2020年09月30日

ハッキリ言わせていただきます! 黙って見過ごすわけにはいかない日本の問題

ビジネス書に並ぶ本はあまり好きではないのですが…。
私には合わない本でしたが、考えるべきポイントはいくつかありました。





ハッキリ言わせていただきます! 黙って見過ごすわけにはいかない日本の問題

▼KINDLE版
ハッキリ言わせていただきます! 黙って見過ごすわけにはいかない日本の問題 (集英社ビジネス書)




こちらは対談本になります。正直言って『買うほどの価値は無い』と思いましたが、批判をする方・批判できない方・批判がわからない方はお金を出しても買うべき本かもしれないと思います。
ただ、私には必要ないかなぁ?といった感じでした。

最近、批判と誹謗中傷の別が無く語られるじゃないですか。また、批判を誹謗中傷と同じ扱いにしたり、告訴という単語等で言論封鎖しようとする動きまであります。かと言って、誹謗中傷しているのに『批判だ』と言い切る人がいます。このような状況下では、批判に関する本は必要だと思うので書く事にしました。

「何を今更…」と思う内容が私には多かったように思います。そして、わりと左翼思想が濃い目に出ている考え方が多くありまして、私の左派アレルギーが少々出ました(笑)これは完全に私個人の問題ですね。

著者の列挙する批判のお作法。これには共感しました。

▼批判のお作法5か条。
1. 批判されてもキレない。

2. 批判は「事象」「事柄」「発言」などについてすべし。
人間性への攻撃はNG.

3. 批判は「事実」に基づいてすべし。

根拠が思い込みや固定観念はNG.

4. 批判は「愛」が必要。
その先に「より良くなる〜」が必要。〜には社会、会社、学校、地域などがあるべし。
うっぷん晴らしはNG


5. 批判には責任がともなうべし。
公益通報などの匿名性は守られなければならないが、安全地帯からの匿名での言いたい放題はNG。




まぁ、批判ってそういうものよね〜って感じですね。

最後の批判がともなうべし。なんですけど〜。ともなうべし。という語尾がなんかしっくりきません(笑)
そして、これがあるだけで単に誹謗中傷しているだけのものは減るのではないかと思いますね。

本人を目の前にして、自分を晒した状態で同じ事が言えますか?って自分に問うてからすると違うかもしれないです。




この本のテーマ




  1. 日本人は批判が下手

  2. 教育から考える事・意見を述べる事を学ばせるべき。



「日本人は批判が下手である」と最初から言い始めるのですが、この批判が下手の中にも、「教育の段階で〜」という部分にも、「欧米らしくあれ!」と言われているような気がしてしまう切り口です。



日本人は批判が下手である事については同意するのですが、その列挙されている中には「日本人らしさ」も入っているんですよ。それを捨ててまで批判を上達させるべきか?というと、私個人の考えとしてはNOなのです。



急に大人扱いされる成人や18歳のような事象については同意します。校則で髪型や服装までがんじがらめにされている毎日から、急に「大人なのだから自由に」と言われてもね?(笑)とかね。



未成年が起こす犯罪や問題について、区切りがあります。14歳が万引きするのと10歳が万引きするのとでは扱いが違うのです。同じ未成年であっても。しかし、ここから大人として扱うべきという考え方は非常に極端だと思います。



未成年の非行にしても、よっぽど更生施設に置く必要があるような重罪で無ければ、わりと法定代理人次第になる場合が多いです。



15歳の子が売春をしていた。Aさんは少年院へ。Bさんは保護観察処分で家へ。全く同じ事をしていても、家庭環境ひとつで少年院へ送られるかどうかまで変わってしまう。これが未成年者です。



母子家庭だからダメとか、貧困層だからダメとかいう事では無くて、「なんとか更生させますので」と言っている親と「何を言っても聞いてくれなくて」と言っている親の場合。こういう事が影響したりするんですよ。置かれている環境によって格差があるんです。少年少女達には。その上責任を重くするのか?と考えると… 同意はできかねます。






批判の代表例



ある人物が犯罪を犯したとします。これは司法的立場で見た場合ですが、この犯罪者は2通りの罰を受けます。法律が行う実刑や罰金という罰と、世間から受ける非難や批判です。



報道されるのは、事件があった事を知らせる目的と、誰がどのようにしてどんな罪を犯したかを広く知らせるために行います。これには、世間が犯罪者を批判するという事を許容して行っているのです。



実際に受刑者となって受ける刑罰だけでなく、世間から批判されたり、非難されるという罰も与えるわけです。



ですが、糾弾したり、断罪したり、改めて国民個人が犯罪者を罰する事までは認めていません。この域に入ると犯罪者の人権保護という機能が働きます。



誹謗中傷はこの機能を動かす行き過ぎた行為になります。批判ならOK。誹謗中傷はNG。このラインが難しいのは確かなのです。



批判を学ぶ機会は、将来の大人である子供たちに教える機会は必要かもしれませんね。大人でも難しいですから。熱くなって度を超えるなんて事もありますからね。

posted by Mako at 20:33| 読書

2020年09月27日

呪(しゅ)の話

前記事『陰謀論者達について思った事』の続き投稿になります。




(しゅ)の話題



▼特攻隊の記憶の本です。

今日われ生きてあり :知覧特別攻撃隊員たちの軌跡 (新潮文庫)



賛否両論ある本で、『愛国心とは何か?』『命とは何か?』『戦争とは何か?』というテーマを、人それぞれに考えさせる本だと思います。
私はだいぶ前にこの本を読みましたが、現在ではですね、戦争と識字率の問題について考える事があります。テーマが外れるので今回は書きませんが。そして心身の成長具合ですね。これも考えさせられます。、



彼等は若人でありながら、死に向かっていく前に句が詠めました。日本の処刑前で死んでいった武士もそうですね。句が詠めました。
「武士道が」や「侍魂が」というような『日本人的精神論』を語る方は多いですよね。彼等は自分の人生が終わるとき、どんな名句を残すのでしょうか?



私の中にずっと残っている名句があります。


美味しいね
言わなきゃよかった
またこれか


いや、それは川柳ですから!!!!(笑)
そうなんですよ。川柳なら心に残ったりしますが、俳句はパッと頭に浮かばないんですよ。自分で詠む事もできません。日本人なのに。
だから、句が詠める人を尊敬します。


柿食えば
鐘が鳴るなり
法隆寺


「柿食べてたら法隆寺の鐘が鳴ったよ〜」って事ですよね。これの何が良いのかもわからなかったりします。私ガチで結構なバカなのです。



余談はこのぐらいにして、(しゅ)(以降呪と表記)の話に入りましょう。
呪というのは、日本に昔から伝わる(どう)の概念です。





  1. 武士道

  2. 弓道

  3. 剣道

  4. 茶道

  5. 武道

  6. 神道

  7. 柔道

  8. 書道




日本には多くの道があります。人生・武術・スポーツ・作法...etc...
あらゆる事に『道』が存在します。



私は、日本人が重んじてきた『道』には、独特の間合いがあると考えます。日本人の「空気読めよ!」という文化は、この間合いを感じて生きてきた事に根付いていると考えるのです。
間合いは立派な師に教わっても学べるものではありません。自分で感じて習得しなければならないからです。



「空気を読め!」の間合いも、人によって違います。お笑いコンビのツッコミもそうですし、上司が部下を庇うタイミングも『空気を読む』作業です。人によって変わりますし、立場によって変わります。
『間合い』を知る事は日本人らしさの象徴でもあるのです。
もうひとつ境界を読むなんて事もあります。



このような『道』の文化と密接な関係を持つもの。それが呪の文化です。呪は主に陰陽道が代表的にあげられますが、それは呪の文化を解説・理解しやすくしたものと考えます。






呪は境界であり道である



呪の代表例は『名付け』です。
赤ちゃんが生まれて名前をつける。「今日からお前は太朗だ!」
この行為が呪をかけるという行為になります。



名前がつけられた瞬間から、誰もがその赤子を太朗と認識します。また、名付けられた本人も太朗として育ちます。
名付けられる前は1人の赤ちゃんでしかない。しかし、名付けられた瞬間から太朗という個人に変わる。これが呪です。



これをもう少しわかりやすい言葉に変えて言うならば、境界を設けたという事になります。



お前は今日から太朗だ。
私は父親の政宗だ。
あれは母親のおつるだ。


このように境界(区別)を設ける事が呪の代表例です。



日本で一番古い宗教で、現在も残っているものは神社系ですよね。明治の国家神道ではありませんよ。あれは別物と言って良いでしょう。


神社は長い道のりや階段を通ってようやく境界である鳥居に辿り着きます。そこからが、神社に祀られる神の領域という事になります。鳥居はひとつの境界です。


このような境界を人にも作る。それが呪の代表例です。ですから日本人的文化でもあるのです。




  • おまえは子供だ。

  • 私は大人だ。

  • あなたは女だ。

  • 私は男だ。

  • あなたは先生だ。

  • 私は生徒だ。



このように、ひとつひとつ境界を設けていく事は呪の一種です。



父が厳格であり続け、母が尊敬される存在であり続ける事も呪の効果です。それ(境界)が薄れた昨今では、どちらも難しくなっています。
まるで同等の関係であるかのようです。


これは子が親を同等に見ている事もそうですが、親が子に対して恥ずべき行いや態度をしているという理由もあります。
呪は、人の行動や生き方に影響するものです。ですから、父は父親らしくあり、母は母親らしくあるという行動も呪によって現れるのです。


これを一言で言えば『道』となります。言ってみれば父親道とか母親道のようなものでしょうか?


呪の文化は、道の文化であり一対のものです。






日本男児の愛国心は呪である



これらの事を踏まえると、特攻隊であれ、その他の部隊であれ、『愛国教育』は呪であると言えると思います。


「日本男児たるもの…」と言うのも「我、愛国の勇士」と言うのも呪による境界によるものだと言えるのです。


「日本男児」も、他の国の人との境界があります。戦中国民に当て嵌められた「臣民」もそうです。境界を呪によって設けたのです。


「日本男児が日本男児らしくあるために」という行動力に「臣民たるもの」が上級クラスで乗せられているようなものです。





陰謀論者の言う『目覚め』は呪に気づいただけの話である



今回紹介したような著書に賛否両論が起こるのは、彼らの『精神道』を見る人と、単に『戦争の惨禍』を見る人に分かれるからだと思います。


絶賛しすぎても『先人に恥じぬ生き方』という呪がかかります。卑下しすぎても『なんでも戦争に結び付けて認める事ができない生き方』という呪がかかります。


私はクリスチャンですが、クリスチャンと言うのは、呪の呪縛からの自由人であるともいえます。ですから、この事についてはとても深く考えたいテーマです。
クリスチャンの中にも「クリスチャンらしくある生き方」という呪を自身にも他人にもかけている人がいます。ある程度は必要といえば必要なのですが、それを重んじると聖書の言う信仰が宗教化されてしまうので問題です。



これらの事を考えると、現在ネットに溢れている陰謀論者達は『自分自身にかけられた呪を認知しただけ』の状態と見る事ができると思います。





  • 人は本当は自由なんだ!

  • 植え付けられた常識にとらわれる必要なんかないんだ!

  • 吸い上げられているから我々は苦しいのだ!




これらは、ティーンネイジャーなら強く主張しても許されるのですが…ある程度大人になると困った人達になりかねません。


呪から抜け出そうと思えば、敵を作ったり、悪を暴く気になって、あれこれ中傷する事からも抜け出さなければならないのです。それでは『目覚め』と言っても、布団の中でウダウダしているのと変わりません。
「目覚めました!」と言うなら布団から出ろって話です。はい。


「彼等が起こそうとしている危機に備える」と備蓄をしたり、金融に代わる何かを収集するのは結構ですが、結局自分という個人の防衛にすぎません。


近くに河川敷があって水害を避けたいと考えている。それならば、どこまで水が来るかわからない事を議論するよりも、ひとつでも多く土嚢を積む方が賢いのです。
いつ来るかわからない、いつそれが起こるかわからない。そのような事を議論している暇があったら、人とつながる事の方有益です。災害時では人伝いに聞いた事で動かなければならない事も多々あります。


自分だけが食いつなげる・生きていける状況を備える事にどれだけの意味があるのか私にはよくわかりません。


あなたや家族だけが食べられる・生きられる備えは、あなた方が災害に飲まれて死んだ場合誰かの役に立ちますか?
生き残った人の食料として使えるなら良いですが、個の保身のための備蓄は、個の為であるので、それがそこにあると知らない人には何の役にも立ちません。飢えて死んでいく人がいる環境下で、役立たずにそこに存在するだけです。


結局のところ、呪から目覚めたと言いながら、新しい呪にはまっている。私にはそんな風に感じます。



備える事が悪いのではありません。備える事は賢者の行動であり、備えなかった者は愚か者と言う事もできますから。これは備蓄だけでなく、貯蓄でも言える事です。いわゆる人脈でも言える事でしょう。


手段と方法、考え方がお子様から成長しなければ、結局のところ新しい呪をかけているのと同じという事です。



これらの事を書きながら、自分自身についても色々考えています。私も肉体という器の中身はお子ちゃまなので(苦笑)

posted by Mako at 07:23| 読書

2020年09月24日

『わかりやすさ』の2冊

チャットしながら書いているので乱文ですが(笑)


わかりやすさの罪

武田 砂鉄 さんの『わかりやすさの罪』。出版前から楽しみにしていた一冊なのですが…。

う〜ん。同調や共感を誘うばかりで… 書籍化するなら、もう少し突っ込んで欲しかったのが正直なところでした。でも、普段感じている『わかりやすさの』には十分共感できました。

武田 砂鉄さんのこの本の出版を待っていたら、少し前に池上さんが似たようなタイトルを出版したの。


わかりやすさの罠 池上流「知る力」の鍛え方 (集英社新書)

こちらもね、わかりやすくする事で起こる事。という事で、わかりやすさの王道である池上さんらしい視点で語っている一冊です。




どちらもね、現代病かなぁ?って思うんですよ。

最近心理学があ〜だこ〜だという投稿をしたのですが、世間一般で言う心理学と実際のズレ。これも、『わかりやすさの〜』が引き起こした事のように思うのです。
ちょっと考えればわかるんですよ?例えば、フロイトとは?と聞かれたら誰もが心理学者とかね、心理学の人と答えるわけですよ。しかし、統計心理学や行動心理学に泥酔しちゃってる人は、中身だけを聞いたら「こんものは心理学じゃない」と平気で言ってしまうでしょ?

「フロイトの言葉なんだが…」と聞かなければそうだと思わない。

このような現代の風潮がまさにそれだと思うんです。




心理学を人間関係に応用したい人に健全な人はいるのかな?と考える時があります。ビジネスの応用でも、詐欺師が一番興味を持つように思うのです。

だって、本当に相手に「うん」と言わせたいなら、説得力や、その内容の自身や根拠が大事でしょ?そんな事よりも、相手の心理につけいって…というのは詐欺師ですよ(笑
そんなものを求めるのは(笑

でも、そうでもなくなってきているんですよね。

これねぇ…。オンラインサロンだとか講義だとかがたくさん出ているでしょ?どこまでスペシャリストなのかよくわからない人が講師を名乗る時代なんでね…。

えっと…。これをどうやって言えば良いのかしら?




中田敦彦さんが、本を読んだ内容から色々アウトプットするチャンネルがあるんですよ。チャンネルを開設してすぐに登録したのですけど、最初の数回ですぐに見なくなりました。

その理由はですね、読んだ書籍の内容を、彼がどう解釈したか?どう理解したか?をかみ砕いて解説するので、本の言わんとしている事に余計な脚色がつくのです。

これは武田さんの書籍と似た不満になるかもしれません。

わかりやすくかみ砕いて話した結果、わかったつもりになってしまう。だから、それ以上の事を求めなくなる。これが池上さんが指摘するわかりやすさの問題点です。

こうやって中途半端にわかったつもりになってしまった事が「わかった事」として別の人に語られていくんですよ。わかります?

私はこの現象に不満があったので、中田さんのチャンネルを見なくなってしまったのです。

彼が何を知っていて、理解していて、どう考えるか?どうするのか?なら聞く価値があるのですが、他人の土俵にあるものを持ち込んで脚色するので…何か違うんですよね。

そのような不満や不安を、この2冊は文章化してくれている気がします。これを繰り返していたら、バカが増える気がするんですよね。

実際に著書を読んだ人は理解していても、それをわかりやすく聞いた人の場合、その理解の土台が形成されているだけなんですよ。そこから先が必要なんです。
だとすれば、彼の長い話を聞く必要はあるのか?って話になってくるんですよね。私にとっては2度手間だなぁと思ったので視聴しなくなたのです。
登録解除しないのは、いつか暇なときに見るかもしれないというブクマ的役割です。




私は、心理学も哲学も、答えがハッキリしないので嫌いだし苦手なんです。実は…。
答えの無いものをいくら考えても…ってなるじゃないですか。

で、心理学自体が、人が思っているほど求められていないものでもあるんですよ。どんなに専門分野で名のある教授がいたとしても、それが社会の役職や職業として反映されないじゃないですか。
逆に、学位のある専門家じゃない人が語る心理学なるものは、やたら集客できる始末なんですよね。

これにも違和感があるのです。

でもね、例えば集中力が落ちていて…というときに、それ系の情報がその分野から出ればプラシーボ効果であっても、やる気スイッチが入れば良いじゃないですか。でしょ?ダラダラしている状態から脱却できるきっかけになれば良いのです。

そうやって軽く楽しむという意味では受け入れているのです。

実際にはわかっていない事をわかったつもりになって聞かないようには気をつけています。

インドのことわざをひとつ紹介しましょう。

『知るは一滴にすぎず、知らずは大海の如し』

私はこのインドのことわざが好きです。これを座右の銘にしたいぐらいです(笑)

わかったつもり、知ったつもり、これが一番やっかいです。だって、自分では知らない事もわかっていない事も理解できていないのだから。
posted by Mako at 21:06| 読書