2019年10月16日

どの定義のアーリア人?でしょうか?






アーリア人の定義は、わりとグチャグチャにされているんですよ。
それで、アーリア人を何で定義するかによって、全然違う歴史観、民族観になってしまうんです。

例えばですね、ナチスがアーリア人の定義を動画に合わせた場合、「我らこそ混血していないアーリア人である」と位置付けて、セム系であるユダヤ人を大量虐殺した事に矛盾してしまいます。
まぁ、この場合は、旧ドイツの解釈がプロパガンダ的目的から成り立っているので、このアーリア人の定義が間違っていると言えるのですが、 ポイントは『ユダヤ人はセム系だ』と認識している点です。

私は、こうやって、民族と人種によって人を区別する考え方に賛成しないのです。人の優位性や劣等性を植え付けて肯定してしまうからです。

現代では、それを良くない事として認識していますが、学歴や出自による区別は残っています。
考えてもみてください。敗戦後の日本を復興したのは、多くの小学校すらも卒業できなかったような青年達の努力です。

現在のように「だるいし〜」とサボる事が原因ではありませんが。
それでも、金銭的事情、虐めにより道を追い出された者、環境による事情。色々な理由で学びたくても学べないで社会の一員になる人々がいます。

大学のサークル活動として女性をレイプする高学歴もいれば、1人の女性だけを愛し、家庭を守っている低学歴もいます。
人様に迷惑をかけないように生きてる日雇い労働者もいれば、犯罪を犯しても優遇されてると思われる扱いを受ける社会的地位のある人もいます。

こういう事を無視してグループ分けしてしまう区別が、人種や民族になれば、もっと理不尽な状況を許してしまうじゃないですか。

話が逸れているのでここまでにしておきましょう。




アーリア人ですが、どの論説でもアーリア人として認められるのは、インド・アーリアンです。
ペルシャ(現イラン)からインドに移り住んだアーリア人を指して言います。これだけは、どの論説でも、ハッキリとアーリア人と定義する場合が多いのです。
ですからほぼ間違いでは無いでしょう。

根強い階級もその名残であるという見方は、私もあらかた同意します。
しかし、アーリア人の侵略による文明の滅亡は、多くの誤解や勘違いがあるようです。

例えばインダス文明がアーリアンの侵略で滅んだという説は、考古学的に否定されています。
それぞれの時期が合わないからです。しかし、この説を信じている人は多くいます。
これもまた、アーリア人をどう定義するか?によっては、どうとでも言えてしまうのですよねぇ。

そこでですね。語族分類の考え方。そのベースとなった、あの大洪水のノアの子から考察してみようと思うのです。




【セム】

セムにも子が生まれた。
セムはエベルのすべての子孫の先祖であって、ヤペテの兄であった。
創10:21


エベルはヘブルです。つまりヘブル人=イスラエル民族ですね。

聖書からわかる子孫。
  • エラム
  • アシェル
  • アルパクシャデ
    • シェラフ
    • エベル
      • べレグ
      • ヨクタン
      • ┗別系統サラとの間にカイナン



  • ルデ

  • アラム
    • ウツ
    • フル
    • ゲテル
    • マシュ



割と端折りましたが、こんな感じです。
ペレグは地を分けるという意味があるので、この子の頃にバベルの塔の物語があったと見られています。

彼らの定住地は、メシャからセファルに及ぶ東の高原地帯であった。
以上は、それぞれ氏族、国語、地方、国ごとに示したセムの子孫である。
創10:30〜31節


メシャは現ワディ・アル・ハサにある高原地帯です。




【ハム】

箱舟から出て来たノアの息子たちは、セム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。
創9:18


聖書からわかる子孫。

  • クシュ
    • セバ
    • ハビラ
    • サブタ
    • ラマ
    • サブテカ
    • ニムロデ


  • ミツライム
  • プテ
  • カナン



カナンは、陰謀論や都市伝説で有名なあのカナンで、ミツライムは後のエジプトです。


ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、
言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」
また言った。「ほめたたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ。
神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」
創9:24〜27


黒人奴隷の正当化に使われた有名な箇所です。

これが古代アーリアン、移住したインド・アーリアンと、宗教的にも民族的にも、分布の経緯からも関係があると読み取れます。




アーリア人に拘らずですが、聖書の中で滅んでいく町や、戦に負けて他民族と混血していく民を掘り下げると面白いかもしれませんよ。

とにかく、聖書に関わる事を述べるなら、『まず聖書を隅々まで読むべし!』と声を大にして言いたい私…

民族の移住や国の形成、言語の系統と分布。
地政学や言語学、民族史や考古学、宗教や思想、風習も、色々な要素から検証すべき事であって、DNAや血族だけでも、言語だけでも、どれを取っても、民族や人種を特定する根拠は不十分なのです。

そして…
コメント欄なのですが…
私も日本人なので、民族的誇りや愛国心的なものはあります。
教えられている歴史が全て真実だとも思っていません。

例えばですが、最近では、アイヌを侵略して今の日本があるような事になっていますよね。
アイヌの存在を示す根拠は奈良時代からでしたっけ?
ですから、サンカのようなものだと思っています。
かと言って、差別や虐待のようなものが無かったとは考えていません。

日本人が必ずしも善である事は無いし、崇高な民族であるわけでもありません。また、単一民族でも無いので、どこからどこまでを、時代的にも、人種的にも、日本人と定義するかも曖昧でわかりません。

その考え方は、批判している白人至上主義と大差ありません。というより、私には同じに思えます。




これはひとつの考え方ですが…
日本の歴史というものは、実際の権力者が、祀り上げられた誰かを立てる事によって、自分達の悪をぼやかしてきたように思います。

天皇然り、隣組や5人組類然り…
そうすると、悪という悪や真実がぼやかされたまま継がれてしまいますよね。
だから、白黒ハッキリできない事が多い国という印象があるのです。

「市民同士のイザコザは知らんよ。でも国としてはそれをやってないから」と言う事も可能で、ちょっとズルイ面もあると思っています。
けれど、どの民族にも良い面も悪い面もあるのであって、それは暗部でしかありません。

日本人には日本人の良さがあるのです。白黒ハッキリしない分、その空間を埋める事ができます。
これが、空気を読む民族を作っているのだろうし、言わずともわかる関係が成立するのだと思います。




根拠の乏しい事、裏付けとなる資料が無い事を持論として展開する場合は、それが真実のようにでは無く、自身の意見や見解に過ぎない事を表示すべきだと思うのです。

表現の自由に対する尊重と責任です。そうで無ければ、表現の自由の権利乱用や悪用になると思います。
自由には義務と責任が伴うものですから。


posted by Mako at 06:39| 都市伝説?

2019年10月15日

子供の頃の疑問とか家庭とか






フラットアース説は、子供の頃どうしてもわからなかった問題が列挙されているように思えるの。

私の地元には多摩川が流れてる。それを眺めていた頃、えっと、時間が逆行して年齢が若くなるほど、私は死にたくて川多摩川を眺めていたのよ。
ぼんやりそれを眺めていると、日が沈み始めて夕方になるでしょ?
「地球が回っているとしたら、もうじきこの川は逆さまになるのか。どうしてこぼれないんだろう?」なんて思うときがある。
重力が…とか関係ないのよ。だって、牛乳だって麦茶だって、海や川以外の液体は逆さまになればこぼれるのだから。

そういう、もう忘れてしまった疑問を列挙しているから面白いんだと思うの。

昼間でも月が見える日があるじゃない?
物体なら透き通っていたら変なんだよね。
「これこれの現象でかくかくしかじかでそう見えるんだよ」と言われても、それならば、透けた向こう側が見えてはいけなくないか?なんて(笑)

こういう事を考えるとき、無知って楽しいなぁと思うの。
私はその事に無知だから、色々な事を考えついたりできるし、それでワクワクできる。
計算や理論で決まった答えが出せるのはつまらない。

なんでだろう?と考えていた事が、大人になったら言わないし聞かないのが常識になっちゃうでしょ?
でも、本当はさ、教えられた事じゃなくて、いろんな事を探求したいのだと思うの。
テツトモのなんでだろうが、今でも営業でたんまり稼いでいるのは、この好奇心をくすぐるからだと思うのよね。




クリスチャンがクリスチャン人生を長く続けられるのは、この事に似ている気がするの。

去年わからなかった事が今年はわかって、10年前できなかった事が今はできて。ずっとわからず、今もわからない事を、幼子から教えられたりして(笑)

病気で余命宣告された人が「ありがとう。先にいってるね!」と安らかに息を引き取る時も、この人の平安はどのように来ていたのだろう?なんて事まで、創造主がいると知った瞬間から、知らない事やわからないことの多さに気付く。

人生がうまくいかないと思える時も「神さま、どうして?」と言う。
とても幸せに思えた日も「神さま、どうして?」と言う。
空が青くても「神さま、どうして?」と言うし、嵐や大雪の時も「神さま、どうして?」と言う。

大人から子供まで「神さま、どうして?」と言いながら生きてるのはちょっと可笑しい。
会社に行けば、経営者、学校に行けば教師、こういう人達が子供達と同じ事を言ってるのって(笑)大人には大人の問題が、子供には子供の問題があるし程度も違う。それなのに言う事は同じって(笑)
やっぱりみんな、創造主である神さまの子供なんだなぁと思うの。




世で教えられた事は生きる事とは逆の事が多い。蛇が仕切っているから。

"神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。"
創3:14


このちりを食べるのちりはイタリア語では polvere(ポールヴェレ。ラテン語ではpulvis )。これは、(ちり)(ほこり)の意味だけど、人が死んで土に還るという時の土の代わりに使われる単語なのよ。

死の(ちり)を食べる。まさにその通りだわ。

彼が良いもののように見せている、地位、名誉、お金、全部虚しいものよ。それがあれば幸せになれると、人が這い上がれば這い上がるほどにも失う分が増え、満たされない虚しさも増える。また足りないものを満たせば良いともがいてそれを得れば、やっぱり空虚が残る。最後には、得たもの全てが他人の手に移り、自分は死ぬ。

その塵を食べている蛇にはピッタリの裁きよね。

なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。

マタイ6:28〜30


立派な宝石をつけた美しい女性や立派な王達よりも、手入れもされずに自然に咲いている野の花の美しさの方が人を感動させる。
あの煌びやかな宝石や衣装を身につけている人のようになりたい。そう思って努力しても、自己満足では虚しい。
それなら、そこに美しく咲いているだけで人を感動させる事が出来る野の花の方が価値がある。

結局、創造主が『良いものを』と人に備えてくださったもの以上に、人の心を動かせるものはない。
親も、子も、友も、愛しい人も、そのひとつですね。これを汚すのは本当に愚かで罪深い事です。




自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう
Tテモテ3:5


家庭というものは、神がその人に与えた王国のようなものです。リーダーとしては男性が選ばれていますが、優越がつけられているわけではありません。
その王国を虐待や暴力で支配するのは、どこかの国の独裁者と同じです。
王に守られている人(子)が王に逆らうのは、国家に反逆しているのと同じです。
国の民を貧しく卑しめ、煌びやかな装飾品で飾る女王も愚かな権力者です。

家庭の中でこのような者であると知っていたなら、どこの社会でも役職には選任されないでしょう。

男は男らしく、女は女らしく、父は父親らしく、母は母親らしく、子は子らしく、老人は老人らしくあるべきです。

何も筋肉質で逞しい方が良いとか、おしとやかにとか言っているのではありません。

それぞれに与えられたそれぞれの立場や生き方があります。男性だから楽しめる事、女性だから楽しめる事があります。親だからできる事があります。子だから受ける特権があります。

「お腹空いた」と言うだけで食べ物が与えられるのは特権ですよ。よその家の子が「お腹が空いた」と言えば「食事時だから家に帰りなさい。ご両親も心配しているでしょうから」と帰されてしまうのです。
家族という国を治められない男も女も愚か者であり、それを破壊する者の罪は大きいのです。

さて、神の子にも特権がありますね。父の家にいるからこその特権が、放蕩息子達よりもあるわけです。ただし、口うるさく感じる事もあるかもしれません。それを捨てるのは愚かです。それを破壊するのも愚かです。
posted by Mako at 06:26| 一人じゃないよ

2019年10月14日

嫌な女の件(おまけ)

ちょっとしつこいので今回で終了するよ(笑)
嫌な女って分類の別バージョンで煽っていくスタイルのやつがいるのよ。




その子がその人の事を好きだってわかってて、あてつけのように目の前でいちゃついたり、仲良しアピしたりするやつ。
この分類は強者揃いだったりするんだ。

しつこいといい加減おこになるでしょ?中には見せつけられて泣き出す子もいる。でもやめない。
こういう事をしてると「何あいつ」ってなるじゃん。やっぱり。こういう場合は、男の人が『嫉妬で虐めてる』と誤解するような状況が生まれるんだよね。

自分で散々煽っていったわけだから、自業自得なんだよね。そうなる前に「あの人の事が好きだからやめて欲しい」って言われたりするんだけど…
鉄板の返しが待ってるんだよ。
「ってかあっちがさぁ〜。急に冷たくするのも変じゃん?」

私がちょっかい出してるんじゃなくて、向こうから来るんだから仕方ない。こういう口調のね。そういう返事が返ってくる。これも、「相手にとって嫌であろう言葉」を意図的に選んでるんだよね。
私はなんとも思ってないの。だから私は悪くないの。彼の方がね…って言い方をさ、するわけよ。

いや、友達が好きな人なんだから、自分にその気が無かったらキッパリ言えばいいでしょ。これはみんなが思ってるんだけどね。
しつこく挑発しておいて「やめて」と懇願されると、あからさまに「あ!A子がいるから!」って急に突き放したりし始めたりして。
「え?なに?なに?」と相手が食いついてきたら上機嫌よ。この手の子は。

「あんたと仲良くしてるとA子がやきもち焼くって言うかぁ〜」なんて言い始める。
好きな人って「誰にも言わない?」「言わないから教えて〜!」なんて教えあったりするでしょ?全部台無しって言うか(苦笑)
そこでA子ちゃんが怒っても悪者にされ、その場から逃げ出しても気持ちがバレ、いい事何も無いんよね。
その様子を見てられない周囲が「もういいじゃん!行こう!」って連れ出そうとする。そうすると聞こえてくるんだよね。「みんなA子の味方だから」ってショボーンと言う声と、慌てて慰めたり励ましたりする男の声。

ありがちな一例だけど、被害者はA子なのに、A子が加害者って図式が出来上がるパターン。

他にも、友達が仲良くしてる男子とかね「あいつすぐかわいーとか言ってきてウザイんだけど。鏡見た事あんのかっつぅーの!」なんて事を、毎日何度も聞かされてイライラを煽るような事したりするんだわ。

「あんまあの子かまうのやめなよ!」って男の方に言えば「何?嫉妬〜?」なんてお花畑返事されちゃったりして。本当は「あんた陰でどんな風に言われるかわかってんの?」なんて言ってやりたくても「あの子があなたの悪口言ってるよ」的な鳩っぽい事はしたくないでしょ?

「とにかくかかわるなってば!」と中途半端に言えば、やっぱり煽った方が被害者顔する結末に。




こういうのって、どのパターンより起こりやすくて防ぎにくい。
みんな悪い子じゃないのに、どうしてそういう事が起こるんだろうねぇ?

いや、悪い子が混ざってくるからこうなるのか?
男性の目には被害者に見えてるその女が加害者なの!!ってパターンがこんな感じなのかなぁ?
posted by Mako at 19:25| 日記