▼ネリー・ブライで知られる書籍

ヴェルヌの『八十日間世界一周』に挑む―4万5千キロを競ったふたりの女性記者
▼彼女の人生を一変した精神病棟潜入の物語『エスケーピング・マッドハウス』がAmazonで配信されています。

エスケーピング・マッドハウス
「女性だから女性向けのおとなしい記事しか書けない。そんな記者人生は嫌!」その足掛かりにしたのが、ブルックウェル島にある精神病院への潜入記事です。彼女は精神病院で行われている人権侵害を暴露する記事を執筆し、一躍有名人になります。
事件現場は危険だとか、政経のように専門知識が必要だとか。そういう男女の仕事内容に関する区別を差別とは思わないのだけれど、希望に満ちた彼女の意欲と行動力には胸が躍ります。
ただ、男性が家庭を継続するために得る社会的地位とか、危険な事から女性を保護するという社会的位置づけを、私は正しいと思うのです。家庭を継続するために得ていた男性の地位を女性を得た結果、納税者が増えただけとしかメリットを感じません。
しかし、男性に社会的地位を独占され、暴力、レイプ、殺害から逃げる手段を持てない事もまた誤りだと思います。これに関してはあちらを立てればこちらが立たずの追いかけっこのように思えますね。
精神病院の実態を、女性記者が潜入取材によって明らかにするという、当時センセーショナルな事をやってのけた彼女。それをきっかけに多くの精神病院の改善が行われたのは事実です。しかし、人権侵害が終わっているわけではありません。
場合によっては刑務所にいる受刑者よりも酷いなんて事は、日本でも他国でもあります。いえ、無い病院の方が無いぐらいに考えて良いのではないかと思います。
精神科医を医師や医療従事者と認めない医学会の専門家はいまだに多くいます。私も、どちらかというとそちらよりです。心理学が学問としてどこまで成立するの?この問題と同じように思えるのです。
人権侵害の問題で言えば、例えば「人を攻撃するかもしれない」という可能性については、未遂ですら無い状態ですから、未遂の未遂を他人が判断して隔離してしまうわけです。自傷や自殺行為についても、死なせない事の理由がわからない時があります。
ただ、ひとつ言える事は、精神病院が病院として機能しなくなれば、世界の医療費コストが相当減額されるだろうという事です。
イタリアは精神治療の先進国と呼ばれています。理由は、隔離治療からケアに方針を変え、精神病院そのものを国から無くしたからです。
隔離し、人間らしい生活を奪い、薬漬けにして生涯を終えさせる事は人権侵害である。こう考えたんですよ。だから精神病院がある限り精神疾患患者への人権侵害問題は解決しないと舵をきったのです。
イタリアは、わかりやすく言えば地方分権でできています。ですから、ローマの住人がフィレンツェに旅行中にケガや病気になった場合、地元で受ける保険適用が受けられません。ですから地元より割高になったりします。
これは私が地方分権政策に反対する理由のひとつでもあります。
ですから、大きな病院にかからなければならない病気やケガの時以外は、通常ホームドクターを持っています。小さな町の診療所みたいなものですね。そこのお医者さんに家族ぐるみで普段はお世話になるという事です。
日本では各病院に医者が夜勤でいますが、そういうわけにもいきません。そんな風ですから、ドラッグストアの存在価値が高いんですよ。小さな診療所より店舗数は多いですしね。ですから、ドラッグストアに夜勤の当番制を政策として設けています。深夜でも、薬剤師のいるドラッグストアがある。これが安心につながっているわけです。
精神疾患を強制的な治癒しない治療からケアに変えた社会ですから、このような人達がお薬を必要とする場合でも安心なんです。「〜の場合は強めのお薬を」というような事まで、しっかりと処方の指示をホームドクターからもらっているだけで、自分でも家族でも、友人でも対処できるわけですね。
配信されている映画、私も見たかったので見ました。映画ですから要所要所をかいつまんだミステリー作品に仕上がっています。躾と呼ばれる水責めにより、酸素不足で記憶障害になってしまった主人公。この原因からも遠ざかった主人公目線から物語がスタートするので、謎ときミステリーのようです。
映画である以上は見る側を楽しませなければいけませんからね。それはそれで楽しむ事はできました。でも、精神病院にまつわるミステリー映画に比べると、やっぱり迫力や展開は劣りますよw
でも… 見る事ができて良かったです。