2020年01月15日

シナーゴーグ?(ほんの少しだけ走り書き)

難しいなぁ。

神のかたちに似せて人を造り…
人が1人でいるのはよくない…女を造り…
命の木からも取って食べるかもしれないので人を追放し…

創世記の前半ですね。これを用いるのが1番わかりやすいかと。

いやぁ。わかりにくいのかなぁ?




心。そこがエデンにたとえるのに丁度良いのかもしれない。
個人の心は会衆(集合体)の為の会堂なのかもしれない。
茨やアザミの生えたそこは、労せずに人を受け入れられない。
何かを生み出すにも、苦難と困難がある。

心は人から隠されてる。
命も人から隠されてる。
命を宿す者は創造主である神だ。

命の木からも取って食べるといけない。とても恐ろしい事でしょ?
だから神が見えなくなった。




そんな事を今考えるのには理由があるけれど、言葉にしたくないなぁ。

どう言えば良いのか?

園に人を置いたように、神は人を置く。
境遇・環境・交わり・数々の社会に人を置く。

神の時計が1分進むのは大変な事だけれど、人には気の遠くなる時間。
神には一瞬のように過ぎるけれど、実は神にも長い。神自身がその時間の流れに置かれた人と共にいて、その時間を一緒に過ごしてるから。

置かれた環境や境遇に涙して訴えても、神は再度そこに置く。理由があるからだ。
私は信頼されてる。そう思えばラクなのか?ちょっとわからない。
けど…
なぁーに。大丈夫さ。ダビデが言ったように、私を追って来る。神からの良いものが。
ね?そうでしょ?
posted by Mako at 01:57| 一人じゃないよ