2020年06月05日

健全ではない日本の新自由主義

私が日本で進められている新自由主義に反対の意見を持っている事について少し書きたいと思います。

hibiscus_15.gif新自由主義の定義hibiscus_15.gif



通常の新自由主義で知られる事は、要件として以下の2つが必要です。



hibiscus_15.gif小さな政府

経済は自由に活動するべきであり、国家からの市場への干渉や制限を小さくするべきだ。

hibiscus_15.gif大きな社会

市場への国家からの干渉や制限を減らした分、社会への介入(補助や還元)を大きくするべきだ。



小さな政府を実現させると、格差や貧富が大きくなります。そして、病院やインフラの面でも、受けられる人と受けられない人という格差が問題になります。そこを社会に対しては大きな政府という役割を社会に対しては大きくする事でバランスをとる。これが正しい新自由主義です。
健全な新自由主義の定義はこれです。


hibiscus_15.gif日本の新自由主義hibiscus_15.gif



小さな政府と大きな政府のような言い方をしましたが、それは向かう方向性の違いです。小さな政府は経済活動や市場へ。大きな政府は地域社会や個人へ。これが健全な新自由主義の在り方です。


日本の場合はどうでしょうか?政府、経団連、各種要人や官僚達が目指すもの。それは市場にも社会にも小さな政府なのです。これが新自由主義の良さをすべて奪っています。


「新自由主義は悪では無い」とか「反対するのは馬鹿だ!」という人達は、新自由主義の良さをわかっているのに、日本の新自由主義がおかしい事に目を閉じています。


これが原因で意見がすれ違ったまま議論にすらならないのです。


hibiscus_15.gif日本の新自由主義に逆らうものhibiscus_15.gif



日本的新自由主義を推進する竹中とそれに反対する三橋の系図ですが、これをわかりやすく言い換えるとこうなります。



  • 竹中平蔵=リバタリアン的

  • 三橋貴明=主軸がケインズ主義的


リバタリアン的の意味は、「他人に迷惑がかからなければ何をやっても自由」という立場です。


ケインズ主義的の意味は「積極的に減税と国家の公共事業を行って金を流して系税を活性化させるべき」という立場です。


リバタリアン的立場は個人や、小さな社会(自己の会社等)では良いですが、国家のような大きな枠組みでは迷惑です。『自己責任論』を正当化して『弱者憎し社会』を作るからです。


三橋さんの主軸がケインズ的というのは、完全にケインズ主義ではありませんという扱いなのですが、こちらは実績のある経済指針と対策になります。しかし、これは突発的な何かが起こると一気に止まります。例えば、蒸気機関車が蒸気を出せ無くなればそこで止まりますよね?そんなイメージです。


私はリバタリアン的新自由主義社会(日本版)よりも主軸をケインズ主義に置く三橋さんの論の方が好きではありますが、正しい新自由主義なら否定をする理由が特にありません。


間違った新自由主義だから反対なのです。


hibiscus_15.gif竹中式リバタリアンの問題点hibiscus_15.gif



想像してみてください。あなたが就職の面接に行くとき、何をアピールしますか?学歴ですか?資格ですか?専門分野ですか?技術でしょうか?


人は学んだ事や身に着けた事を生かして収入を得ようとします。ケインズ主義的社会ではそれでよかったのです。労働者の権利がが国家兼権力によって守られるからです。しかし、リバタリアン的社会ではそうはいきません。


例えば、あなたが医者の免許を持っていたとしましょう。就職活動で従事する病院を探しています。医師免許おめでとうございます。皆から先生と呼ばれ、白衣を着て院内を闊歩する時が来ましたよ!あとは病院を決めるだけ・・・。


ここで問題になるのが、面接に何人来ましたか?です。えっと、医者を雇いたい病院の面接には誰が来ますか?そうです。医者です。医師免許を持った医者達です。つまり、社会に出れば「お医者様なの?すご〜い!」と言われるあなたも、その場に入れば無職の一人です。わかります?条件は同じ。皆同じ医師免許を持っています。


どうやってアピールしますか?卒業校ですか?専門分野ですか?他の面接者より雇いたいと病院に思わせなければなりません。


そろそろ問題に触れましょう。人につける付加価値の問題が常につきまとうのです。医師免許も持ってるし放射線技師も持っています。私は東大医学部出身です。こうやって人に価値をつけていきます。言い換えれば人材の商品化です。


「私は誰かよりも優れたこれがあります」で済んでいるうちは良いです。その内、医師免許を取るなら放射線も取った方が良いとか、就職に有利な条件を皆が備えて面接に来るようになるのは当然じゃないですか。ここ、わかりますよね?これが繰り返されると、人材という商品の安売りに入っていくのです。人材が商品的なので、より良いものをより安く提供できる必要がでてくるのです。


私達が考えている社会的弱者(一部の人たちにとっては敗者と呼ばれる)が量産され続ける事につながっていくのです。良いのは最初だけで、待っているものはこれです。


マルクスの資本論がなぜ生まれたのか?こういう事から歴史をよく振り返る必要があります。


弱者憎しの自己責任論が蔓延すれば、さらに拍車がかかります。


hibiscus_15.gif社会に対する大きな政府の必要性hibiscus_15.gif



人材の商品化。これがもたらす影響は、絶対的格差社会です。「格差が悪いことだとは言えない」なんていうのは今のうちだから言っていられる事です。序章だけです。


そこで社会に対しては大きな政府が必要になります。


欧米でベーシックインカム論が議論されるのは、自由経済とセットで社会に対する大きな政府の必要性をしっかり考えているからです。これまでのような給付のような形ではなく、不足に対する補充供給で自由主義のバランスを保つという考え方です。


格差を良しとして発車させてしまうと、あらゆる事柄に影響します。教育格差もそのひとつです。新自由主義は、公教育も民営化して自分たちのビジネスの場にしようとしています。刑務所民営化等もそうですね。公教育が商行為の場になるという事は、社会的弱者は学歴社会ではもう登れない可能性が強くなります。どんなに頭が良くても、どんなに優れていても、一度落ちたらそう簡単には登れないという決定的格差を作ります。


日本の新自由主義者がこれを良しとするのは、自分たちはそこに落ちる心配が無いからとも言えると思います。


そのような絶対的格差、頑張っても、優れていてもどうにならない、与えられた商品価値。これに抗う方法は、補充的供給をする社会に対しては大きな政府となります。他にありません。


私のおバカな頭で、ほかの人にもわかるように言葉にするのは難しかったですが、一番の反対理由を述べました。細かい事はカットしてありますが。


現在日本の政治・経済界等が進めている新自由主義は間違っているので反対ですというのが私の立場です。新自由主義の善し悪しの問題ではありません。

posted by Mako at 07:12| 日記