2021年01月14日

殺すのは神か?人か?

聖書に書かれた罪とは、神を神とせず無視して生きる事である。と簡単に言えばそうなります。

「自分を崇めないと怒る心の狭い神」と、聖書の神、創造主を批判する人がいます。私はこれを、ある意味良い事だと思います。批判は考えを整理するのに役立つ場合があるからです。
しかし、その意見や見解にも、疑問や批判を持たなければならない事までは多くの場合はしないのです。それが問題です。

虐めのような間接的であっても、殺害のような物理的であっても、戦争のような時の事象であっても「人殺しは良くない」と、皆が言います。それは正しい事です。

最初に書いた罪の定義ですが、罪人は死に定められると聖書の最初の書から記されています。

「自分を崇めないと殺すのか!」と考える人がいるかもしれません。ここように考える事も、大事な事です。神は人を思慮深くあるように勧めています。考える事は人の特権でもあります。




そろそろ上記の批判に答えましょうか。

「私の命」「あなたの命」「彼等の命」

どれも正しいのですが、命の真の所有者は、それを生きる者にした神のものなのです。
「生まれよ」
「生きよ」
そうして神が与えた者なのです。

この今の世の始まりから、人はこの世の統治権を神に任されています。
命をつなぐ(子孫を残す)事も統治権のひとつです。

次に、身体が生きる為には水や食べ物が必要です。同じように命もまた、栄養が必要なのです。

英語が苦手なので引用したくありませんが引用しますね。私が歌の歌詞にと考えた骨組みの文章です。



If I have thirsty, Please yours water to me.
That water comes up from a spring in my heart,
and it causes me to have true life.



「私が乾いているならあなたの水をください」と求めています。
これは命の栄養を求めているのと同じです。霊や魂、命と表現されるそれは、神からの栄養補給が無ければ続きません。いつかは干上がって枯れてしまいまいます。
神は命の源です。心の中や私のうちと表現されるところに泉が湧くとは、命の源泉である神がそこに留まる事を意味します。

さて、神を無視する。つまり神を捨てて生きるとどうなるのか?という最初の問題に戻ります。
遅かれ早かれ死にます。命が尽きるからです。

神を捨てて生きる事は、命を捨てる(殺す)事と同じ意味なのです。
つまりですね、殺しているのは神ではなく人であるということです。神は「死んでしまうといけないから」とそれを引き止めたのです。

それでも人は命の源を捨ててしまいました。そこで神は、別の方法で命を殺してしまう事から人を救う方法を実行したのです。それがゆっくり成就をしながら進行している聖書預言です。

神から離れた世が人に与える常識や考えは、基本的に真理とは逆というパターンが多いです。

最近のアニメで天使とは、無気質で無慈悲で勝手なイメージのあるものになっていますよね。あれは実際には堕ちた天使の姿です。それに対して人間味溢れる寄り添う理解者のようにサタンや悪魔が描かれています。
そうです。逆なんです。
人って割と素直さを持った生き物なので、与えられた情報をそのまま吸収しやすいんですよ。ちょっと気恥ずかしいかもしれませんが、これを読んでるあなたもけっこう素直なのよ(笑)

なーんであんなのに騙されちゃったんだろう?
その目に弱いw
こんな事ありません?
本当は自分には関係無いんだけど…でも仕方ない!人肌脱ぐか!なんて、ついしてあげちゃう事ありません?
人は結構素直なんです。
亭主関白な波平だってフネさんのいう事はスッときくでしょ?あぁ、あれはアニメかw

※この投稿には おまけの余談投稿 があります。
※更に続きがあります。『『静かに続いている霊との戦い』
posted by Mako at 14:42| 聖書関連