めたいので雑さが上がってます(苦笑)

法律を学ぶ時、『法とは何か?』を学んだ後、正義についても学びます。

法という強制力と罰則を与える権力が、『正義』の下を自由自在に動き回り、人が人らしく生きる事を阻害しない為です。
正統性・合理性・衡平性を、正義が逸脱しない為です。

これらを逸脱した正義は独裁と同じです。中共だけでは無く、北朝鮮と呼ばれる地域を見てください。

あれが独裁者と、それに支配される国民の姿です。
自由主義国家に生まれながら、小さな社会、個人と個人の間にこれがあります。

人に制限を加えられる公的力関係ですら、ラインを設けているのです。個人間でこのラインを超える意味はあるでしょうか?というのが私の疑問なのです。




■自己基準と価値観の押し付け



道徳的モラリズムは、自分を律するのに有効ですが、他者に向けられると『独裁者の顔』になります。

例えば、ダイエット、禁煙、禁酒のようなものがそれです。

ダイエットにうるさい人は、その基準で他者を見がちです。
『美』は個々人の嗜好が大きく影響しますから『正しさ』を持たせる必要がありません。

BMIを守ったところで、人によっては太めに見えるし、人によっては細く見えます。
これは血圧等の他の基準と同じで、個体差や個人差があります。
また、その事にいくら使えるの?という経済的問題や、今食べておかないとという生活環境にいる人もいます。

経済面では、ダイエットにかかる費用の問題では無く、効率良く空腹と栄養を満たさなければならない場合の、食費との兼ね合いです。

また、多少の脂肪が無いとという気候差もあります。
同じ産後太りでも、母乳を与えている母と粉ミルクで育てている人とでは違います。

同じ痩せているのでも、限度を超えては、美よりも人を不快にする確率が高いです。

自己管理能力が無いとか、美意識が低いと理由をつけて他者を蔑んだり見下したりする人は、独裁者的で自己中心的なナルシシズムの強い人です。



ナルシシズム〖narcissism〗

自分の容姿に陶酔し、自分自身を性愛の対象としようとする傾向。自己愛。



この感覚に基準を設けて他者に押し付ける・批判する・勝手なあだ名をつけて嘲笑する人は、人格に難があるので、カウンセリングを受ける等のケアが必要だと思います。

「自分はそれができている」という自分基準で人を量る事は、独裁者的思考に陥りやすいです。

人は、それが必要だと判断すれば、誰に促されずともそれをします。
できないのは、できなかった自分を特に否定する気が無いからです。

モデルになりたければ必死にダイエットするだろうし、別の道もあると考えていればモデルになれなくて見OKな自分を肯定している。ただそれだけの話です。
人間性を決める秤にはなりません。

これは収入と同じです。

個人の好みや生き方を勝手に否定して『美』のラインを押し付ける。
これは独裁者的思考です。

禁酒や禁煙も同じです。人は必要だと決意した時にそれをやります。
自分がそれをしたという、今継続している事実を持って、他者のそれをする自由を制するような言動や批判的態度は、未だ我慢をしているからではないでしょうか?
どこかきある欲求を制しているから、自由にそれをする人を制したくなるのでは?
だとすれば、それは我慢の継続であって、お酒やタバコをやめる事に成功してはいません。


◇いじめへの発展



いじめている側に聞けば、特別な場合を除いて「自分(いじめを受ける側)が悪い」と言います。

自己基準と価値観の押し付けが主な原因です。

「食事中にジュースを飲むのは悪い事」と言って相手を制限すれば、その事が特に問題では無い相手にとっては、それを強いられるのは嫌な事です。
時には無視したり、うるさがったり、別の子と食事をするようになります。

「私は正しいことを言っているだけなのに、何?あの態度。ムカつく。」
こういう事から同意してくれる人に愚痴を言うようになり、愚痴が悪口になり、無視や冷たい態度・キツイ態度を取るようになりとエスカレートしていきます。

しかし「あの子が悪いんでしょ」という自己の正当化が、エスカレートするいじめにストップをかけません。

自己基準や価値観の押し付けが無くなれば、かなり多くのいじめ問題が減ると思います。

子供達だけで無く、親達もまた、子の前でこのような会話をし、実行する姿を見せているのです。

◇実はどうでも良いこと



真実なところ、食事中に何を飲もうがたいした問題ではありません。
好きな飲み物で腹を満たして、食事をとらな子の躾問題以外は。

そこに正しさを求めようとすれば、朝、コーンフレークに牛乳をかけて良いか?スムージーで朝食を済ませるのは悪か?というところでも議論を続け、結論を出さなければなりません。

体格や美の基準もそうです。そこに基準を設ければ、多くの産業や商業は成り立ちません。

基準内の体格に基準内のセンス以外は中傷や批判を浴びるので、社会には無い方が良いという事になります。

このような自由主義国家を見た事がありますか?

中国は、経済活動だけは自由化のシステムを取り入れたのでマシですが、それ以前は、似たような格好、似たような行動が目立つ国でした。

北朝鮮ではどうでしょう?

国という単位だから、少々スケールが大きく感じるかもしれませんね。
けれど、このような小さな社会が積み重なると、国家権力に強制されなくてもそうなってしまいます。




■自己基準と価値観の押し付け



人が人の自由や行動を制限して良い。これには正統性が必要です。

人命や身体の危険、回復し難い不利益が予測される又は現在進行している場合です。

今自分を刺し殺そうとしている人に『刺し殺す自由』を認めて刺し殺されるのはおバカさんです。

噴火している山に入ろうとする人に、その危険を教えないのも、山に入るのを止めない事も愚か者のすることです。

詐欺に遭っている友人に『詐欺に遭う自由』を与えて見守るのは友人ではありません。

猛犬を放し飼いにしている人に、犬をつなぐようにと言うのも悪い事ではありません。

それ以外は、正しいかどうかも、実は怪しい個人の内から出るモラリズムです。

わざわざ生きにくい社会を作る『正しさ』なんて、お尻を突き出してペンペンしながらあっかんべーと言ってやりましょう。私はそうします。

まとまらなかったけど…
終わり!

※私の文章の句読点の多さに読み辛さを感じる人。そんな事では公文関係読めないですよー!
「。」までの「、」の多さはこんなものじゃあありませんよ。わらわらわーい(嬉しい顔)
posted by Mako at 21:49| 日記