2020年01月19日

私の自己啓発嫌い

私は自己啓発と呼ばれるもの全般が大嫌いなのです。
理由は大言壮語する者を量産するだけだだと思っているからです。




幸せの定義と得る手段



私の考える幸せとは、『身の丈に合った人生を静かにおくれる事』だと考えています。
それなら負債も増えず、付き合いにくい人とストレスをためながら付き合う必要も無い。

そこに大切なエッセンスが加わります。『向上心』です。

生活の水準を上げたいや、やりがいのある仕事をしたい、より良い恋人やパートナー、伴侶を見つけたい…etc

これらが向上心になると思います。

幸せが身の丈に合う人生を送る事ならば、より良い暮らしや環境を作るためにできる事は、自身を成長させる事以外にありません。
身の丈を大きくする以外に方法は無いのです。

これは私が考える『幸せな生活へのアプローチ』です。

自己啓発では『成功』というワードを使いますが、『成功』とは、人生を幸せに送れる事だと考えています。

自己啓発は、身の丈への不満を刺激して、身の丈に合わない目標や成功論を大言壮語させ、現実から目を逸らす役にしか立ちません。




大言壮語は不幸を生む



ユーチューバーえらてんさんとメンタリストDaigoさんの、ちょっとした揉め事(?)があり、それを期にDaigoさんが専門家から色々な指摘を受け、軽く炎上するという騒ぎがありました。

Daigoさんは会社の顧問であったり、大学の教授としての顔もあり、作家でもあり…etc

生活面でも収入面でも、知名度でも、誰が見ても『成功者』だと言って良い人物だと思います。
しかし、せっかく新しく開拓したツールであるYouTubeよりも、信者的聞き方をしてくれるニコ生界に逆戻りの印象を受ける手段を言葉にする事態となりました。

リスクの正体



この事から見えるDaigoさんの失敗は、リスク管理が片手間だった事にあります。

私が言う『リスク』とは、あらゆる事態を想定できる力の事ではありません。そんなものはまやかしです。
あらゆる事態を想定できる人は存在しません。
そんな事を考えるのは最低限で良いのです。考えすぎると不安症状態に陥り、できる事も出来なくなってしまうだけです。

そこで『リスクの正体』を明らかにしたいと思います。

『リスクとは、わからないから抱えるのである』という言葉に要約できると思います。

自分のしている事やしようとしている事。これが自分のわからない事だから起こるのです。

新しい事を始めようとする時、起業でもなんでも良いですが、必ず壁にぶつかります。
わからないで手探り状態にあるからです。
リスクとは、想定外の問題や損害を受ける可能性を言います。
もし、経験済みで対処法を知っていれば、『解決できる問題』や『想定内の問題』でありリスクにはなりません。

ですから、自分がしている事やしようとしている事について、経験や知識によりわかっていたなら『リスク』が目の前の問題として立ちはだかる事はあり得ないのです。

リスクは、身の丈に合わない事をする事から生まれるのです。

自分で自分の置かれている状況や、している事等がわかっているなら、それに応じた問題解決力があります。ですから、損害の程度も予測できる範囲内ですし、『リスク』が一人歩きして身を滅ぼす事はありません。

これらの事を踏まえれば、Daigoさんは、なんらかの形でリスクを既に抱えていたという事になります。
論文を実際に読んだのが本人でも別人であっても、わかっている事をしている分には、早期に終わらせる事ができた問題なのです。

人に大言壮語させ、身の丈を超えた夢を与える自己啓発は、人に『リスク』というギフトを送る業者だと言えます。




稼ぐ手段の別れ道



『成功』とやらを手にする為に、決して無視できないのが『お金 money 』です。
私はこれにたいした魅力をかんじませんが。私はお金の奴隷では無いので。

しかし、何をするにも『お金』が要る。だから稼がなければ意味がないというのも正論ではあります。

お金を稼ぐ手段は極端に言えば2種類です。

  1. 自分の知識・技術・時間を売る
  2. 自分より愚かな者から吸い上げる


2は少し悪どいイメージがありますが(笑)ある意味宗教もこれに入りそうですね(苦笑)

ひとつ助言をするなら、精神世界、霊の問題、心の状態や道徳に、今生きているこの世(現実社会)でしか使えない金銭は役に立たない。
これを覚えておいた方が良いですね。

普通、前者に行けば、特に自身の時間を切り売りする事は、固定給以上を稼ぐのが難しくなります。
ですから、後者にまわればすぐ稼げるという誘惑に陥りやすいです。

これもリスクと同じで、自分がしている事やしようとしている事についてよくわかっている分には良いです。
『お金を稼ぐ』という目標だけを見て、他のことが見えなくなると自身を滅ぼします。
世間の評判を落としたり、大切な人が離れて行ったり、犯罪者やグレーの人になる事もあります。

身の丈に合った収入は大きなリスクがありません。災害や事故は別ですよ(笑)
欲しいなら欲しい分、自分を磨けば良いのです。

例えば、恋しい人に振り向いてもらう為に、ダイエットをしたり、おしゃれをしたりするようなものです。
これらの事も度を越せば、相手を見下すようになります。

「おまえじゃなくても、私と付き合いたい人はたくさんいる」なんてね。

度を越せば自分がわからない状態陥り、恋しい人の為に始めたのに、恋しい人を逃す事になります。
自分を磨く事に夢中で、本来の目的を忘れてしまうのです。

ですから、前者が良いとは言い切れません。この落とし穴に陥らない為には、身の丈に合ったキャパで満足する事に尽きるという事になります。




身の丈に合った生活は現状満足では無い



身の丈に合った生活を送る事が魅力的に感じないのは、大切なエッセンスである向上心を忘れているからです。

是川銀蔵さんは言いました。

『人生は太く長くだよ。』

身の丈に合った生活は、細く長くのイメージがありますが違います。
それは、ただ生きているだけです。

ひとつひとつの事に価値を見出す事を忘れています。

無理して『成功者』と呼ばれる人と食事をするよりも、美味しさや時間の充実を分け合える人と一緒に食事をする事の方が価値のある時間の使い方です。
しかし、エッセンス(向上心)として、『成功者』と呼ばれる人と食事をする事も有益です。

どちらが欠けてもダメ。これが身の丈に合った幸せな暮らしです。

細く長く生きる人生に、価値を与える事で太さをつけるのです。
これが身の丈に合った幸せな暮らしです。




自己啓発は私の考えと正反対です。
だから、自己啓発好きの方が、最もな意見風に語り始めると「早く終わってくれないかなぁ^^;」と考え始めてしまいます。

私にはなんの役にも立たないからです。

今は敗者に見えても、未来の為に身の丈を低くしている人は、強さや魅力を感じます。
特に大きな成果を残していない人が大口を叩いているのを聞くより良い時間です。

自己啓発好きの方は、誰もが文句無しの成功を遂げてから語れ!と。
次会った時、現状維持のままかそれ以下だったら「めっちゃカッコ悪い」ですよ。なんて思ってしまうのです。

うーん…
私の性格が悪いのかもですけどね(苦笑)




おまけ。

嫌いといえば!昨日イタリア語の月の名前と数字について書いたのですけど…

イタリア語を英語の延長線ぐらいの認識で上からものを言ってくる人がいるんですよ。そういう方にも少しウンザリしています。
LとRの発音だって、イタリア語のRは巻き舌なので英語とは全く別物なんですよ。英語は名詞に性が無いけど、イタリア語ではあります。その性によって動詞の活用が変化する事もあるし、男性名詞の単数複数、女性名詞の単数複数によっても変わるし、それにつく冠詞類も、言い換える代名詞類も変わります。
とにかく全然違うのです。
それなのに上から来られると…
聞いてあげないと悪い気がするし、かと言って聞いても役に立たないしという気持ちを行ったり来たりするのよー。

あれをうまく切り抜ける手段ないかなないかなぁ?上から来る人に限って「あれどうだった?」なんて後から聞いてきたりするでしょ?
「役に立たない」といえば失礼だし「役に立った」と言えば嘘だし。

「ありがとう。でも英語とは全然違うからー」って言っちゃうのが早いので、それはもちもちろん最初に言ってるさぁ。たぶん、自分の伝えたい事で頭いっぱいで聞いてないんだろうなぁ(苦笑)

イタリア語の『怒る=arrabbiare(アッラビアーレ)』はRが2個あるので、ちょっとラを強めに舌を巻くのが良いの。
聞いた事あるでしょ?
『アラビアータ』。パスタ料理の名前。ソースが唐辛子類で、少し後からカッカする辛さがある。それが怒ってカッカするのに似てるって考えれば『arrabbiare(アッラビアーレ)』から着いたソース名だってわかる?

私は今、全然違うのに上から来る人が嫌っていう具体的な経験を思い出して『arrabbiare(アッラビアーレ)』になってます。ジリジリとカッカ来る感じ。

ヽ(゚Д゚;)ノカッカ カッカ

posted by Mako at 14:36| 日記

イタリア語のここが嫌い

英語を勉強する人が、アメリカのドラマや映画を見るように、私もイタリアの映画やドラマを時々見ます。
これは、私の好きな女優 Laura が出演しているので見ました黒ハート



アメリカ映画やドラマなら、出演者が怒ったりするシーンでも、声を荒げたり、強調するためにゆっくり言ったりするじゃないですか。
イタリアの映画やドラマでは、俳優も女優も、もの凄く早口になるのでついていけない事があるんですよ。
動詞の活用がわからないと、主語がわからないのです。イタリア語は。

動詞、食べる=mangiare(マンジャーレ)
私は食べる=mangio(マンジョ) [半過去mangiavo(マンジャーヴォ)、遠過去mangiai(マンジァイ)、未来mangerò(マンジェロ)…etc]
きみは食べる=mangi(マンジ)
彼・彼女は食べる=mangia(マンジャ)
私達は食べる=mangiamo(マンジャーモ)
きみ達は食べる=mangiate(マンジャーテ)
彼ら・彼女らは食べる=mangiano(マンジャノ)

主語が私の時だけ、現在形以外のものを少し書きました。条件法や接続法等、主語が誰・何かによって形が変わります。




しばらくイタリア語をさぼったり、聞かなかったりすると、例の早口や早いやり取りについていけなくなる事があるんですよ。
それで、良い機会だから、初級〜中級の市販テキストで、イタリア語のおさらいをしようと思ったの。
これはレベルが低い(多分文法的にはレベル5級クラス)のダイアログの一部です。とは言え、イタリア語検定は難しくて有名なものなので、英検のレベルに比べたらけっこう難しいですよ。




私個人の日本語訳(ちょっと意訳あり)

A:おはよう
B:おはよう。なんて悪い天気!

Aええ、ここは、冬はたいてい天気が悪いの。雨が降って寒いし雪も降る。コーヒー飲む?
B:ありがとう。で?いつ暖かくなる?

A: まぁ…5・6月ぐらい。 朝暖かくて太陽も出るわ。
B:そっか。ところで今何時?

ー略ー


これはダイアログの冒頭部分で、もう少し長いんだけれども…
これを聴いていて、5月、6月の月の名前を聞いたときにふと思ったの。

ちょっと、月の前に、イタリア語の数字の1〜10を順番に聞いて欲しいのよ。



1=ウーノ
2=ドゥーエ
3=トレ
4=クァットロ
5=チンクエ
6=セーイ
7=セッテ
8=オット
9=ノーヴェ
10=ディエーチ

次にイタリア語の1月2月とかの月の名前を聞いて欲しいのよ。



1月=ジェンナイオ
2月=フェエッブライオ
3月=マルツォ
4月=アプリーレ
5月=マッジョ
6月=ジュンニョ
7月=ルッリョ
8月=アゴースト
9月=セッテンブレ
10月=オットーブレ
11月=ノヴェンブレ
12月=ディチェンブレ

昔、今の太陽暦の前は1年=10カ月だったの。古代ローマなんて単語があるぐらいだから、イタリアは歴史の古い地域なのよね。
で、昔はローマ神話とギリシャ神話のようなものが融合したような神々を崇拝してたわけ。
その他の神は、その時代のローマ皇帝ってわけよ。
だから、月の呼び名もそれに因んでたりするのよ。

1月=ヤヌス神(Giano)の月=gennaio。
2月=ローマの神事祈願 Febra のある月=febbraio。
3月=マルス神(Marte)の月=marzo。
4月=アフロディーテ(Afrodite)の月=aprile。
5月=女神マイア(Mais)の月=maggio。
6月=女神ユーノ(Giunone)の月=giugno。
7月=ユリウス・カエサルの月=luglio。新約聖書ルカ20:20〜26にある『カイザルのものはカイザルに』カエサルでOK!
8月=アウグストゥス(Augustus)の月=agost

ここまで、崇拝されていた神話の神々や、力のある皇帝の名前から来てるってわかるかなぁ?
古語との兼ね合いなんかもあるのだろうけど、とにかく由来するから似た名前でその月が呼ばれるってわかれば良いの。皇帝達の月は、どうも本人の誕生月に充ててるらしいです。

でね、数字の発音を聞けばわかるのだけど、9月に数字7の音、10月に8の音、11月は9、12月は10って、数字の音と月の名前の音が合ってないわけよ。ズレてるの。

元は1年が10カ月しかなくて、後から2カ月追加されて今の暦になったと言っても…
ここは実際の数字の音と合わせて月名をつけようぜ!!!って、イラッと来るの。

いや、イタリア語に興味無い人にはどーでもいい話なんだろうけど…

¤\( `⌂´ )/¤テキトーか!?

ってなるの。

多分、1月2月とかの月の名称をまとめて言ったりするたびに、一生イラッとするんだと思うの。


posted by Mako at 01:18| 日記

2020年01月18日

指輪

海外ドラマの結婚式を見ていたの。

結婚式に指輪。どうして?

指輪って、リング状でしょ?
物事には始めと終わりがある。始めがあれば必ず終わりがある。終わりがあるなら始めもあった事になる。
始めも終わりも超越したもの。それが愛。

ってぇ〜事でだな。リングには終わりも始まりも無いでしょ?
永遠の愛の印であり証でもあるのが結婚指輪。
2人が終わりの無い愛の契約関係にある証拠品のようなもの。それが結婚指輪。

もし、結婚指輪をしたがらない人や必要ないと思ってる相手なら、結婚は少し遠目に見てみてもいいかも?と思う。
既婚者が結婚指輪を外したがるのは、どんな時?
最初からはめたく無い理由って…ねえ?

お互いにいらないと思うなら良いけれど、自分の愛はあなたにはありませんと言っているようなものだもの。それにしないほうが都合良い理由がありそうでなんか嫌じゃない。




結婚指輪には始まりも終わりもないリングが、愛の関係を表しているのでちょうど良いけれど…
あれにしようって言われたらどうする?

フリーサイズ用の、始まりも終わりもあるやつ。

「長年使うからねー!これなら太ってもだいじょぶ〜」なんてw

双方がそれで良ければいいんだろうけどねw

でもサイズ直しが面倒だったり、子供にお金がかかって後回にした結果外して過ごすなんて事もあるものねー。
絶対に外させない手段としては、あのフリーサイズ用のアクセサリー系指輪もありなのかなぁ?

まぁ、私には関係ないけどね。
posted by Mako at 05:38| 日記