2020年06月17日

落ち着きの無いチグハグさ

先日UPした投げやりないくつかの山を越えて。
▼これですね。


わかる人にはわかりますが、これはPCを使って作った歌声なので、私が歌っているわけではありません。元の音源に私の声が入っているのは入っていますが「あー」「いー」「うー」をローマ字読みしたものを使っています。だから、これでは「っ」や「ゃゅょ」のような詰まった音や小文字で書かれる日本語を表現できません。
私にはそれを実現する知識がありません。

さて、なんとか短い賛美を一曲歌わせる事には一応成功したわけですが…
あの曲の前奏メロディーはこうです。

※補足
わかりにくいと思うので補足しますね。この賛美曲の歌を歌っている人間は誰一人としていないのです。
パソコンと元の音声ファイルを使って歌っているように作ったものです。歌っている人は存在しません。
主イエスさまの『しゅ』は『しー』の音にショート再生した『ゆー』の音を組み合わせて実現しています。
そういう小細工をしなければ『しーゆー』という発音に聞こえてしまいます。
要するに自家製のヴォカロです。
面倒なわりに出来が悪いので、諦めてYAMAHAで売っているボーカロイドを買おうかと考えています。ずっと前から。高いし、いらないって気持ち(必要性の無さ)と心が葛藤中ですw

▼これが前奏部分。


途中指が当たってつっかえてますが(笑)

この前奏と歌を作るのに、音階でフラットが4つ必要でした。それでキーはAmなのでは?と予測を立てたのです。しかし、原曲を聴くと、それでは辻褄の合わない音が入っているんですよ。
私にはそこの整合性が理解できないので、この曲の正しいキーがわかっていません。




今日、公人と準公人について書いたのですけれど、人前で賛美曲を歌う人も曲のジャンルを問わず公人です。伝道者や牧師、祭祀職も公人になりますね。看做し公人や準公人になりますけど。

私が音楽系の賜物を受けなかった理由がわかるような気がします(苦笑)
私にはそれを背負えません。ですから求めた分だけを得て、後は御霊(みたま)との共同作業になります。
仕上がる曲があっても、複数の人が必要なものが中心になるような曲が多いです。
渇きと満たしを、砂浜で見る波のように寄せては返す感じで見ている気分です。




じゃあ私はどんな賜物を持っているの?
何も無いですよ。全てが共同作業のようなもので、祈った分、求めた分、必要な分しか与えられません。
だから、賜物を用いてそれをしている人には逆立ちしてもかなわないのですが、良い事もあるのです。

振り返った時に、自分がどれだけ恵みを受けてきたかを知る事ができるのです。
1人では無理だった。ここまでできなかった。もたなかった。そういう事が形になっているのを見つめると、どれだけ愛されてきたか、どれだけ祝されたかを知るのです。後になって。

この積み重ねは、キリストを信じて良い。信頼して良い。彼なら間違いない。こうやって、信頼の確信を起こしてくれるのです。
だから、特段優れたところが無い私を、私は結構気に入っています。
問題は、それが過ぎ去ってから改めて喜んだり感謝したりするのが遅い事と…
神に向かってぶつける感情の多さです。その時はなんとも思っていない事を、後になって…愚かさも恥も、通り過ぎてしまうまで気付かないんですよ。

神に対する恐れが欠如しているのかもしれません。で、後になって恐れるのです。

『The Day』その日。クリスチャン達が待ち続けている日ですが… なんて言うか…
その日が恐れや嘆きの時になってしまうような不安を掻き立てるんですよ。このタイムラグが。
そこもまた祈りますけどね。
底から湧き上がるような不安と、なるようにしかならんしぐらいに軽々しくいる自分もいたりして…
チグハグさのやり場に困っています。
posted by Mako at 19:05| 一人じゃないよ