2020年01月23日

自分でどうにかできる事なんて少ないのさ

僕だけがいない町っていうアニメがあるのよ。

何か事件が起こると、その事が起こる前に時間が巻き戻る。
それで、その問題が起きる前に、起こさないようにする少年?いや、実年齢は29歳だから青年か?のストーリー。




後悔ってした事ある?
後悔ってさ、後悔する時には忘れてしまってるけどさ。いろんな人の感情や想いが絡まってその事が起きてるから…
アニメのように時間が巻き戻っても回避するのは難しいと思うの。

実は自分はその情景の一部であって、決断で動かせることなんてあまり無いんだ。そうやって結論付けちゃうのよ。

自分の決断が変えられる未来は、そう多くないって事。

ところで、後悔する過去の出来事があって、それをいつまで悔やんでも… うーん。意味が無いとは言わないけど、何か違う気がするの。

例えばね、ありがちな後悔だと「あの時あの人と別れなければ良かった」なんて後悔は、SNSでもblogでも見かけるよくある話でしょ?
後悔しているなら、その人生をやめればいいじゃないって思うの。どうして後悔してるのに、その続きを生きてるの?って考えちゃうの。
別れる前には戻れない。もう一度一緒にいたいと思うなら死ぬ気で頑張るか、同じ過ちを絶対にしないと決めて、次の人との関係を思いっきり大事にするしかないでしょ?
ダラダラと「あぁ、あの時こうしておけば…」を考え続ける人生つまらないじゃん?

後悔する過去って、自分の決断だけではどうにもならない事多い。
えっと…
進学とかさ。本当は声優になりたいから専門学校に行きたいのに、親が大学行く以外の道を許してくれなかった。
こういうのは「あの時何としても専門学校に行くべきだった」なんて後悔しても、専門学校に行った自分はそこにいないわけじゃん。
だったら、親の希望は叶えてやったぞ!後は自分の夢を叶えてやろう!って考えるか…
専門学校に行った自分には味わえない良い事を作っていくしかないでしょ?




自分の判断や決断だけではどうにもならない事がある。
例えば、自分の死や大切な人の死、病気も…
お互い好きだけど、大切な友達の為にあきらめるって恋愛だって、自分がどんなに頑張っても、誰かが誰かを好きになる事を止めることはできないでしょ?

そういう、自分ではどうにもならない事の多さがある時、私はクリスチャンになってよかったなぁって思うの。クリスチャンは皆思ってる。そういう時こそ神さまは近いって。

うーん…
ありがとうってお祈りしてみようかな?寝る前にでも…
posted by Mako at 22:30| 一人じゃないよ

2020年01月15日

シナーゴーグ?(ほんの少しだけ走り書き)

難しいなぁ。

神のかたちに似せて人を造り…
人が1人でいるのはよくない…女を造り…
命の木からも取って食べるかもしれないので人を追放し…

創世記の前半ですね。これを用いるのが1番わかりやすいかと。

いやぁ。わかりにくいのかなぁ?




心。そこがエデンにたとえるのに丁度良いのかもしれない。
個人の心は会衆(集合体)の為の会堂なのかもしれない。
茨やアザミの生えたそこは、労せずに人を受け入れられない。
何かを生み出すにも、苦難と困難がある。

心は人から隠されてる。
命も人から隠されてる。
命を宿す者は創造主である神だ。

命の木からも取って食べるといけない。とても恐ろしい事でしょ?
だから神が見えなくなった。




そんな事を今考えるのには理由があるけれど、言葉にしたくないなぁ。

どう言えば良いのか?

園に人を置いたように、神は人を置く。
境遇・環境・交わり・数々の社会に人を置く。

神の時計が1分進むのは大変な事だけれど、人には気の遠くなる時間。
神には一瞬のように過ぎるけれど、実は神にも長い。神自身がその時間の流れに置かれた人と共にいて、その時間を一緒に過ごしてるから。

置かれた環境や境遇に涙して訴えても、神は再度そこに置く。理由があるからだ。
私は信頼されてる。そう思えばラクなのか?ちょっとわからない。
けど…
なぁーに。大丈夫さ。ダビデが言ったように、私を追って来る。神からの良いものが。
ね?そうでしょ?
posted by Mako at 01:57| 一人じゃないよ

2020年01月02日

赦す赦さないの話と揺れ

赦せ無い事は割とある。
世の中が理不尽な以上避けられない。
どうしても赦せ無い事も生きていればある。

赦せ無いのなら「赦せ無い」と言いながら相手に近づかない事が正しいと思う。相手に無理強いして、例えば謝罪させたところで、くすぶった火種は消えない。
「仕方がないから謝罪した」という事実があっても、それは謝罪なの?
一時期それを良しとしても、次に何かあった時、この火種にも火が点いて、以前よりももっと悪い状態になる。

この事はね、関係が近ければ近いほど仲直りや復縁が難しい事で立証してると思うの。
親族・親子・夫婦・兄弟…etc
どれをとっても、こじれた後の争いや決裂の程度がひどい。外部との人間関係の方が簡単ですよ。
友人関係でも、親友とこじれる方がその他の友達とこじれる方がマシ。
だから、関係が近い人間ほど実は気を使う事も多々あったりする。

「謝ったらゆるしてやろう」
「損害を保障したらゆるしてやらないこともない」

色々と条件を提示するタイプもいる。
私はクリスチャンなので、これらの条件をつける立場にありません。これを読んだ人がクリスチャンであるならば、あなたもそうです。
世に生きる人を相手に、世の基準や常識に従って、何かしらの報いを受け取ってはいけないのです。
そうしない事は、自身がキリストに属する者であり、さらに優れた故郷である天の国民である事を世に証します。
山の上の町が隠されないのと同じように、そのようにして『世に属する者で無い事を明らかにする』のです。

もし、何かしらの損害があった場合、それ相応の金品を持って相手が謝罪に来たとしたら…
それを簡単に、神の恵みや祝福であるように考えてはいけない。世の基準に沿った解決は、本当の故郷を軽んじている可能性があるからです。
そういう時は自身を良く見張る必要があります。
そのような事が無くても、神が報いてくださると信じていた結果だと断言できるなら良いですけど…
結局、「損害は保障されるべきだ」という世のルールと道徳、判断基準に沿って正しいかどうかを決めれば、受けるはずの報いから外されます。
当然の事だと思ってもいけないのです。




「クリスチャンって厄介やなぁ」と考える人が居るかもしれませんよねー。
厄介ですよ(笑)

報いにも色々な意味と、それを受ける時期とがあります。
それをどのような形でいつ受け取るにしろ、「神は必ず報いてくださる」と完全に信頼できる事が信仰生活と言う事ができます。
それによって重なった経験が、次につながるのです。
クリスチャンには、マントラや経文のように繰り返し唱える言葉がありません。像のような拝んだり手を合わせたりする対象もありません。
信頼と結果が経験として重なっていくのみです。




さて、自分のことはこれで良いのですが…
誰かの為に自分が抗議するべきであり、怒りの表現もしなければならない場合というのはどうなのでしょう?
私はこの部分で揺れています。
私はこの事に無知です。

この悩みには、自分でも手を焼いています。
あまり委ねきれている感じもしません。
赤ん坊が右も左もわからないのに動き回り、手に握った物を何でも食べている感じです。

いつか正しい答えを理解した時に、間違いだらけの時間を過ごした後じゃないといいなぁと思います。
posted by Mako at 23:27| 一人じゃないよ