2020年06月29日

今日から俺は!の昭和臭が良きである

今更ヤンキー漫画を映画化?!と思うかもしれないけれど、かつての金八先生のように『世代を超えて楽しめるホームドラマ』的地位を得たあのドラマは、映画化に踏み切る気持ちがわからないでも無いです。

ただ、クリスチャンの一部の人は好んで見ないでしょうね。暴力シーンが多いので。
父が一時期同棲していた元カノは、竹の子族の踊りを私にあれこれ教えて、深夜や朝方に起こして踊らせる事がありました。正確には元カノの友達ですが、まぁ、どちらでも良い話ですね。小4ぐらいの時、金髪で蜂の巣みたいな頭をしたお姉さんと同棲してたんですよ。父が(笑)

彼女らの写真で、実際の竹の子族の衣装を見た事があります。
少し昔のジャニオタっぽい感じ?(笑)

今日俺のドラマの続きがGyaoで更新されていてね。それを見ながら思うのですよ。

「携帯電話が無い時代。それは今より良い事がたくさんある。」ってね。
恋人関係にある思春期の子供。家電だから、親が電話に出る事もある。
そうやって大人や保護者が介入する隙間があった。

現代のように、小中高生がTwitterをやっているだけで、おかしな大人が、保護者や友達から見えないところで接近してくる事も無い。
気軽にアップロードした写真を、変質者に収集される事も無い。
こういう問題もあるのですが、何より、人と人のかかわり方が違った。
会わなければならない。行かねければならない。そういう当たり前の交流が減った。

「ふざけんなw」これは文字だけだとどうとでも取れる。絡んできたようにも、怒っていたりピキっているようにも、ツッコミを入れているようにも受け取れます。会って顔を合わせてなら喧嘩になる事は無くても、文章だけではそうもいかない。
そして「あいつこんな事書いてきた」と、それを書いた真意とは違う意味でスクショを周囲に拡散される事もある。

便利さを捨てられるか?と聞かれれば、その恩恵にはあずかっていたいのだけれど…
時々微妙な気持ちになりますよね。

話の前後を切って、そこだけをピックアップすればさ。都合良く解釈できるようなスクショなんてたくさんありそうなのに、自分に近しい関係の人が傷つけられたと思うだけでねぇ。そんな事は忘れちゃうのよ。人間って。

昭和臭もなかなか良いなぁ。って思いながら今日俺のドラマを見ています。

屈指の不良高。そこの生徒が真面目っ子から金を巻き上げてた。こういうストーリーの時も「恥かかせんな」とトップ連中からその行為に釘を刺される。
昭和臭の時代にはあったのよ。誰かの悪さや間違いを諭したり正したりする人が。
近所のおじちゃんだったり、学校の先輩だったり、色々なシーンに人がいたからこその光景なのよね。

そういえば。
「近所にゴミ捨てんな!」
「近所ではバイクのエンジン切れ!」
「近所迷惑だから静かに入って来い!」

こういうヤンキーがいたのよ。地元っちゃあ地元にね。なんせバカだからもうやだ〜(悲しい顔)
近所って「俺の近所」を指して言ってるのよね。どこからどこまでが「俺の近所」なのか本人にしかわからないのよ。
「俺の近所」の定義がわからない。それで「近所ではエンジン切れって言ったろ!!!」と蹴られてる人とか居たわ。
なんだったんだ?アイツは…

ヤンキー面白いよねw

家庭でも学校でも良い子風のクズより好きよ。どっちかって言うとね。

posted by Mako at 16:10| 日記