2019年10月17日

聖書のススメ

どこかへたどり着きたいと欲すれば、今いるところには留まらないことを決断しなければならない。

J・Pモルガン





時間は待ってはくれない。これは、どの国の誰であろうと 「Yes」と答えますよね。人って、安定や成功を捨てられない。安定や成功をしなくても、努力や忍耐も捨てられないんですよ。

新しい何かを求めるならば、古いそれを棄ててしまうのが1番の近道です。退路を断つ事で、進むしかなくなりますからね。

これはとても大きな話だけれど、小さな話としては、新しい年、新しい季節、新しい週、新しい日、新しい午前と午後、たくさんあります。

時間をどう区切るか?これによって色々な事が変わる。




新しい料理にチャレンジする時、私は新入り的存在です。
いつものキッチン、いつもの道具、いつもの風景だけど、新しい厨房に入った新入りのように、未経験で無知で何も知らない者なんですよ。
一方で、いつものアレを作る時には、熟練したベテランなのです。それについては誰よりも専門家であり、プロフェッショナルなのです。だから、何かが足りなくても代用する手段を知っているし、どうすればベストな状態を保てるのかも知っています。

しかし、どんなに熟練者になったとしても、初めて失敗をする時や必要な調味料が無いなんて事になれば、私は再び新入りになってしまうのです。

このような考え方は、聖書から学んだ考え方なのですが、人生の小さな楽しい事でもあります。

1度失敗や不備を克服すれば、私は経験者という立場になります。

「今までこの調理方法で成功した」という経験に留まっていては得られない称号です。失敗しない私は、失敗する私を知らない未経験者です。醤油が無い。レモンが無い。塩が無い。そのような陸地を目指して船出しなければなりません。




それまでの何かを棄てるという事は、多くの意味や角度があります。
古いものを棄てる事が、継続という新しい力を得るのだと思います。

棄てるにも色々ありますからね!

このような生き方が、聖書的生き方と思考と密接なんですよ。だから私は聖書が大好きです。まぁ、私は信仰者でもあるので、もっとイエスさまが大好きですが。
聖書は、世界中の成功者の殆どが読んだ事のある本です。得るものは多い思いますよ。
posted by Mako at 05:58| 聖書関連

2019年10月12日

ザックリ黙示録の最新UP視聴したー






ノンクリスチャン向けに語られる黙示録。ザックリなんてクリスチャン向けより無理ですってw
とは言いながらも… ザックリ切るところで切らないとな感じですすめられているなぁと思います。

実は私、10日を10年?と時々立ち止まってましたw
荒野の40日40年があるのでつい… でも、そういう時は、それが解き明かされてるのよね。ちゃんと。

字義通り。ノンクリスチャンの方がそれをしない率が高いのは不思議な事だよね、

あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと探り回ろう。

ダニエル12:4


クリスチャンでも字義通りに読まない事があるけど(私も)、彼等の場合は「探り回る」のでは無く「勘ぐる」のかな?どちらも真意を変えてしまうので一緒か。私も気をつけないとなぁ。

「どうしてそんな事が起こるのか?」何年も経ってからわかる事もあるし、見えるのは物事の断面にすぎないものね。私なんて、今日使ったレモンの残りを砂糖漬けにしたのだけれど…いつ出来上がるかすら、正しい日数がわからないのよ。早くホットレモネードを飲みたいのに。はちみつが残り少ないのできび糖で漬けたよ。

「わかりません」と言えるのは大変誠実な事だと思います。

クリスチャンが地で解いた事は天でも解かれてる。だから、誠実と謙虚さは、とても大事だと思うの。




人々が黙示録を世の終わりの書だと言っているけれど、クリスチャンにとっては新しい時代の始まりの書なのよね。それって、正しすぎない?こういう正確性も不思議だなぁと思う。


だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。
彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。
私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話しておいたのを思い出しませんか。
あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現れるようにと、 いま引き止めているものがある のです。

Uテサロニケ2:3〜6


ここの箇所も、クリスチャンによっては解釈が変わるかもしれない。でも私は、アブラハムを思い出すの。

アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。
もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。
正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行うべきではありませんか。」
主は答えられた。「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」

創18:23〜26


アブラハムは甥のロトを想い、少しずつ人数を減らし、最後は10人まで数が減っていた。主は「10人の為に滅ぼさない」と答えるでしょ?それで私は『引き止めるもの』を『クリスチャン』として話すの。最近。
正直自信は無いのだけれど(苦笑)

以前ツイッターで、カトリック信徒の方に「神は忍耐して待っておられるのです」とリプされた時に、少々違和感があったの。

多分ここからの言葉だと思うの。

キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。
その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行って、みことばを語られたのです。
昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、 神が忍耐して待っておられたとき に、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。

Tペテロ 3:18〜20

「神はクリスチャンに対して忍耐して待っておられるのか?」と。でも、クリスチャンだって人だから、罪もおかせば不信仰な時もある。だから良いと言えば良いのだけれど… うーむ… と少し唸ってしまったw

多分、私には見えていない事がその人には見えているのかもしれない。そう考えて聞くことがにしたのよ。

こういう時「これが絶対に正しいのだ。」という答えを持ってなくて良かったと思うの。きっと理屈で返していたでしょうから。




台風の音凄いよ。避難の携帯通知も、びっくりからウザイになり始めた。情報が必要な人がいるのにね。
こういう時、自分の愛の無さを痛感するわ。
posted by Mako at 22:53| 聖書関連

2019年10月08日

一旦終了






メシアニックジューが増えてるじゃないですか。
迫害されながらも、ユダヤ人の救いを祈りながら生きてる。

イエスキリストを信じたキリスト教徒よりも、聖書に密接で、よっぽど詳細に詳しい。

彼等がイエスキリストをメシアだと考える事が出来なかったのは、教師達が教えを曲げたから。
ちゃんと聖書を読めば、ちゃんと知れば、彼以外にメシア(キリスト)はいないとわかる。

霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。

だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。
なぜなら、 まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ない からです。
彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。

私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話しておいたのを思い出しませんか。
あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現れるようにと、いま引き止めているものがあるのです。

不法の秘密はすでに働いています。 しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めている のです

Uテサ2:2〜7


まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ない』

いつも、腹の中にあれに属するグループを抱え込んでいた組織を『キリスト教の総本山』と、都市伝説を語る人々が名指しするのはいつもローマ・カトリック。

イエスの磔刑は、ユダヤ教の教師達の取り調べと採決の後、ローマ帝国が行った。
祭祀達の手により、世の支配者を象徴するローマ帝国が行ったのは、非常に意味が深い。
罪状書きもそうだけど。




聖書をテーマに語るし、聖書の登場人物についても適当な事を言うけれど、本当に聖書を知っている人の話は聞かない。
勝手に真実の歴史ぐらいに考えている考察とやらを支持してる人々に、神輿のように持ち上げられれば良いらしい。

「彼らは何をしているのかわからないのです」
の部類に入るのかしら?

彼等が彼等の責任で行う事は別に良い。でも、イエスキリストのキーワードでそれに騙されちゃった人がいたら…ちょっと…




以前、よく視聴していたYouTubeチャンネルに、ちょくちょくコラボ出演する女性がいたの。

私は彼女がとても苦手なタイプだったんだけれども、コラボで彼女がいると、誰のチャンネルを視聴しにきたのかわからない状態になるの。

彼女のチャンネルを見にきたんじゃないのに、それを見せられてるみたいで、ますます苦手になったのよ。

チャンネル主がどんな動画をUPしていようが、それは本人の自由でしょ?
嫌なら視聴をやめる他無い。

都市伝説のチャンネルもそうで、不快だったり嫌だと思ったら視聴しなければ良い。

『イエスの正体』のサムネで「この人まだキリストの冒涜やってるんだぁ」とつい再生しちゃったんだけど、苦情を言うのもなんか違うしねぇ…

そのチャンネル内は、そのスペースを借りてる契約者の自治の場だから。仕方ないよねぇ。
それに、そういう事が次々と起こって時代が進むわけだし。

先に書いた人達の方は、チャンネル動画の一覧を少し前に眺めたのよ。
やめるとかやめないとか、その女性が言ってたので。どうなったのかなぁ?と。
よく見ていたチャンネルの主が一緒に写っているサムネイルがあるズラーっと並んでたけど…
あれじゃまるでセクシービデオの男優(汗)

もう見ていた事も忘れたいと思ってしまった。恥ずかしくて人に言えないわ。視聴者だったなんて。




都市伝説で使われたキリストとその中身、聖書とその中身が気にかかったら…
また書くかもしれない。
今は、迷いが出てきたので、一旦終了する事にした。
posted by Mako at 17:49| 聖書関連